NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/8


落合の石畳 Ochiai-no-Ishidatami Stone-paved Road in Ochiai

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 落合の石畳(おちあいのいしだたみ)は岐阜県中津川市落合に残る石畳である。
 江戸時代の五街道、中山道(なかせんどう)の落合十曲峠から馬籠宿にかけては急峻な山道の為、通行が困難であったことから石畳を敷き、整備が行われていた。文久元(1861)年、皇女和宮が降嫁した際改修したとの記録が残る。
 明治時代に入り、一部が工事のために剥がされ、一部は使用されなくなり放置されたため、旧状を留めたのは一部となったが、昭和六三(1988)年に修復工事が行われ、現在の840メートルの道が復元された。
 近隣には中山道の史跡である落合宿の本陣や大釜、島崎藤村の筆による「是より北木曽路」などが残り、古道の記憶を今に伝えている。
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2007/10/23


日本橋 Nihon-bashi 

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 日本橋(にほんばし)は、東京都中央区にある日本橋川にかかる橋である。国の重要文化財に指定されている。
 慶長八(1603)年、徳川家康の全国道路網整備計画に際し架けられたもので、翌年には五街道の基点とされた。
 初代は木橋で、室町一丁目と通一丁目を南北に結ぶものであった。以降、焼失などによって度々架け替えられ、現在架かっている第19代日本橋は、明治四四(1911)年に架けられた石造の二連アーチ橋である。
 戦前は東京都区部の道路元標となっており、日本の道路網の始点であった。
 日本三名橋の一つに数えられているが、近年は首都高速道路に覆われており、かつての景観が失われている。
 日本橋は、古くから道路の始点として知られた橋である。
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2007/6/18


宿場 Shukuba Shukuba

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 宿場(しゅくば)は、江戸時代に存在した街道での駅逓(えきてい)事務を行うために設置された町場である。
 徳川家康によって関が原の戦い以降に整備され始め、東海道、中山道と整備されていき、最終的には甲州街道、奥州街道、日光街道の五街道や脇往還が設定された。
 宿場の重要な役割として、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷や手紙等を、次の宿場まで運搬するという業務があった。そのため本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設と、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心なっていた。
 しかし、それら公用の労役・業務について、利益を上げることは困難であっため、幕府は地子免除・各種給米の支給・拝借金貸与等の特典を設け、宿場の保護育成につとめた。
 明治以降には鉄道等の交通事情の変化によって、通行する人も少なったため、徐々に衰退していくこととなる。
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2007/6/4


池鯉鮒宿 Chiryuu-juku Chiryuu-juku Post Town

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 池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)は江戸五街道の一つ、東海道の39番目の宿場で、現在の愛知県知立市にあたる。
 昔からこの宿場一体は知立という名であったものの、宿場にある知立神社内の池に鯉や鮒が多くいたことから、池鯉鮒という名が用いられるようになったといわれている。
 氏神である知立神社もその歴史は古く、社伝によれば日本武尊の父、景行天皇の時代にまでさかのぼるほどだ。
 次の宿である鳴海宿や間の宿である有松での木綿の絞りの需要の高まり、そして周辺都市へとつながる交通の要所であったこともあり、数百頭の馬が集められる大規模な馬市なども開かれた。この馬市の様子は安藤広重の名作「東海道五十三次」にも「首夏馬市」として書かれている。
 関が原での合戦前まではのどかな農村であった池鯉鮒も、宿場として制定されてからは大きく様変わりしていった。
 そんな数百年前の賑賑しさを感じながら、ぶらりと散策してみるのも面白いかもしれない。
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鳴海宿 Narumi-juku Narumi-juku

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 鳴海宿(なるみじゅく)は江戸の五街道の一つ、京と江戸を結ぶ東海道の宿場であり、今の愛知県名古屋市緑区鳴海町にあたる。
 有名な安藤広重の「東海道五十三次」という作品にあるように、東海道には53箇所の宿場があるが、鳴海宿は40番目になる。
 この手前の池鯉鮒宿との間(間の宿)の有松で生産されていた木綿の絞りが街道筋の人気商品になり、鳴海宿には商家が立ち並ぶようになって栄えた。
 東海道五十三次にも鳴海宿の絞りのことが書かれている。
 また、俳人である松尾芭蕉とも縁のある場所でもあり、この宿にある誓願寺には最も古い芭蕉の供養塔がある。
 この鳴海宿を抜けると、かの織田信長の名を一躍世に知らしめた桶狭間の古戦場が見えてくる。
 江戸からの距離およそ350km。次の宮宿までおよそ13km。
 木綿の絞りを羽織って、芭蕉のように古戦場で兵どもの夢の名残に思いを馳せて次の宿場へ向かう。旅の冥利に尽きる一幕が、そこにはある。
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2007/6/1


旧有壁宿本陣 Kyu-arikabesyuku-honjin Old Arikabe-shuku Honjin

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 五街道の一つ「奥州街道」の金成宿(かんなりしゅく)と一の関宿の中間に位置する「有壁宿」は、元和五(1619)年に創設され、以来参勤交代の際には、松前・八戸・盛岡・一関の藩主や各藩重臣が宿泊する宿であった。
 現在残る有壁宿の本陣は、代々、佐藤家が検断を勤め、同家に伝わる文書によると江戸中期の延享元(1744)年に火災にあい、現在の場所に移してその時、再建されたものである。以来今日まで災禍を免れ貴重な資料とともに当時の建物が残されている。
 御成門、車寄せ、中座敷などの遺構を保ち、「宿駅検断文書」、「本陣宿泊文書」、「佐藤家内文書」などの重要な歴史資料が残されている。敷地内には土蔵や馬屋が残っていて、往時の武家社会の面影を伝えている。
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2007/5/31


脇往還 Waki-oukan 

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 脇往還(わきおうかん)は、江戸時代の五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)以外の主要な街道を言い、脇街道、脇道とも呼ばれた。
 脇往還は、五街道ほど関所の取締りが厳しくなく、女性たちに重宝された。
 脇往還の主な街道は、次の通りである。
水戸路(江戸~水戸)
伊勢路(四日市~山田)
佐屋路(岩塚~桑名)
美濃路(名古屋~垂井)
中国路(大阪~小倉)
下仁田路(上州~信州)
館林路(川俣~青柳)
 下仁田路は、険しい地形でもなく、また武士の往来も少なかったため、善光寺参りの女性によく利用され、別名「信州姫街道」とも呼ばれた。館林路は、「日光脇往還」と呼ばれ、日光東照宮への参詣客たちがよく利用したものである。各脇往還には、道標や宿屋町の名残を残す史跡などがあり、今では歴史の面影を残す格好の散歩道としてウォーキングを楽しむ人々に人気だ。
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2007/4/9


木曾路馬籠宿 Kisoji-magome-juku 

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 木曾路馬籠宿(きそじまごめじゅく)は岐阜県中津川市馬籠に残る宿場町である。
 江戸時代の五街道、中山道の木曽路、木曾十一宿の最南に位置し、美濃路から木曾路へ入る際の最初の宿場にあたる。
 山の尾根に沿った街道であり、急な坂が多く、宿は石垣を積みその上に立てられている。街中には桝形(ますがた)と呼ばれる曲がり角が配置され、戦術上の用地としても築かれたことが伺われる。
 現在も旅籠や石畳が残され、往時の面影を偲ばせる。
 馬籠は、明治から昭和に掛けて活躍した文豪、島崎藤村の生地でもあり、また小説「夜明け前」の舞台でもある。
 宿内には作中に現れた場所やゆかりの家などが点在し、文豪に思いをはせる人も多い。
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