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2008/11/25


大仙陵古墳 daisenryo-kohun 

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 大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)とは、大阪府大仙町にある日本最大の前方後円墳である。上空から見ると円と四角が合体した形をしていて、これは日本独自の形である。
 正式には百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)と呼ばれ、仁徳陵古墳として宮内庁が管理している。
 この古墳は、五世紀中頃、約二〇年の歳月をかけて築造されたと推定される。墳丘は全長約486メートルあり、後円部の径は約249メートル、高さ約35メートル、また前方部の幅は約305メートルで高さ約33メートルの三段築成となっている。
 外を廻る三重の外濠は、明治時代に掘り直されたものである。全周は2.8キロメートルで、現在は周遊路として整備されている。
 墳丘には、古墳の盛り土の上を覆うため敷きつめられた葺石(ふきいし)があり、巫女や水鳥、犬、馬、などの埴輪が出土している。
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2008/9/12


蔵敷高札場 Zoushiki-kousatsu-jyou 

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 蔵敷高札場(ぞうしきこうさつじょう)は、東京都東大和市蔵敷にある史跡である。都の旧跡に指定されている。
 江戸時代の上意下達(じょういかたつ)を張り出す高札場で、徳川幕府が法度や犯罪人の罪状など住民に知らせるために使われていたもの。お江戸日本橋をはじめ江戸には三五ヶ所あったといわれるが、明治時代になり、不要となると次々に取り壊され、多摩地区では府中とこの蔵敷の二ヶ所しか残っていない。
 旧青梅街道に面した旧名主内野家の門前に設けられたものだが、府中とは違って間口二米ほどの小さい場所となっている。ここに掛けられていた高札のいくつかは、今でも内野家に保管されている。
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2008/8/13


海野宿 Unno-Juku 

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 海野宿(うんのじゅく)は、長野県東御市本海野にある江戸・明治の伝統的街並みを残す場所である。寛永二(1625)年、日本の道百選のひとつに選ばれている、北国街道の宿駅として開設された。
 北国街道は、佐渡で採れた金の輸送、北陸諸大名の参勤交代の他、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くあった。
 宿の東西に桝形が置かれ、延長650mあり、中央を流れる用水の両側には103軒の家が続き、人足25人と25頭の馬が常備され輸送にあたっていたという。
 出桁造りの旅籠屋や、防火壁の役割を果たす立派な卯建の立っている家もあり、表構えの格子戸は特に「海野格子」と呼ばれる。
 時代を超えた建物が調和した街並みは、重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けている。
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2008/7/17


鬼縮緬 Oni-chirimen 

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 鬼縮緬(おにちりめん)は、日本に伝わる織物のひとつである。鶉縮緬(うずらちりめん)、鬼しぼ縮緬(おにしぼちりめん)、鎖縮緬(くさりちりめん)などとも呼ばれている。
 縮緬の種類のひとつで、しぼが荒く大きいのが特徴で、経糸(たていと)は生糸で、緯糸(よこいと)は強い右撚りの糸数本と、同じ本数の左撚り糸を交互に打ち込んでいく。
 逆方向に撚られた糸が隣り合う事でしぼが生じる。この緯糸の本数が多くなるほど、しぼが大きくなっていく。
 一般の縮緬が左右2越づつ交互に打ち込まれるのに対し、鬼縮緬は同方向の強撚糸を4~6越連続して打込むため、シボが大きい。
 明治時代半ばに作られたものとされ、化粧座布団地、縮緬幕、風呂敷などに用いられている。
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2008/7/11


古樺細工 Furukaba-saiku 

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 古樺細工(ふるかばさいく)とは、秋田県仙北市角館町に伝わる伝統民芸である。県の有形民俗文化財に指定されている。
 樺細工は、天明年間(1781~89年)に佐竹北家により、秋田県北部から角館に技法が伝えられたのが始まりとされる。
 佐竹北家の城主に手厚く保護を受けた樺細工は、下級武士の副業として広まり、明治時代に入ると禄を失った武士が本格的に取り組み、盛んとなった。
 樺細工はヤマザクラの木の皮を用いて作られる、国内では他に見る事のできないもので、あめ皮、ちらし皮、ひび皮等12種類の木の皮を使用し、用途に応じて使い分けられている。また、仕上げられた作品に同一の物はない。
 藩政期の古樺細工12点は県指定有形民俗文化財であり、角館樺細工伝承館にて展示されている。
 古樺細工は、郷土に伝わる貴重な伝統工芸品である。
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2008/6/23


剣岳 Tsurugi-dake 

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 空を切り裂く剣のような鋭い岩峰をもつ剣岳(つるぎだけ)は、標高二九九九mの、北アルプスの山岳の中でも最も険しい山である。剣岳または剱岳と表記される。
 その名のとおり鋭い山容で明治時代まで前人未踏の山と思われていた。ところが山頂には祠があり、その付近からは奈良時代後半から平安時代初期にかけての修行僧が置いていったとされる錆びた鉾(ほこ)や錫杖(しゃくじょう)が発見されたという。古来より信仰の対象になっていたことを物語っている。
 人を寄せ付けない厳しい姿をしているが、一般の登山者でも登頂できる道が整備されている。それでも山頂付近は「カニのタテバイ・ヨコバイ」と呼ばれる、鋭い傾斜した岩がある。スリルと壮大なパノラマを目指す登山者達の憧れの山である。
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2008/5/15


日永うちわ Hinaga-uchiwa 

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 「日永(ひなが)うちわ」は、農家の副業として作り始められ、江戸時代には東海道日永宿で伊勢参りの土産品として売られ親しまれたという。明治時代中期までは、十数の製造業者が軒を並べる盛況ぶりで、京うちわと共に全国にその名を轟かせたとされる。しかし、鉄道が開通すると宿場はさびれ、次第に衰退して行った。現在も営んでいるのは一軒しかないといわれている。
 特徴は、女竹(めだけ)の丸竹を使用するため、握りやすいところにある。また、骨の数が六四本と多く、柄と骨が一体となった丈夫な作りのため、弾力性があってよくしなり、柔らかな風が起こる。
 製作工程は手が込んでおり、その工程数は実に二〇以上にも及ぶという。三年物の女竹を切り落とし、一昼夜水に漬け六四本に割る。糸で等間隔に編んで、うちわの形を作り美濃紙を張る。絵柄は、木版画の手法で刷られた美人画や富士山、伊勢神宮が多い。
 最近は、伊勢型紙の技法を用いた透かし絵や、松阪木綿を素材に用いた製品を開発し、人気を博しているという。
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2008/4/15


明治時代東北地方野良着 型染め 浅舞絞り Meijijidai-touhokuchihou-noragi Katazome Asamaishibori 

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 浅舞絞り(あさまいしぼり)とは、江戸後期、秋田県の平鹿郡平鹿町浅舞地方で発達した絞り染めの技法である。
 特徴は、染める事と干す事が何度も繰り返されていて、堅牢性が非常に高く、草藍によって得られる美しい色彩や香り、更には防虫効果も高く、更にその模様はなんと200種類以上ともいわれるほど豊富だという。
 この「型染め 浅舞絞り」は、明治時代に東北地方で実際に野良着として使用するために作られたもの。
 袖は二種類の型染めとなっており、野良着ながら大変質の高い作りとなっている。
 全て手織りされたもので、本藍染の糸味の良い木綿で出来ており、状態の良さを考えると未使用の作り置きではないかとも思える。
 「型染め 浅舞絞り」は、時代を経てなお美しい藍色が魅力的な、野良着である。
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