NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/29


御殿まり Goten-mari 

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 御殿まりは江戸時代中期頃、全国各藩の奥方や奥女中たちが遊具として作ったのが始まりといわれている。後にこれが民間にも広がり、御殿の奥女中たちが作っていたため、御殿まりと呼ばれるようになった。
 山形御殿まりは、山形県鶴岡市、酒井氏が城主である鶴岡藩、通称、庄内藩の藩士の妻や娘、奥女中たちが作っていた手工芸品の一つである。
 大きさは直径8センチものから30センチの大きさのものまで様々で、 模様は幾何学模様や、梅、菊、麻などの花や植物などが描かれた。
 特に庄内藩に伝わる御殿まりは伝統の色彩を守りながら、厳しいほど根気よく丁寧に作られたので、色鮮さと繊細な作りを備えた素晴らしい御殿まりといわれるようになった。
 明治以降は鶴岡市の伝統工芸品として御殿まりは全国に知られていったのである。近年、多くの人々の努力により再び脚光を浴びてきている。
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2008/7/15


相良人形 Sagara-ningyou 

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 相良人形(さがらにんぎょう)は、山形県米沢市に伝わる土人形である。東北三大土人形のひとつとされている。
 安永七(1778)年、米沢藩主である上杉鷹山(うえすぎようざん)が、領内の産業振興のため、藩士・相良清左衛門厚忠(さがらせいざえもんあつただ)に命じて製陶所を設けて作らせたのが起源とされる。
 清左衛門は諸芸に通じ、特に彫刻をよくしたので、その特技を活かして京都の伏見人形の型を学び、堤人形にも影響を受けながら、独自の人形型で土人形を創始し、自らの姓をいれ相良人形と呼んだ。
 相良人形は江戸から明治にかけて数多く作られ、中でも江戸期のものは古相良(こさがら)と呼ばれ重宝されている。
 現在は、鯉担ぎ・前帯女郎・像乗り童子など、100種余りが制作されている。
 相良人形は、とても可愛らしい、伝統の郷土民芸品である。
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2008/7/11


深山和紙 Fukayama-washi 

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 深山和紙(みやまわし)は、山形県西置賜郡白鷹町深山に伝わる手漉き和紙である。県の無形民俗文化財に指定されている。
 その起源は遠く室町時代末頃まで遡り、郷土に残る古文書によれば、江戸時代初期にはすでに上り紙(のぼりかみ)として、江戸にまで送り出されていたという。
 楮(こうぞ)を原料とし、古式豊かな手法によって漉き出され、無類の強靭さを誇り、風雨に晒せば晒すほど白さを増す。良質の和紙は厳冬下での生産が必須とされ、一一月から三月にかけてじっくりと行われる。
 手作業で手間暇もかかるため、量産できない。非常に稀少価値が高く、一冬でつくり上げる和紙は、この和紙に惚れ込んで注文してくる芸術家たちへと送られている。
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2008/6/20


滑川の大滝 Namekawa-no-ootaki 

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 滑川の大滝(なめかわのおおたき)は、山形県米沢市大沢にある、落差80m、幅20mの滝である。日本の滝百選の一つとされている。
 吾妻連邦、標高1928mの東大てんから流れ出た、米沢市の南東、大沢川の滑川温泉先にあり、滑川温泉から20分ほど歩くと滝を眺望できる展望台に行き着く。
 吾妻3大滝のひとつとされ、吾妻連邦最大の滝で、尾根から岩を滑るような流れは素晴らしい。
 高さ・水量の多さは荒々しさを与え、滝口から岩肌に筋をつけながら、滑らかに削られた岩肌を複雑に裾広がりに伝い落ちてゆく滝の姿は、まるで天女の羽衣を連想させ、流れ落ちていく流水の見事な調和は、美しさを感じさせてくれる。
 冬には積雪があり、余程の冬山のベテランでないと近づけないという。
 滑川の大滝は、秋には紅葉も美しい見応えある瀑布である。
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2008/5/14


飯豊山 Iide-san 

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 飯豊山(いいでさん)は、磐梯朝日国立公園の中部に位置し、福島、山形、新潟の三県にまたがる四千ヘクタールにも及ぶ雄大な飯豊連峰の主峰である。
 標高は2105mで、連峰最高峰の2128mを誇る大日岳や2017mの鳥帽子岳などの2000m級の個性的な峰と共に「東北の北アルプス」とも呼ばれる雄大な山容を形成している。
 その威風堂々とした量感のある山容は、雪食により生まれた深く険しい尾根と、その反対側のおだやかな稜線の二面性を持つ。
 古来は、役小角が知同和尚と開山したとされる山岳信仰の場であり、江戸時代には修験者が多く訪れ、山頂には飯豊山神社が今も祀られている。
 また、高山植物の豊富な山としても知られており、ハクサンチドリやイイデリンドウ、イワカガミ、ヒメサユリなどがシーズンになると可憐な花を咲かせる。
 山麓は非常に大きく、頂上までの行程も距離はあるが、充分な装備で望めば雪渓やお花畑などバリエーション豊かな、雄大な山並みを楽しめるだろう。
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吾妻山 Azuma-yama 

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 吾妻山(あずまやま)とは、山形県と福島県にまたがり、東西18kmに渡って伸びる那須火山帯に属する火山群の総称だ。
 日本百名山にも数えられており、最高峰である西吾妻山を筆頭に、西に位置する磐梯山の北まで、東大巓や中吾妻山、西大巓などの標高2000m級の火山が連なっている。
 その山容は西と東で姿を変え、西吾妻火山群は比較的おだやかで稜線も広く、なだらかなものであり、山頂付近は原生林と高山植物で覆われ、池塘群が広がる高層湿原を多数形成している。
 対して東吾妻火山群は、狭く起伏の多い尾根からなり、山頂まで原生林で覆われて、遠くからも険しい山容を見せてくれる。
 同山はまた、分布上の北限または南限とされる植物が多数自生し、珍種も多く存在するのが特徴で、国の天然記念物であるヤエハクサンシャクナゲの自生もみられる。
 ロープウェイもあって登山初心者でも充分に楽しめ、春から初夏に掛けては高山植物、秋には紅葉、冬はスキーと毎年、多くの人を惹きつけている山だ。
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2008/5/2


朝日山 Asahi-san 

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 朝日山(あさひさん)は、山形県と新潟県の県境に広がる越後山脈の最北部に連なる山々の総称である。
 朝日岳や朝日連峰とも呼ばれ、主峰である標高1870mの大朝日岳や1647mの小朝日岳、1814mの西朝日岳、1688mの竜門山などが、南北60km、東西30kmに及ぶ山塊となって横たわっている。
 北に位置する出羽三山、そして南の飯豊連峰とともに磐梯朝日国立公園に含まれており、そのどっしりとした山容や有数の豪雪地帯である故の雪色によって刻まれた深い渓谷、変化に富んだ美しい高山植物など、東北屈指の山塊として威容を誇っている。
 主峰の大朝日岳は均整の取れた美しい三角形の山容を持ち、チングルマやアズマギク、ワタスゲなどの高山植物も豊富で、多くの登山者達に愛されている。
 山肌に見られる険しい渓谷とは裏腹に山稜は比較的なだらかで、森林限界を超えてからは、さえぎるものがない天上世界を満喫することができるだろう。
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2008/5/1


米沢城址(松が岬城址) Yonezawa-joushi(Matsugazaki-joushi) 

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 米沢城址(よねざわじょうし)は、山形県米沢市丸の内にある城跡である。別名・松が岬城址(まつがざきじょうし)とも呼ばれる。
 暦仁元(1238)年、長井庄の地頭・大江時広(おおえときひろ)が創築したと伝えられる。後に伊達宗遠(だてむねとお)、慶長三(1598)年に、直江兼続(なおえかねつぐ)が入城。その後、景勝自身が入城して米沢藩・上杉氏の居城となり、明治維新を迎えた。
 現在は公園として整備されており、堀と石垣が残っているだけだが、花見の名所で春には200本の桜が咲く。
 園内には藩祖・上杉謙信(うえすぎけんしん)を祀る上杉神社があり、上杉家伝来の宝物を多数収蔵した稽照殿(けいしょうでん)が隣接している。また、濠外東方に松岬神社、同南方に上杉記念館・市立児童会館などが建っている。
 米沢城址は、上杉家ゆかりの歴史ある城跡である。
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