NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/19


習字 Shuuji Shuji, Japanese Calligraphy

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 習字とは、文字を正しく整えて書くことが目的であり、主に毛筆と硬筆から構成される。
 書道は、書くことで文字の美を表す東洋の造形芸術であり、文字の習得を目的としていない。よって、習字とは別物である。
 習字は、文字を覚える事が基本であるが、心を落ち着けたり、集中力を高めたりするのにも役に立つ、日本古来の学習法である。
 習字は飛鳥時代に、中国や朝鮮半島から伝わってきたという。
 以後、それぞれの時代の影響を反映し、平安時代は貴族社会を表すようにおっとりとした作品が、武士の時代になると力強い作品や激しい作品が多くなっていった。
 習字は、日本の歴史上欠くことの出来ない教養であり、文学は勿論、あらゆる日本文化に対して影響力を及ぼす、重要な基礎学習であったといえよう。
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2007/1/26


黒石城 Kuroishi-jo Kuroishi Castle

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 1656年、弘前藩主津軽信義の弟信英が、兄の遺領のうち5千石を分知され、陣屋を築いたのが始まり。形式は平城だが、陣屋といっても立派な城郭である。別名烏城(うじょう)ともいう。
 黒石津軽氏は、8代親足が1809年に宗藩より6千石を分与され、都合1万石で大名となり、それ以後藩体制が確立した。
 明治4年廃藩置県により黒石陣屋は一般に解放され、居館(御殿)は津軽家から黒石町に寄贈され黒石小学校として使用された。現在は御幸公園となっている。
 公園のほとんどは広場になっており、南部分に堀切をはさんで小さな郭が残っており往時を偲ばせている。
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2007/1/25


閑谷学校 Shizutani-gakkou Shizutani Gakko

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 閑谷学校(しずたにがっこう)は、備前藩主池田光政の命により、約330年前に作られた日本最古の庶民の学校。岡山県備前市閑谷に所在する。創立以来、儒教精神に基く教育がなされ、他藩からの入学者、学者、文人の来遊も相次いだとか。明治以降は旧制中学、新制高校へと変遷、現在は県青少年教育センターとなっており、三百余年の間、優秀な人材を送り出している。
この建造物の最大の特色は、屋根瓦に備前焼を用いていること。そのためにわざわざ近くに窯を築き、伊部から陶工を呼んで焼いたという。その結果、いかにも儒学の殿堂にふさわしい雰囲気を醸し出している。学校の周囲をぐるりとめぐるかまぼこ型の石塀も美しい。中国の唐様を真似たもので、石積みが精密を極め全体によく調和している。
閑谷学校は、講堂をはじめ石塀や敷地内のほとんどの建物が国宝・重要文化財に指定されているという。
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