NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/9


金剛證寺 Kongoushou-ji 

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 金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市の朝熊山(あさまやま)南峰の経ヶ峯に位置する古刹で、御本尊は日本三大虚空蔵菩薩の一つ、福威智満(ふくいちまん)虚空蔵大菩薩である。
 伊勢神宮における北東の方角である鬼門を守る寺としても知られている。
 その創建は、第二九代欽明天皇の御代(509~571)、暁台(きょうたい)上人によって明星堂が開かれたのが始まりとされる。
 平安時代の天長二(825)年には弘法大師によって真言密教道場として堂宇が建立され、密教修業の大道場として隆盛を誇った。
 その後、衰退を見せるも応永年間(1248~1394)に仏地禅師により再興され、以来禅寺に改められて今に至っている。
 現在の本堂は、岡山城主であった池田輝政の寄進により、慶長一四(1609)年に再建されたもので、その一重寄棟造の堂々たる巨宇は国の重要文化財に指定されている。
 境内には約一万柱が立ち並ぶ供養卒塔婆、その卒塔婆道への入り口に立つ極楽門などがある。
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2008/4/25


烏城紬 Ujou-tsumugi 

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 烏城紬(うじょうつむぎ)は、岡山市伊福町に伝わる絹織物である。県の伝統工芸品に指定されている。
 寛政一〇(1798)年、塩分に強い綿栽培が発達した児島湾干拓地の灘崎村迫川・宗津あたりを中心に興った袴地織りが、その始まりとされている。
 安政年間(1854~1860)、着尺紬(きちゃくつむぎ)が多く織られるようになり、備前池田藩はこれらに岡山城の別名である烏城の名を付け、保護奨励したとされる。
 大正に入って綿を絹に代え、くず生糸を利用して緯糸(よこいと)に「からみ」の技法を加え、現在の烏城紬が誕生したという。
 手紬ぎ、高機による手織りのため緯糸打ち込みにばらつきが多く、これが糸の鈍い光沢と共に素朴な味わいを呈している。
 烏城紬は、丈夫でしなやか、保温性も抜群な伝統の絹織物である。
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2007/1/24


岡山後楽園 Okayama-kourakuen Okayama Korakuen

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 日本三名園に数えられる国指定特別名勝、「岡山後楽園」。岡山県岡山市に所在する。
 岡山後楽園は、岡山藩2代目藩主、池田綱政が重臣の津田永忠に、命じて造らせ、元禄十二(1700)年に完成した江戸時代初期の大名庭園だ。その後も歴代藩主の好みで手を加えられたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現代に伝えられている。
 藩主が賓客をもてなした建物「延養亭(えんようてい)」を中心とした林泉回遊式の庭園で、園外の岡山城や周辺の山を、庭を形成する背景として取り入れた構成になっている。
13万平方メートルにおよぶ広大な敷地には芝生や池、築山、樹林が配されており、園路をたどりひと廻りすると、移り変わる景色が一巻の絵巻物のように楽しめる。
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岡山城 Okayama-jo Okayama Castle

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 慶長二(1597)年、豊臣五大老のひとり、宇喜多秀家が築城した岡山城。天守は黒漆の板張りで、別名「烏城」と呼ばれ、隣県の白鷺城と呼ばれる姫路城と対比される。また、この天守は4重6階の複合形式で安土城の天守を模したものとも言われている。
 築城当時は、築城技術の発達が盛んな時期で、岡山城は豊臣秀吉の大阪城、毛利輝元の広島城と並んで近世城郭のさきがけとなったという。
 不等辺五角形の天守閣、野面積の石垣が猛々しい魅力を持つ「男性的」な城に仕上がった。
 くしくも第二次世界大戦の際に天守、石山門を焼失したが、1966年、岡山大学に残されていた設計図を基に天守閣が再建された。1996年には金箔瓦と金の鯱に改修され内容も一新。
 戦災を免れた月見櫓は国の重要文化財となっている。
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