NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/3


熊野若王子神社 Kumano-nyakuouji-jinja 

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 「新熊野神社」「熊野神社」とならんで京都の熊野三山のひとつである、京都市左京区の熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)。深い山に包まれひっそりと佇む神社である。
 後白河天皇が永暦元(1160)年に禅林寺(永観堂)の守護神として、熊野権現を勧請したのがはじまりとされている。天照大神、伊佐那岐(いざなぎ)命、伊佐那美(いざなみ)命、国常立(くにとこたち)命を祭神としている。社名は天照大神の異名、若一王子に由来するという。
 鳥居の横には御神木である樹齢四〇〇年といわれる梛(なぎ)の木がそびえ立つ。古来より罪や汚れを祓い清める禊(みそぎ)の木として用いられたという。梛の葉で作ったお守りは、全ての悩み事「なぎ倒す」という意味で今も用いられている。
 若王子さんと呼ばれ、縁結びの神様としても人気が高い。
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2008/7/1


唐桑 弾き猿 karakuwa Hikisaru 

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 唐桑の弾き猿(からくわのひきさる)は、宮城県気仙沼市唐桑町にある日高神社の祭礼にて売られる玩具である。
 日高神社は唐桑半島の突端にあり、別名・御崎神社(おさきじんじゃ)とも言う。地元では、航海・縁結びの神「おさきさん」として親しまれている。
 神社で行われる旧正月一四、一五日の祭礼には、岩手県南の大船渡や陸前高田方面の漁師たちも参拝に来て賑わう。
 この時、さっぱ舟・風車などと共に縁起物「唐桑の諸玩具」として売られるのが、弾き猿である。
 弾き猿は、昔は全国各地で見られた素朴な玩具で、下の竹のバネを弾くと、猿が弾かれて上下し、「年の始めに悪しきを弾き去る」と言う意味がある。
 唐桑の弾き猿は、「災いを去る」縁起物の郷土玩具である。
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2007/10/18


粟嶋神社 Awashima-jinjya 

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 大分県豊後高田市の旧真玉町と旧香々地町の境に位置し、海に突き出た岩窟に社がある珍しい神社。いつの頃からか縁結びや安産など女性の願いを叶えてくれる神様として信仰される様になり、多くの参拝者が訪れている。また、桜の時期には荒々しい海の景観と桜がダブルで楽しめ、人気がある。隣接している粟嶋公園に設けられた木造の展望台からの眺望も素晴らしい。
 旧暦3月3日は粟嶋さまのお祭りで、この日は潮が一番引く日。竜宮に続いている道が現れると云われ、その道は八代竜王を祭る猪群山(いのむれやま)へと続いていると云われている。
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2007/9/14


門川町 中山神社大祭 Kadogawa-cho Nakayama-jinja-taisai The Grand Festival at Nakayama Shrine in Kadogawa

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 中山神社は門川町(かどがわちょう)にあり、天安元(857)年、文徳天皇の時代に出雲大社から分霊したといわれる。
 この神社は大己貴命(おおあなむちのみこと)など四神を祀っている。大己貴命は大国主神(おおくにぬしのかみ)のことで、色好みの一面を持った神様で知られる。その昔、狭い参道で若い男女がすれ違うと恋が芽ばえると言われ、縁結びで有名になった。
 縁結びのご利益のほか、商売繁盛でも知られ、特に一月七日におこなわれる大祭では、年男や厄年を迎えた男の人などが、白鉢巻きに白足袋のふんどし姿で大きな掛け声を上げて、境内までの石段を一気に駆け上がる「裸まつり」が有名である。男たちは寒さの中、境内で冷水を頭から浴びて身を清め、家内安全や無病息災などを祈願する。
 昔から、男はふんどし姿、女は腰巻きで参拝していたといわれており、「中山さんは、良い神よ 着物がなければ、裸で良い 草履がなけりゃ、裸足で良い」という歌が残されている。
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2007/8/23


恋の水神社 Koi-no-mizu-jinja 

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 知多半島のほぼ中心にある美浜町に、縁結びの神様として知られている恋の水神社(こいのみずじんじゃ)がある。美都波能女之命(みずはのめのみこと)が祀られている。
 もともと延命長寿に効く神水とされていたが、悲恋物語によって縁結びに御利益があるといわれるようになった。
 平安時代末期に、桜町成範大納言の娘である桜姫が、恋人・青町の患う病に効く水があると聞き、桜姫はこの社を訪れたが、ついに水に辿りつけぬままに息絶えたという伝説がある。そのことから「恋の水神社」という名前が付けられた。
 境内の中心に、病気の中でも特に恋の病に効くといわれる「恋の水」が湧いている。紙コップに願い事を書き込み、そこに万病に効くという神水を半分ほど汲み、お供えするとご利益があるといわれている。
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2007/8/9


佐倍乃神社 Saeno-jinja Saeno Shrine

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 佐倍乃神社(さえのじんじゃ)は、宮城県名取市にある旧号・笠島道祖神社(かさじまどうそじんじゃ)といわれた、由緒ある神社だ。
 社伝によれば、景行天皇四十(110)年に天皇より東征を命ぜられた日本武尊がこの地に勧請したのがその始まりとされ、この際、道祖神としても崇められる猿田彦が道案内として随行していたことから、道祖神を祀り、創建されたと伝えられている。
 大永二(1522)年に本殿が造営されて以降は、伊達政宗公ら仙台藩の歴代藩主達に篤く尊崇され、政宗公直筆の神額や古刀剣などが収蔵されている。
 祭神である猿田彦神(さるたひこ)は道の神として、また一緒に祀られている天鈿女命(あめのうずめ)は夫婦の神であり、二神が共に生活の道を守ることから縁結びや夫婦和合の神として崇められ、毎年四月二十日の例祭日には県の無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納される。
 歴史の重みあるこの神社で拍手を打てば、ひょっとしたらなにか道が開けるかもしれない。
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2007/8/2


島田飴まつり Shimada-ame-matsuri Shimada Candy Festival

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 島田飴まつり(しまだあめまつり)は、宮城県黒川郡大和町にある吉岡八幡神社にて、例年12月14日に行われる祭りである。
 元和四(1618)年、仙台藩祖・伊達政宗の三男宗清が下草から吉岡に移った際に、同時に下草から移され、新造されたのが吉岡八幡神社の創祠とされる。
 元和年間(1615~23)のある年の12月14日、時の神主が文金高島田姿の花嫁に恋をして病に倒れたため、心配した村人たちが島田髪の形をした飴を作って奉納したところ、病が回復した事に由来する祭りとされる。
 参拝すれば恋がかなうといわれており、ご利益にあやかろうと多くの人がこの祭礼の日、飴を求めにやってくる。
 島田飴まつりは、縁結びに御利益あらたかと伝わる島田髷形飴を売る店が並び、多くの若者たちが参詣する賑やかな祭りである。
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2007/7/30


椙本神社 春の大祭 Sugimoto-jinja Haru-no-taisai 

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 いの町の椙本神社(すぎもとじんじゃ)は、1200年という長い歴史があると伝えられている。地元では「伊野の大黒様」と呼ばれ親しまれており、商売繁盛・家内安全・縁結びに御利益があるとされている。
 土佐古来三大祭りの一つとなっている春の大祭では、名野川神楽、獅子舞等の奉納が行われるが、大黒様の舞の後、大黒様といっしょに「わっはっはっ」と大声で笑うと福を得ることが出来ると言われており、境内は福々しい笑い声に包まれる。神楽の後「幸福への御縁」のお札をいただくことができるが、参拝客が殺到するという。
 また、神社内で手作りされている、笹に井草を細かく編んだ小さな俵や小判形の短冊などを結び付けた「古式福俵」も、「大黒様の福を家に持ち帰る」という意味が込められ、大変人気がある。
 椙本神社の春の大祭は毎年旧暦の1月22日に行なわれているが、現在の暦にすると1月から3月の間で毎年変わることになる。
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