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2007/12/14


康楽館 Kouraku-kan 

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 康楽館(こうらくかん)は、明治四十三(1910)年、銅や亜鉛、鉛の鉱山として栄えた小坂鉱山の厚生施設として作られた、木造の芝居小屋である。秋田県鹿角郡小坂町に位置する。
 歌舞伎、新劇、映画等の公開、上演が行われてきたが施設の老朽化やテレビの普及などで衰退、昭和四十五(1970)年には使用を停止されたが、昭和六十(1985)年に市民の手により再興され、現存する日本最古の芝居小屋として、いまも公演が行われている。
 和洋折衷の造りであるが、舞台には花道、切穴、回り舞台などが揃っており、全て人力で稼動する。
 国重要文化財、秋田県指定有形文化財に指定され、明治の息吹を感じながら公演を見ることができる建物である。
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2007/7/27


圓通院 霊屋 Entsuu-in Otama-ya Otamaya at Entsuin Temple

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 圓通院(えんつういん)は、宮城県宮城郡松島町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。本尊は、聖観世音菩薩座像。三陸三十三観音霊場第1番札所とされる。
 バラ寺やこけ寺とも言われ、日本三景松島に建つ名刹である。
 正保四(1647)年、圓通院に伊達光宗の霊廟として、三慧殿(さんけいでん)が建立された。
 霊屋(おたまや)とは三慧殿の別名で、国の重要文化財に指定されている。
 建物は宝形造、本瓦葺で、四周に高欄付の縁を巡らす。東北地方では数少ない格式ある方三間霊屋の遺構であり、霊屋建築としては宮城県下最古とされる。
 内部に光宗の騎乗像を祀る禅宗様の厨子があるが、厨子の各所に施された彩色模様は華麗であり、中には一部キリシタン文化の影響を残す洋風の模様も見られ珍しい。
 圓通院の霊屋は、3世紀半もの間秘蔵とされた文化財である。
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2007/6/5


北海道 清華亭 Hokkaidou Seika-tei Seikatei

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 北海道の清華亭(せいかてい)は、北海道札幌市北区北七条西にある気品あふれる建築物である。
 札幌駅の西側、北海道大学のクラーク会館の道路を挟んで南側に建っており、時計台や豊平館と並んで、札幌最古の洋風建物とされている。
 明治四(1871)年、開拓使は札幌初の都市公園「偕楽園」を開設した。
 明治一三(1880)年、偕楽園の中に開拓使の貴賓接待所として清華亭が建てられた。
 全体的には米国風の建築であるが、和風の意匠も施され、巧みに調和しており、建築翌年には明治天皇も休憩に利用した。
 昭和五三(1978)年、創建百年を前に改修されたのが、現存しているものである。
 清華亭は、北海道の誇る由緒ある建物である。
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2007/4/24


兵庫 北野天満神社 Hyougo-Kitano-tenmanguu 

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 兵庫県神戸市にある北野天満宮神社は、「学問の神様」で親しまれている「菅原道真」を祀っている由緒ある神社である。
 治承四(1180)年平清盛の命を受けた大納言五条邦綱が、京都の北野天満宮を勧請して社殿を建立したのが始まりとされ、「北野」という地名の由来にもなっている。
 入り口の鳥居を抜けると長い登りの参道があり、天神様が鎮座する260年の歴史ある「本殿」がある。道真は牛を大変好んでおり、思召しを受けた霊験あらたかな「御神牛」と呼ばれる黒い牛や、水をかけると願いがかなうという「叶い鯉」が祀られている。
 神戸市の重要伝統的建造物の指定を受けた「拝殿」は舞台として舞の奉納などが行なわれている。
 年中参拝客でにぎわい、祈願の絵馬を奉納される姿が見られる。神社からは、異人館をはじめ、神戸市内を一望できるなど、和洋の景観美あふれる場所である。
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2007/3/23


木津屋本店 Kizuya-honten 

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 岩手県盛岡市に所在する木津屋本店は、文具事務用品、和洋紙、オフィス家具、OA機器の卸を営む老舗だ。創業は江戸時代の寛永十五(1638)年。
 江戸時代、この付近は藩政時代の南玄関口として、盛岡の商人が店を構えて活気を呈していた。この木津屋もそのひとつ。筆墨紙や香・薬・金物・茶・雑貨などの問屋として初代池野藤兵衛が創業、大変繁盛していたという。
 天保五(1834)年築の木津屋の土蔵は、この当時の面影をそのままとどめる県指定の有形文化財だ。
 明治十七(1884)、年、河南地区を総なめにした大火の際には、六代目の当主が揃えた防火道具で火災を消火したそうだ。このときに使われた昆布むしろや大うちわ、水桶などの防火用具は今でも土蔵に納められている。
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2007/2/9


会津武家屋敷 Aizu-buke-yashiki Aizu Buke-yashiki

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 江戸時代の会津藩家老西郷頼母の屋敷を中心に、福島県重要文化財である旧中畑陣屋や数奇屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を連ねる屋外博物館。
 会津藩は、3代将軍徳川家光公の弟・保科正之を祖とし、江戸時代を通じて東北地方の外様大名を押さえる雄藩であった。しかし幕末における動乱期に、時代の渦に巻き込まれ、城下は戦火にさらされその多くは焼失した。
 江戸中期の和洋建築の枠を集めて造られた38部屋ある家老屋敷では各部屋をどの様に使用していたか、ろう人形を使ってリアルに再現している。
 館内には会津歴史資料館、会津の代表的な仏画を中心に展示した美術館の他、会津・福島の名品を揃えた総合売店、会津の郷土料理レストランなどが併設されている。
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2007/1/23


六華苑 Rokkaen Rokkaen Garden

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 六華苑は、三重県桑名市に建つ、和風と洋風の建築様式が見事に調和した文化遺産である。二代目諸戸清六の邸宅として大正二(1913)年に完成した。
 六華苑には、鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドル設計による4層の塔屋をもつ木造2階建て天然スレート葺きの洋館、和館や蔵、池泉回遊式庭園などがある。
 現在は一般公開され、人々が語らい、憩い、交流する空間として多くの観光客でにぎわっている。
 1997年、国の重要文化財に指定。2001年、一部を除き、庭園が国の名勝に指定される。
 和洋の様式が調和した明治・大正期を代表する貴重な文化遺産であり、洋館と和館が連続して建つという、大正浪漫漂う特徴的な建物である。
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2007/1/18


尾山神社 Oyama-Jinjya Oyama Shrine

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 慶長四(1599)年、前田利長は、加賀藩藩祖、前田利家を合祀して創建された卯辰八幡宮を、明治六(1873)年に卯辰山から現在の地に移し、尾山神社とした。
 尾山神社の神門は、オランダ人ホルトマン設計によるもので、和洋中三つの様式が取り入れられ竜宮城を思わせるといわれている。
 第一層の石積みのアーチは、骨組みは木造で、日本の建築技術が活かされている。最上階は五色のギヤマンが美しく、かつて金石の港を出入りする船の灯台の役目を果たしていたともいわれている。避雷針まで含め、高さは二五メートル。
 昭和二十五年、重要文化財に指定された。
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