NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/2


耳掻き Mimikaki 

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 「耳掻き(みみかき)」は耳の穴を掃除すること、またはその道具を指す。
 木製や金属製、プラスチック製など様々な材質の耳掻きが作られているが、日本では昔から適度な弾力性を持つ竹が材料として使われている。
 耳の穴も人によって違うため、匙(さじ)またはへらと呼ばれる掻き出し部のカーブやサイズなど、微妙な調整には職人技が必要だが、木は加工に適しており、曲げや切削といった加工方法によって形作られている。
 日本では簪(かんざし)が耳掻きの原型という説もある。
 簪の先端をさじ状にした耳掻き付簪を発明したのは、高橋図南(たかはしとなん)という学者で、江戸時代のことであったと伝えられている。
 耳掻きは、昔から人々にとって馴染み深い必需品であるようだ。
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2007/12/4


玉簪 Tama-kanzashi 

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 玉簪(たまかんざし)は、柄に丸い玉がついている簪である。
 簪は、女性が髪を結う時に使う日本の伝統的な装身具であり、特に江戸時代後期には様々な種類の物が作られ、髪を飾った。
 玉簪は、耳掻きをそのまま大きくしたような耳掻き簪に玉を一つ挿しただけのシンプルなもので、最も人気のある簪とされる。
 玉の色により風情が感じとれ、素材には珊瑚、めのう、翡翠、べっ甲、金や銀、更には象嵌からガラスに至るまで様々なものが広く用いられている。
 また、玉の大きさにも二分玉、三分玉、五分玉などの種類があり、大きさによって分類され、売られている。
 先が耳かきになっているのは、装身具ではなく実用品の耳かきだと見せかけて、贅沢品取締りから逃れるためであったという。
 玉簪は、簪の代表とも言える伝統の髪飾りである。
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2007/11/14


色打掛 Iro-uchikake 

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 華麗な刺繍や織り模様を施した「色打掛(いろうちかけ)」は、白やピンクの掛下(かけした)の上に羽織る。
 地紋の入った色地に赤や緑などの華やかな色で鳳凰や鶴亀、松竹梅、御所車(ごしょぐるま)といったおめでたい吉祥文様を刺繍したり、織りや染め、白地に金糸や銀糸による刺繍、印金や箔などの技法で吉祥文様をあらわしたものがあり、息を飲むような華やかさがある。
 以前は白無垢より格下の装いだったが、現在では最高位の正礼装とされている。その為、神前や仏前式の結婚式において挙式では白無垢を、披露宴では色打掛を装うという形が定着している。帯をせず、歩く時に褄(つま)を掻い取らなければならないので、 掻取 (かいどり)とも呼ばれている。
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珠洲 喜兵衛どん Suzu Kihei-don 

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 珠洲の喜兵衛どん(きへいどん)は、石川県珠洲市上戸町北方にある建築物である。
 正式には能登記念館といい、数多くの民俗資料を展示している。
 今の建物は、明治二〇(1887)年に再建されたもので、浜屋づくりの典型を示している。
 「喜兵衛どん」の「どん」は、この地方の有力農民への敬称であり、この地域の大庄屋・喜兵衛どん櫻井家の立派な屋敷を利用したもので、喜兵衛どんは江戸時代は製塩と漆掻きを家業としていた当地の名家である。
 美術工芸品や、国指定の重要有形民俗文化財である製塩用具と生漆の採取用具、及び漆工用具などが多数保存され公開されていた。
 現在は、残念ながら閉館してしまっており、これらの資料を見る事は出来ない。
 珠洲の喜兵衛どんは、当時の生活を知る貴重な古民家である。
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2007/7/27


埋木細工 Umoregi-zaiku Umoregi-zaiku (Bogwood Carvings)

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 埋木細工(うもれぎざいく)は、宮城県仙台市の青葉山に今も伝わる伝統工芸である。
 その青葉山から炭化した「埋木」が発見されたのは、文政五(1822)年のこと。仙台藩の足軽武士・山下周吉が発見し、様々な工夫を行い、器や神饌の下敷きに使用される掻敷(かいしき)を作ったのがその始まりといわれている。
 埋木とは、三百万年~五百万年前の地層から採掘された、針葉樹の炭化した珪化木(けいかぼく)という、いわゆる植物の化石であり、石炭になる一歩手前の状態のものである。
 全国的にも類を見ない特異な工芸資材であり、今では入手も困難なものもある。
 木などを刃物で刳る刳物(くりもの)技法が用いられ、拭漆(ふきうるし)にて艶出を行う。7~8回繰り返し拭きあげると、木とは思えないような深い光沢と重量感あふれる作品が誕生する。
 伊達藩下級武士たちの内職として彼らの懐を暖めた技術は、数百年の時を経て芸術の域にまで到達し、今も私達の目を楽しませてくれる。
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2007/4/26


縁起物 熊手 Engimono Kumade 

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 熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模し作られたとされる。「福徳をかき集める、鷲づかむ」という意味が込められている、縁起物の代表である。
 「酉の市」の日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並び、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与される。福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ、「かっこめ」とも呼ばれている。
 熊手は熊手商と「買った(勝った)」、「まけた(負けた)」と気っ風の良いやり取りを楽しんで買うものとされ、商談が成立すると威勢よく手締めが打たれる。また年々大きくしてゆくものとされており、大小様々なものが売られている。
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2007/4/23


供養田植 Kuyoutaue 

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 広島県神石(じんせき)郡神石高原町下豊松では、昔から様々な神事が盛んだった。なかでも牛馬の神様、「大仙(だいせん)様」は人々の篤い信仰の対象となっていた。戦後間もないころまで、牛は農耕の「トラクター」の働きをしたり、材木や俵物など重い貨物の運搬用として、人々にとって大切な存在だったのである。
 下豊松の「供養田植え」は、「大仙供養田植え」とも呼ばれ、この大仙様をお迎えして、牛馬の供養と五穀豊穣を祈る盛大な祭り。
 祭りは代掻き牛と「早乙女さん」と呼ばれる女衆が花宿に集まることから始まる。まず「大仙様」をお羽車に乗せて田に入り、早乙女さんの手踊りが続く。そして牛が供養棚の下をくぐりながら神の清めを受けて代を掻き(田植えができるように田んぼを掻き回す)、大太鼓の音に合わせて早乙女さんが田植えを行い、祭りはクライマックスを迎える。
 「供養田植え」は昭和四一年に県の無形民族文化財に指定された。
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2006/12/15


白石焼 Shiraishi-yaki Shiraishi Ware

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 白石焼は、佐賀県みやき町北茂安で焼かれる陶器だ。素朴で温かみがあり、どこか懐かしさを感じさせる風合いが魅力である。
 白石焼の起源は、17世紀中期に遡る。農家が副業としてやきものを焼いたのが始まりと言われている。1806年には白石鍋島家が鍋島島本藩の御用窯から陶工を呼び寄せて、白石にて御用窯を造らせることになり、本格的な磁器産地となった。その後、江戸末期頃に京都より招いた陶工・臼井走波が造った染付磁器は全国的に高い評価を浴び、白石は有田焼に比肩するほどの名産地として名を馳せたのだった。昭和初期には汽車瓶(駅弁と一緒に売られる茶器)の生産地としても知られるようになった。
 現在では民芸陶器を中心に生産。伝統的な飛び鉋、焼き締め、掻落としなどの技法に加え、現代的な感覚の絵付けを行い、白を基調とした端正な佇まいを見せている。
 
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