NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/27


宇都宮城 Utsunomiya-jou 

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 宇都宮城(うつのみやじょう)は、栃木県宇都宮市本丸町にあった城である。
 はじめて宇都宮城を築いた人物は、11世紀の平安時代、藤原秀郷とも藤原宗円ともいわれているが、詳細は判然としない。
 宇都宮氏は鎌倉時代から室町時代・安土桃山時代まで530年にもおよび国司・守護・関東八屋形に列せられ、宇都宮城はその宇都宮氏の居城となり、北関東支配の拠点となった。
 慶長二(1597)年、時の城主・宇都宮国綱は豊臣秀吉により追放され、宇都宮氏は滅亡した。
 以後城主が次々と入れ替わり、明治に入って戊辰戦争で新政府方についた宇都宮城は激戦地となり炎上し、大半の建造物を失った。
 終戦直後までは堀が残っていたが、現在は土塁が少々と公園が残るだけとなっている。
 宇都宮城は、長い間宇都宮の政治・文化の拠点であった城である。
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2007/11/26


羽村 阿蘇神社 Hamura Aso-jinja 

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 東京都羽村市内を流れる多摩川。
 その多摩川そばの崖上に佇む古社が、阿蘇神社(あそじんじゃ)である。
 その創建は西暦601年、推古天皇の御代に、推古天皇本人によるものとされる。また、承平三(933)年には平将門が社殿を造営したとも、その将門を討った藤原秀郷(ひでさと)が造営したとも言われている。その後は徳川家康が参詣し、続き家光、綱吉、吉宗など、徳川将軍家からの朱印状が続くこととなる。
 境内には藤原秀郷が手植えしたといわれる椎の大木があり、東京都の天然記念物に指定されている。
 その樹齢は八百年とも千年とも言われるが、樹勢は盛んで、将門伝説を今に伝えている。
 都の有形文化財に指定されている本殿は、一間社流造のこけら葺きの屋根など、神社建築として歴史的価値も高く、長い歴史と文化の歩みを感じさせる荘厳なものである。
 四季折々の風情豊かな地に鎮座する古社は、訪れる人々を悠久の歴史の旅へと誘ってくれるだろう。
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あきる野 二宮神社 Akiruno Ninomiya-jinja 

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 二宮神社は、東京、あきる野市二宮に鎮座する、國常立尊(くにとこたちのみこと)を祀神とした神社である。
 その創建年代は不明ながら、日本武尊が東征の折り、國常立尊を祀ったのが始まりといわれ、平安時代に編纂された延喜式神名帳にも登場する、古式ゆかしい神社である。
 また、藤原秀郷(ひでさと)が、平将門追討の折り、同社に戦勝祈願を行ったとも伝えられている。
 同社は多摩市の一の宮から始まり、横浜市の椙山神社を六の宮とする「武蔵六社宮」の二の宮にあたり、社号もこれに由来している。
 毎年九月八日から二日間、しょうが祭りが行われており、普段は静かな境内も「しょうがを食べれば風邪を引かない」という言い伝えの元、多くの参拝者で賑わいを見せる。
 境内には都内で最も古いといわれる、数学の問題を解いて奉納した算額が残されている。
 緑多い静かな境内で算額を前に、昔の人と知恵比べをしてみるのも面白いかもしれない。
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2007/10/22


住吉の火祭り Sumiyoshi-no-hi-matsuri Sumiyoshi Shrine Fire Festival

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 住吉の火祭り(すみよしのひまつり)は、毎年1月の第2土曜に、勝部(かつべ)の火祭りとともに開催される祭りで、滋賀県の無形民族文化財に指定されている。
 今から約800年前、土御門天皇(つちみかどてんのう)が危篤となり、原因が三上山の大ムカデの危害によるとされた。そこで藤原秀郷が三本の弓矢を一度に放ち、大ムカデは頭が住吉神社に、胴体は勝部神社に、そして尾部は瀬田の唐橋近くまで飛び散った。この遺骸はそれぞれの地で供養され、焼き払われたことから、両社に分かれて祭りが行われるようになった。
 午前中に神社境内で神事が行われ、年寄衆の弓射式で祭りが開始される。夜には白と赤のふんどし姿の若者たちが蛇の頭に似せた約6メートル、重量約400キロの大松明をかつぎ込み、無病息災を祈願して奉火する。
 若者たちのかけ声は勝部では「御脳平癒」を意味する「ごーよ ひょーよ」なのに対して、住吉では「平癒」を意味する「へーゆ へーゆ」とそれぞれ違うのも特徴である。
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2007/10/17


勝部の火祭り Katsube-no-hi-matsuri Katsube Shrine Fire Festival

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 勝部の火祭り(かつべのひまつり)は、毎年1月の第2土曜に、住吉の火祭り(すみよしのひまつり)とともに開催される祭りで、県の無形民族文化財に指定されている。
 ここ勝部の地には、藤原秀郷の放った矢で息絶えた大ムカデの胴体が落ちてきて、それを焼き払ったことから、大ムカデをかたどった松明が用意される。軸が長さ約6メートル、直径約40センチの巨大な円柱である。
 勝部神社は大化五(649)年物部宿禰広国(もののべすくねひろくに)が祖神を祀ったといわれる古い神社で、戦国時代には近江守護の佐々木氏や、織田氏・豊臣氏にも厚い庇護を受けたとされている。
 この境内で主役のムカデである12本の巨大松明に、御神酒・鰯・豆腐を供えて祈祷したあと、若者が褌姿で揃い、神前の御神火から火をもらって一斉に点奉火する。
 若者たちのかけ声は勝部では「御脳平癒」を意味する「ごーよ ひょーよ」、住吉では「平癒」を意味する「へーゆ へーゆ」とそれぞれ違うのも特徴である。
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2007/8/2


宮城 祇園八坂神社 Miyagi Gion-yasaka-jinja Gion Yasaka Shrine in Miyagi

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 祇園八坂神社(ぎおんやさかじんじゃ)は、宮城県大崎市にある、「祇園さま」の名で広く親しまれている由緒ある神社だ。
 その創建は不詳であるが、延暦二三(804)年、坂上田村麻呂の勧請によるものだと伝えられる。
 その後は荒廃するにまかせていたのを天慶三(940)年、平将門を討った藤原秀郷が奥州鎮守府将軍に任ぜられた際に再建されることとなる。
 しかし、再び戦火により社殿などが焼失、慶長五(1601)年に伊達政宗公により、ようやく社殿が再建されることとなった。
 かつては現在の大崎市にあたる志田群の総鎮守として崇められ、藩政後も日本三祇園一之宮として、歴代の藩主から篤く崇敬されていくこととなる。
 例大祭が毎年の七月に行われ、神輿渡御行列や大名行列などが催され、今も多くの参詣者が訪れる。
 歴史の荒波に翻弄されてきたこの神社も、今は拝殿の天井に花鳥画が描かれ、訪れる人に華麗な歴史の一幕を見せてくれている。
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2006/11/29


天明鋳物 Tenmyo-imono Tenmyo Cast Iron Works

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 栃木県佐野は古くから鋳物の産地として知られ、当地で造られた美術工芸鋳物を総称して天明鋳物と言う。
 歴史は古く、一千余年前から始まる。天慶3年(939年)に起こった平将門の乱を鎮め、唐沢城の初代城主となった藤原秀郷公が、京から5名のすぐれた鋳物師を連れて来て軍器などの鋳造にあたらせたのが天明鋳物の始まりとされる。戦乱が終わると、佐野近辺に住み着いた鋳物師たちが先立ちとなり、日用品・仏具・湯釜の類を造りはじめたのだった。以降、平安、鎌倉、江戸時代と天明鋳物は全盛を極めていく。
 代々守られ育てられてきた天明鋳物。朱銅の色合いが美しい銅器、力強さの中に気品を備える茶器、重厚感のある文鎮など、その美しさは今でも多くの人々を魅了してやまない。
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