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2007/10/24


青陰城 Aokage-jyou Aokage Castle

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 青陰城は、広島県尾道市因島田熊町にあった山城である。
 南北朝時代、北朝の小早川氏と南朝の河野氏が因島で激突したとき、北朝方である小早川氏に対抗する伊予衆が、東にある堂崎山城の防御の一環として築いたのではないかと言われている。
 村上水軍の地であった瀬戸内海に浮ぶ因島には、たくさんの中世の城跡があるが、この青陰城は、因島の中西部、標高277mの青影山の山頂にあり、因島村上水軍の本城となった。築城は村上三郎左衛門義弘と伝えられる。
 以後、270年間、因島村上氏によって支配されたが、関ヶ原の合戦の後、慶長五(1600)年頃に廃城となった。
 現在、平坦な本丸跡や館跡、石垣の一部などが残っている。また、青影山の北方にある金連寺は、因島村上氏の菩提寺で歴代の墓塔が残されている。
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2007/9/27


西村神楽 Nishimura-kagura Nishimura Kagura

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 隠岐(おき)の島町指定無形民俗文化財のひとつに「西村神楽(にしむらかぐら)」がある。西村神楽はもともと旧暦六月四日に行うのが習わしで、「麦神楽」といい、各戸から収穫したばかりの新麦を一合ずつ取り寄せて神前に供え、古くは下西の村上社家、東郷の村上社家、原田の村上社家を呼んで舞ってもらっていた。社家(しゃけ)とは、神楽を本業とする家筋をいう。
 昭和二五(1950)年になると、西村地区の人々が東郷村上家の手ほどきを受け、帰省者の多い八月に、自分たちで行うようになった。以来、神職を中心とした有志がこれを受け継ぎ、現在は西村神楽保存会が保存伝承活動に取り組んでいる。久見(くみ)神楽と共に隠岐の島に古くから伝わる神楽で、様々な独特な演目が演じられる。
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2007/9/6


耕龍寺 Kouryuu-ji Koryuji Temple

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 耕龍寺(こうりゅうじ)は、宮城県名取市増田北谷にある曹洞宗の寺である。
 応仁元(1467)年、室町時代前・中期の守護大名である伊達家第十一代・天海持宗によって開創された、伊達家ゆかりの古寺である。
 初代住職は持宗の第五男で、新潟県村上市の耕雲寺からやって来たという。
 山門は、伊達藩家老職・片倉家の居城であった白石城の門の一つを明治の初めに移築したもので、総ケヤキの素木造、屋根は切妻造の瓦葺で、薬医門類似形式の雄大な構えをしている。
 境内には、伊達家持宗夫妻の供養塔と言われる五輪塔2基がひっそりと佇んでおり、春には紅白の花桃三本が咲き誇る。
 耕龍寺は、立派な山門を持つ、長い歴史を誇る寺である。
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2007/8/24


村上大祭 Murakami-taisai 

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 新潟県下三大祭の一つに数えられる村上大祭(むらかみたいさい)は、西奈彌(せなみ)羽黒神社の例大祭のこと。地元で「おしゃぎり」と呼ばれる山車(だし)が出ることで有名。
 三基の神輿に御神霊を奉遷し、荒馬十四騎、稚児行列を先導に町内を巡行する神事だが、おしゃぎりの中には堆朱(ついしゅ)・堆黒(ついこく)と呼ばれる村上伝統の木彫り漆の粋を凝らした細工が随所に見られ、古いものでは二〇〇年以上も前のものもあるという。
 「おしゃぎり」の名前の由来は、歌舞伎や狂言の音曲やお囃子のことを「しゃぎり」と呼ぶところから来ているとされる。
 寛永一〇(1633)年、村上藩主が神社を城から見下ろすのは畏れ多いとして羽黒神社を現在の場所へ移されたことを祝い、人々が大八車に太鼓を積んで町を練り回したのが始まりと伝えられる。当初は旧暦の六月六日・七日に行なわれていたが、明治以降は新暦に変わり、毎年七月六日・七日となった。
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2007/8/2


氷室薬師堂 Himuro-yakushi-dou Himuro Yakushido

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 宮城県大崎市にある氷室薬師堂(ひむろやくしどう)は、正式名称を村上寺と称し、大同二(807)年に坂上田村麻呂が将兵の安全を祈り、建立したものと伝えられる非常に歴史のある寺だ。
 以来、鎮護国家衆生利益の道場として栄え、今に至ることとなる。
 鎮護ももちろんだが、特に眼病の霊験あらたかであるといわれ、今も遠近から篤い崇敬を受ける名刹としても知られている。
 拝殿脇には、神社で言うところの絵馬に相当する、目の部分が穿たれた、顔を模写した石がうずたかく詰まれており、訪れる人々の氷室薬師への篤い信仰が伺われる。
 またこの寺は宮城に昔から伝わる逸話の舞台でもある。
 根っからの臆病者の武士が、それを払拭すべく薬師堂に百日詣でをするも、満願の夜に現れた妖怪に勇気を出して切りつけてみたら、御堂の柱だったという話で、今もその刀傷を見ることが出来る。
 荘厳かつ霊験あふれる場ではあるが、なんともほっとする逸話も残す、不思議な空気を纏った寺である。
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2007/6/26


白神岬 Shirakami-misaki 

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 白神岬(しらかみみさき)は、北海道最南端の岬。
 渡島半島から枝分かれした松前半島の先端にあり、周辺は松前矢越道立自然公園に指定されている。青森の竜飛岬まではわずか19・2km。汐首岬に次いで、2番目に本州に近い場所である。津軽海峡に面するこの岬からは、天候がよければ竜飛岬を望むことができる。
 岬公園には、ここが北緯41度、東経140度の「北海道最南端」であることが分かる碑が立ち、格好の撮影ポイントである。丘の上には白神岬灯台があり、津軽海峡の安全を見守っている。また、岬には白神生まれの歌人・村上清一の歌碑も立つ。
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2007/5/1


内田文雄 Uchida Fumio 

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 島根県横田町に伝わる伝統工芸品「雲州(うんしゅう)そろばん」の伝統工芸士。
 昭和二十二(1947)年生まれ。昭和六二(1987)年、島根県ふるさと伝統工芸品技術後継者表彰受賞。
 雲州そろばんは江戸時代後期、仁多町の大工、村上吉五郎が広島の職人、塩屋小八が作った算盤を参考に、この地方特産の木材を使用して作成したのが始まりとされる。
 後に手回しろくろが発明されたことにより、生産が拡大。経済の発展に伴い産業として発展した。氏は他で学んだ後、天皇家への献上品を作成した名工の父に付いて修行を行い、二代目「雲文」の名を継いだ。
 「使ってこそ意味がある」と信じ、一つ一つに木の性質を見極めて作品を作る、親子二代続いての職人である。
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2007/4/25


京都 醍醐寺 Kyoto-daigoji 

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 「醍醐寺」は、京都府京都市伏見区にある。
 874年、聖宝理源大師が堂宇を建立、准抵観音像・如意輪観音像を安置したのが始まりと言われている。
 その後「醍醐天皇」の御願により907年に「薬師堂」が、951年には「五重塔」1115年には「三宝院」が完成した。「五重塔」は、醍醐天皇の冥福を祈るために朱雀天皇が起工し、村上天皇即位後に完成した。京都府下最古の建造物で、内部の壁画は日本絵画の源流をなすといわれている。「三宝院」は寝殿造の様式が取り入れられた豪華なもので、池泉回遊式と枯山水の庭園が美しい。
 境内には、国宝や重要文化財が多数置かれている。また春になると「枝垂桜」が満開になり、豊臣秀吉が行ったといわれる「豊太閤花見行列」が催され、たくさんの人で賑わう。
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