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2007/8/1


むらた町家の雛めぐり Murata-machiya-no-hina-meguri The Hina Festival of Murata

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 むらた町家の雛めぐり(むらたまちやのひなめぐり)は、宮城県柴田郡村田町にて3月の第4土、日曜日に行われる催事である。
 江戸時代後期、村田町は紅花の集散地として栄え、上方との紅花取引を通じて、都からさまざまな物品や文化がもたらされた。そのひとつが、商家に伝わる優雅な雛人形である。
 むらた町家の雛めぐりでは、享保雛・古今雛など上方文化を彩るお雛さまから、明治期以降の雛人形や色鮮やかな打ち掛け、現代雛まで多数を春弥生の商家の蔵や座敷に飾る。
 むらた町家の雛めぐりは、長い刻を経た今も大切に受け継がれ、多くの旧家が残る村田町ならではの、風情あるイベントである。
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2007/5/24


上ノ国の中世の館 Kaminokunino-chuseino-tate Kaminokuni Fort-Mansion

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 北海道道南の日本海に面する上ノ国町には、「館(たて)」と呼ばれる中世の山城の跡が残る。
 上ノ町に所在する「花沢館」「州崎館」「勝山館」の三館が、北海道遺産に指定された「上ノ国の中世の館」である。このうち最も規模の大きい勝山館跡は、昭和五四年から発掘調査が行われており、謎の多い北海道中世史の空白を埋める貴重な遺構だ。
 勝山館は、松山藩の祖・武田信広が長禄三年(1457)年、アイヌ民族との戦いに勝利した後、居城として築城。発掘調査では、空壕、屋敷跡、食器などともに200人以上の和人とアイヌ民族が一緒に暮らしていた記録も出土され、和人とアイヌ民族の共生の証として注目を集めている。また、出土した陶磁器の45%が中国製だったことから、中国との交易を盛んに行っていたことが窺える。
 上ノ国の中世の館は、歴史のミッシングリンクを埋めるロマン溢れる遺跡である。
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2007/2/12


八幡堀 Hachiman-bori Hachiman-bori Canal

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 近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国において大津と並ぶ賑わいを見せたが、戦後は陸上交通の発展によって廃れてしまう。
 幅員約15m、全長6kmに及ぶ運河で、八幡城を築城した際、城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と琵琶湖の水運(当時の物流の要)を利用する商業的役割を兼ね備えていた。
 堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並び、華やかだった当時の様子をよく伝えている。
 近年になり、観光名所として整備され、船着き場などが復元された。
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2007/2/8


今市石畳 Imaichi-ishidatami Imaichi Stone-Paved Road

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 今市石畳(いまいちいしだたみ)は、その昔、参勤交代道路であった肥後街道の一部。昭和四十七(1972)年に県史跡に指定された、貴重な交通遺跡である。大分県の野津原町に位置する。
 野津原町は、慶長七(1601)年から肥後領になり、現今市市や野津原地区は、幕末まで肥後藩の宿場町となっていた。街道にはお茶屋が軒を連ね、物資が行き交う拠点として栄えたという。その当時の面影を残すのが今市石畳。幅6メートルの道の中央に幅2メートル、長さ660メートルにわたり切石が整然と並べられ、往時の大名行列の姿を彷彿とさせる。
 今市石畳は、毎年8月に行われる「篭かきレース」でも有名だ。今市が昔宿場町だったことからその時代を再現し、趣向を凝らした衣装を身にまとい、篭を担いで駆けめぐるものである。
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2007/2/7


暗峠 Kuragari-touge Kuragari Tōge Mountain Pass

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近世まで奈良と河内を結ぶ主要道であった旧奈良街道(国道308号)。暗峠(くらがりとうげ)は、その県境にある峠。
 江戸時代には参勤交代や庶民の奈良・初瀬・伊勢の参詣路として、また奈良から大阪間の物資輸送路の商業路として賑わった歴史のある峠道である。
 現在は、生駒山へ登るドライビングルートとして観光客に親しまれ、石畳や、道標、古い家並みが残り、往時の名残りを留めている。「石造阿弥陀如来立像」や「郡山城主柳沢氏の本陣跡と伝わる「本陣跡」など史跡も多い。江戸時代の俳聖・芭蕉は最後の旅でこの峠を越え、秀句「菊の香にくらがり登る節句かな」を残している。
 道路上から眺める生駒市の景色は絶景。眼下には見事な棚田が広がる。
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2007/1/30


和賀江嶋 Waka-enoshima Waka-enoshima

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 和賀江嶋(わかえのしま)は、神奈川県鎌倉市にある日本最古の築港遺跡である。
 鎌倉時代、鎌倉は港として日本各地や宋との貿易で大いににぎわっていた。しかし、遠浅で船荷の揚げおろしに不便で、難破する船も多かった。
 貞永元(1232)年、僧侶の往阿弥陀仏が北条泰時の協力を得て、伊豆石などで島を築き、極楽寺により管理された。これが日本最古の築港・和賀江嶋である。
 江戸時代までは港として利用されていたが、度重なる震災や老朽化により、現在では干潮の際にだけ、かつての面影を残す石のがれきがその姿を現すのみである。
 今の和賀江嶋では、古い瀬戸物の破片が見つかったり、潮だまりの生物を観察することが出来る。
 和賀江嶋は、かつての鎌倉の繁栄を偲ばせる遺跡である。
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2007/1/26


勝山館 Katsuyama-no-tate Katsuyama-no-tate Castle

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 後の松前氏の祖である武田信広が、15世紀後半に築いた山城で、面積約35万平方メートル。
 16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の日本海側での政治・軍事・北方貿易の一大拠点であった。
 現在も継続中の発掘調査により、約3万点の美濃焼皿・中国製青磁などの国内外産陶磁器や金属製品、木製品など数万点の出土品、建物・井戸・空壕・橋などの跡が多数見つかり、館内での様々な暮らしぶりがうかがえる。
 また当時アイヌの人々も使っていた500点余の骨角器が出土している。
 日本海北方交易や中世の生活様式を知ることが出来、「北の中世」を語ってくれる重要な史跡として、近年大変な注目を浴びている。
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尻八館 Shirihachi-date Shirihachi-date Fort

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 小高い山の山頂部に築造された中世の山城。標高180mの山頂に位置し、堀・腰郭・土橋などが見られる。
 発掘調査により13世紀後半から15世紀後半に作られた中国製陶磁器が数多く見つかり、特に「青磁浮牡丹文香炉」は、青森県内でみつかった陶磁器の中で最も優れたものと言われている。
 昭和53〜54年にかけて行われた発掘調査で、堀跡の解明や生活用具など総数1800点にのぼる遺物が発見され、その質の高さは、津軽の中世史に新たな局面を開くこととなった。
 現在、県立郷土館に展示してある遺物を見ると、中世における東アジア交易の逸品が並んでおり、「辺境」のイメージとは程遠い遺跡の姿を見せてくれている。
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