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2008/4/4


蒲郡市 無量寺 Gamagori-shi Muryou-ji 

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 蒲郡市(がまごおりし)にある無量寺(むりょうじ)は、別名西浦不動ともいう。貞観元(859)年に真雅僧正の開創した古刹として知られ、また「がん封じの寺」として知られている。
 境内には戒壇めぐりの行場や、市内第二位の大きさを誇る天然記念物の大楠がある。
 無量寺には、中国は西安の慈恩寺をまねて作られた、高さ20メートルの大雁塔が建っている。塔は方形が七層のつくり。慈恩寺という寺は玄奘三蔵(三蔵法師)が天竺から持ち帰った経典の翻訳を行なった寺として知られている。
 無量寺の隣に建てられているのが、がん封じ堂である。絵馬には人形が描かれており、がんを直したい箇所を黒く塗るようになっている。堂には絵馬がびっしりと掛けられており、この寺の信仰にあやかって参詣する人々が多いことがうかがえる。
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2008/3/7


崋山神社 Kazan-jinja Kazan Shrine

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 愛知県田原市にある崋山神社(かざんじんじゃ)は、田原藩家老であった渡辺崋山の遺徳をしのび、田原城の出丸跡に建てられた。
 崋山没後百年を期に崋山神社建設の話が出たが、第二次世界大戦中だったため建設は実行できなかった。昭和二一(1946)年、静岡県引佐町井伊ノ谷宮の仮殿を譲ってもらい、出丸跡に建てたのが始まり。現在の建物は昭和三四(1959)年、伊勢湾台風による崩壊のあと再築された。
 学者・画家・政治家として活躍した渡辺崋山は寛政五(1793)年、江戸の田原藩上屋敷で生まれた。八歳の時、若君のお相手として出仕し、一三歳の頃から朱子学や、陽明学を極めたことから、学芸向上にご利益があると言われている。
 毎年、渡辺崋山の命日となる一〇月一一日に大祭が開催される。同じ田原市にある城宝寺で崋山の墓前に参拝したのち、崋山神社で神事が行われる。
 また、この神社の絵馬には、渡辺崋山の肖像が描かれている。
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2008/1/17


大津絵 Ootsu-e 

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 大津絵(おおつえ)は、滋賀県大津地方の代表的な郷土みやげ品で、伝統民画と呼ばれる。その大半は、強烈な人間風刺がテーマになっている。
 江戸時代初期、東海道近江国追分あたりの名もなき画工が軒を並べ、街道を往来する旅人らに、信仰の対象として仏画を描き売ったのが始まりという。時代の変遷と共に世俗画、風刺画、人物画、風俗画へと転じ、また教訓的な和歌を添えたものも登場するなど、そのモチーフは百種類以上にのぼる。
 江戸時代を通じて東海道大津宿の名物となった大津絵は、文化・文政期(1804~1829)には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定し、そこから「大津絵節」が生まれ、全国へと伝播していった。
 シンプルでのびのびとした描線、どこかユーモラスで風刺のきいた絵柄、そして独特の鮮やかな彩色が見る者を惹き付ける。現在は、紙に描かれたもののほか、絵馬やひょうたん、皿や掛け軸などもある。人間風刺という普遍的なテーマゆえに、いつの時代も民衆の心を捉えて離さない。
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2007/11/26


真照寺薬師堂 Shinshou-ji-yakushi-dou 

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 東京のあきる野市引田地区にある真照寺(しんしょうじ)。
 寛平三(891)年創建と伝えられる、あきる野きっての名刹である同寺本堂の右側に位置するのが薬師堂である。
 市指定の有形文化財である赤い山門をくぐり、本堂右へと続く参道を通って、幾本もの「南無引田薬師如来」と染め抜かれた赤い旗がはためく一五段の石段を登ると、薬師堂が鎮座している。
 僧、行基がこの地に来たとき、薬師如来を彫り上げて安置したといわれる大変由緒あるお堂で、都指定の重要有形文化財に指定されている。
 銅版葺きの宝形造に木造カヤ葺きの屋根が乗っており、室町時代の建築とされている。
 寺とは別に、お堂は「多摩新四国八十八ヶ所霊場」の第五八番札所にもなっている。また、眼病にご利益があるといわれており、お堂の前には「め」と裏返しの「め」の字が並んで書かれた絵馬がたくさん掛けられており、今もなお信仰が篤いことを物語っている。
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2007/10/4


大瀬神社 Ose-jinja Ose Shrine

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 大瀬神社(おせじんじゃ)は、静岡県沼津市西浦江梨にある神社である。祭神は、引手力命(ひきたぢからのみこと)。
 引手力命神社というのが正式な名前で、大瀬神社は別称であり、他に大瀬明神とも称される。
 創建時期は不明であるが、白鳳一三(684)年の大地震に伴って海底が突然隆起して琵琶島が出現したため、同時期の地震で多くの土地が海没した土佐から、神が土地を引いてきたのだ、と考えた人々が引手力命を祀ったのが最初、とも言われている。
 境内にある神池は、海から間近の所にあるにもかかわらず淡水の池であり、伊豆七不思議の一つに数えられている。
 駿河湾漁民の信仰の象徴で、海の守護神として知られており、古くから漁民の描いた絵馬や漁船模型が多数奉納されている。これらの奉納物は、歴史的にも貴重とされ、県の有形民俗文化財に指定されている。
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2007/9/27


宮城 岩蔵寺 Miyagi Ganzou-ji 

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 宮城の岩蔵寺(がんぞうじ)は、宮城県岩沼市志賀薬師にある天台宗の寺院である。本尊は、薬師如来像。
 貞観二(860)年、慈覚大師円仁が近江国志賀から薬師如来を移して開基したと伝えられる。
 境内の薬師堂に安置されている薬師如来は、大師自らが刻んだといわれる本尊の秘仏で、現在は開かずの厨子に納められている。
 脇侍に日光・月光の両菩薩を安置しており、平安後期の丈六阿弥陀如来像、運慶作といわれる十二神将、法眼となった狩野派の絵師による作とされる絵馬など、多くの像や寺宝を保持している。
 木立に囲まれた境内は素朴な味わいがあり、付近の人々の厚い信仰をうけている。
 宮城の岩蔵寺は、歴史ある古刹である。
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2007/8/14


天下祭 Tenka-sai Tenkasai Festival (Naked Festival)

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 天下祭(てんかさい)は、愛知県豊田市の松平東照宮にて毎年2月に開催されている裸祭りである。
 南北朝時代に天下太平を願って始められたとされるが、明治時代に一度姿を消し、近年裸祭りとして復活した。
 松平東照宮は、徳川家の祖である松平氏発祥の地として知られている神社で、松平親氏を祭神として祀っている。
 東照宮の産湯の井戸は、初代親氏の頃より霊験ある井戸として知られ、家康誕生のとき岡崎城までこの水を運び、慣習に従い産湯とされた事が世に知られている。
 天下祭に奉仕し、その水で清められた「水玉」と呼ばれる、木製の玉に触れる事で厄が落ちると信じられており、毎年下帯一つで裸男の厄男たちが激しい競い合いを見せ、会場一帯は熱気に包まれる。
 祭りでは、他に出店や露天もあり、戦陣鍋、花餅作り、大絵馬奉納、和太鼓、棒の手等が行われる。
 天下祭は、裸男たちの勇壮で豪快な祓い神事である。
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内子町 三嶋神社 Uchiko-cho Mishima-jinja 

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 内子町(うちこちょう)の三嶋神社(みしまじんじゃ)は、愛媛県喜多郡内子町にある神社である。祭神は大山積命、高おかみ神。
 和銅五(712)年、創建されたと伝えられる。拝殿内部には佐藤秀文の絵馬をはじめ、多くの絵馬が掲げられている。
 天正五(1568)年と寛保三(1743)年の2度にわたって焼失するが、それぞれ大野山城守、加藤出羽守らの支援で再建された。
 境内には、県の天然記念物に指定されている「乳出の大イチョウ」と呼ばれる推定樹齢1300年、根回り15m、高さ45mの大樹があり、幹に垂れ下がる気根の皮を煎じて飲むと乳の出がよくなるという言われている。
 更に、「三島神社の兄弟かや」と呼ばれる樹高約25mと30mの二本の大かやがあり、共に推定樹齢は700~800年とされ、町の天然記念物に指定されている。
 内子町の三嶋神社は、大樹で有名な古社である。
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