NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/22


織物 Orimono 

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 染織ともいい、糸を縦横に一定の規則によって交差させ、隣の糸と空間がないように織る布のことを指す。
 縦糸と横糸を交互に組み合わせた平織り、斜めの線を出すことができ、地厚の織物が作れる綾織り、糸の交差の間隔を隣り合わないように織られ、手触りがよく光沢がある朱子織りの3つを織物の三原組織といい、織物の基礎とされている。
 複数の種類の繊維を使い織ることを混用といい、糸の製造段階で、組み合わせることを混紡、縦横の糸を異なる糸で織ることを交織という。
 重量の単位を目付と呼称し、1目付は、4.3055g/㎡であるが、和装品用の織物では、1反の重量をグラムで表す。
 日本の織物の歴史は古く縄文時代に始まったとされ、魏志倭人伝に、3世紀ごろには蚕から糸を紡いだ絹織物が生産されていた記録が残っている。古事記や日本書紀にも、技術者が渡来して中国大陸の技法を伝えたことが記録されている。
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2006/12/17


吉野ヶ里歴史公園 Yoshinogari-rekishi-kouen Yoshinogari Historical National Government Park

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 吉野ヶ里歴史公園は、日本固有の優れた文化的資産、吉野ヶ里遺跡の保存・活用をはかるため作られた国営公園。佐賀県神埼市、神埼郡吉野ヶ里町にまたがる脊振山系より舌状に延びた丘陵上にある。面積は54ヘクタール。
 吉野ヶ里遺跡は紀元前3世紀から約600年続いた弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌を示す遺跡が多数存在し、現存するものとしては我が国最大の遺跡である。
 出土品では、重要文化財に指定される「有柄銅剣」や「ガラス製管玉」等、学術的な資料として高い価値を有する。
 広大な公園内には当時の「復元建物」が多数作られ、面積のなかにはたくさんの自然も見られる。また、展示室では貴重な出土品が多数展示されている。
 「三国志」の「東夷伝」では、日本に関する部分が「魏志倭人伝」として書かれている。当時日本は、「邪馬台国」と呼ばれ、存在した地がこの吉野ヶ里、あるいは、奈良の大和なのかいまだ論争は続く。
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末慮館 Matsuro-kan Matsurokan

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 末慮館は、佐賀県唐津市にある歴史民族博物館で、日本最古の稲作遺跡とされる菜畑地区に在する。「末慮」(まつろ)とは「魏志倭人伝」にでてくる言葉で、唐津市郊外の「松浦」のことである。
 弥生時代の高床式倉庫を模した外観が特徴的である。
 稲作の発祥と伝播についての資料が豊富。復元された水田跡や竪穴式住居、弥生時代の菜畑集落のジオラマ模型がある。常設展示室では、石包丁、炭化米、農機具、鯨骨など出土品を見ることができる
 年間行事として毎年10月に「収穫祭」が行なわれ、稲の収穫に感謝する。
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