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2008/6/12


煎茶道 Sencha-dou Senchadou

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 煎茶道(せんちゃどう)は、茶道の一種であり、抹茶を用いる茶道とは違い、急須等を用いて煎茶や玉露などの茶葉に湯を注いで飲む形式を採っている。
 そのため、広義では茶道であるが、一般的には茶道とはまた別のものとして捉えられている。
 江戸時代初期に、禅宗の一つである黄檗宗(おうばくしゅう)を開いた隠元隆琦(いんげんりゅうき)が始めたとされている。
 この頃には茶道においてその形式化が進みつつあったが、そうした形骸化への反発や、煎茶が当時の最新の中国文化であったことなどから形式に捉われず、ゆったりと煎茶と語らいを楽しむ「煎茶趣味」が急速に趣味人たちの間で広まり、また、江戸時代中期には中国文化から離れた、独自の方向性などが現れたこともあって、江戸や京都を中心に普及していった。
 昭和三一(1956)年には全日本煎茶道連盟が設立され、流派も様々存在しており、江戸時代に誕生した「宗匠派」に始まり、現在でも三十九の流派が連盟に加盟している。
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2008/5/15


合気道 Aikidou 

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 合気道(あいきどう)は、日本古来の柔術や剣術、杖術など諸武術を基に、昭和六(1931)年に創始された現代武道である。
 当初は「合気武道」と称していたが、昭和二三(1948)年より、現在の合気道の名が用いられるようになった。
 技は体術はもとより剣や杖などの武器術も含み、対多人数の場合も想定した総合武術となっており、戦時中は旧陸軍中野学校や旧海軍大学校などでも指導された。
 この武道の特徴は、独特の体捌きによって攻撃線をかわすと同時に、相手の死角に入って自分有利の位置と体勢を確保し、最小の力で相手の体勢を崩して投げ技や固め技によって効率良く相手を制するところにある。
 この、独特の力の使い方や感覚を「合気」と言い、年齢や性別、体力に関係なく、まさしく「小よく大を制す」ことが可能になるとされている。
 今日では合気道人口は国内だけでも百万人といわれており、また、海外普及の効果もあって、国際的にも「合気道」の名は認知されつつある。
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空手 Karate 

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 空手(からて)は、琉球王国時代の沖縄をその発祥とする、拳と足による打撃技を主体とした武道である。
 その起源に関しては諸説あり、どれも定かではないが、大正時代に本土に伝えられ、「空手」の名称で呼ばれるようになったのは昭和四(1929)年からである。
 各種の技を決まった順序で一人で演武する「型」と、二人で相対しておこなう練習形式である「組手」を基本構成とし、古くからこの二つを繰り返し練習することが基本となっている。
 この繰り返しが、空手における基本的な技や姿勢、実践的な身体動作を自然と身につけていくことにつながるのである。
 勝敗を目的とした組手を「組手試合」といい、現在では寸止めルールを採用する伝統派空手と、直接打撃制ルールを採用するフルコンタクト空手に大別される。
 国内はもとより海外にも広く普及し、流派も多数が存在しており、柔道と並び世界各国で親しまれている日本発の武道である。
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2008/4/25


古武道 Kobudou 

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 古武道(こぶどう)とは、剣道や柔道の母体となった古い武術の総称で、武士が習得すべき修養護身の術、演武として見せる技のことを指す。剣術・弓術・槍術・合気道・柔術・琉球古武術など、古くより伝承された技が様々残っている。
 平安時代(794~1185)から始まり、江戸時代(1603~1867)末期には、弓術五二・剣術七一八・槍術一四八・柔術一七九の流派があったといわれているが、現在は、五〇〇ほどまで流派が減少したといわれている。各流派ごとに歴史や技法の特徴・体系がある。
 演武では、かけ声とともに剣術や薙刀術(なぎなたじゅつ)・ぬんちゃくや棒など武器を使い、脳天や小手・腋(わき)という急所を狙って寸止めする。
 現在は女性の護身術としても活用されている。
 
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2008/4/11


弓道 Kyuudou 

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 弓道とは、剣道・柔道と並ぶ日本で最も広く行われている武術の一つである。
 長さ221センチメートルの長い和弓(わきゅう)を用い、矢を放ち的にあてる。この間、射法八節(しゃほうはっせつ)という規定動作が行われる。足踏み(あしぶみ)・胴造り(どうづくり)・弓構え(ゆがまえ)・打起し(うちおこし)・ 引分け・会(かい)・離れ・残心(ざんしん)の順に所作を行う。この動作は、心身の鍛錬と礼儀作法を基調としている。
 上着は白木綿で襦袢(じゅばん)形の筒袖、黒や紺色の袴(はかま)を着用する。男性は馬乗袴、女性は馬乗袴または、長いスカートのような行灯袴(あんどんばかま)である。弓掛(ゆがけ)という鹿の革の手袋を右手に着け、弓を引く。
 競技方法は「あたり」と「はずれ」のみで判定する得点制と、審査員が採点する採点制がある。
 現在は武芸からスポーツへ移行してきてはいるが、古来から続く流派も存在している伝統文化である。
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剣道 Kendou 

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 剣道(けんどう)とは剣術の竹刀稽古を競技化した武道である。
 平安時代(794~1185)の中頃に日本刀が出現し、室町幕府以降には、剣術の高度化が進み洗練された刀法が確立されていったとされる。
 江戸幕府以後、剣術は人を殺傷技術から武士としての技芸や精神鍛錬の目的が強くなり、竹刀稽古が盛んになった。大正八(1919)年、剣術から「剣道」と改名され、庶民にも広まっていった。
 選手の服装は剣道着と袴(はかま)を基本とし、防具として垂れ・胴・面・小手の剣道具を着用する。試合場では一辺9~11メートルの正方形ないし長方形の中で二人が向き合い、竹刀で防具の決められた箇所を打ち、技とする。
 一切の無駄を省いた姿・形の美は、現在にいたるまで老若男女を問わず人気の武道であり、昭和四五(1970)年に、国際剣道連盟が結成された事で、世界各地でも浸透しつつある。
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2008/2/12


坐禅 Zazen 

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 禅とはインドから中国、そして日本へは鎌倉時代に伝わったとされる宗教である。武士や庶民にも広まり、各地に禅寺が建てられた。
 その禅の修業のひとつ、坐禅(ざぜん)とは、姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、基本的な修行のことをいう。
 座禅とも表記されるが、正式には「坐」の字を使用するという。坐禅は坐ることに重きを置く修行である。
 姿勢、呼吸、心を整え、坐禅用の座布団、坐蒲(ざふ)の上に腰を下ろし、浅くあぐらをかく。足の組み方や体勢など、いくつか独特の流儀があるという。そして目を閉じて、ひたすら無の境地に至ることが目的とされている。
 坐禅による腹式呼吸の効果は医学的にも認められてきており、健康目的などにも体験する人が増えているという。
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2007/12/26


華道 Kadou 

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 四季折々の草花や樹木などを花器に生けてその姿の美しさや「いのち」の尊さを表現し観賞する「華道(かどう)」は、いけばなに「道」としての側面を加えたもので、礼儀作法を大切にする日本の伝統的な芸術である。
 仏教が日本に伝来し、発展に伴って仏前に花を手向ける様になった事がいけばなとしての始まりで、草木や花を人間と同じ「いのち」のあるものとして見つめ、その美しさを花瓶の上で表現したものが華道とされる。江戸時代後期の文化・文政(1804〜1829年)に生花や挿花が流行し、池坊(いけのぼう)を中心に数多くの流派が全国に広がっていった。
 芸術としての華道は師から弟子へ伝承され、花を生ける技術だけではなく、人間的な面や生き方といった思想的なものにまで及んで受け継がれる。
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