NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/5


木戸瓦窯跡 Kido-kawaragama-ato Kido Tile Kiln Ruins

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 木戸瓦窯跡(きどかわらがまあと)は、宮城県大崎市田尻沼部的場・北沢にある窯跡である。国の史跡に指定されている。
 昭和三三(1958)年と四九(1974)年に発掘調査が行われ、8世紀前半に多賀城創建時の屋根瓦を焼成した窯跡であることが判明した。
 構造は、いずれも地下式の窖窯(あながま)であり、重弁蓮花文(じゅうべんれんかもん)の軒丸瓦(のきまるがわら)、手描重弧文(てがきじゅうこもん)の軒平瓦(のきひらがわら)、平瓦・丸瓦・鬼板などが出土している。
 また、多賀城創建の頃、多賀城から40kmほど離れたこの大崎平野に、律令政府による郷里制および軍団制がすでに施行されていたことを示す極めて興味深い資料である、表面採集ながら「郡仲村郷他辺里長 二百長丈部呰人」と箆(へら)書きされた多賀城創建時の平瓦が見つかっている。
 木戸瓦窯跡は、古代の技術と文化が伺える遺跡である。
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2007/7/3


旧弘前偕行社 Kyuu-hirosaki-kaikou-sha 

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 旧弘前偕行社(きゅうひろさきかいこうしゃ)は、陸軍第八師団の親睦・厚生組織である偕行社のために建設された建物で、設計担当者は当時の陸軍関係施設を一手に引き受けてきた弘前を代表する棟梁・堀江佐吉であった。
 明治四〇(1907)年に完成したこの建物は、戦前、将校の厚生施設として活用され、戦後は偕行社が解散された後に弘前女子厚生学院が旧偕行社に移転した。
 昭和五五(1980)年まで、弘前女子厚生学院及び、みどり保育園の保育舎として活用されたが、現在では、弘前女子厚生学院記念館として弘前厚生学院が自主的に保存を行っている。
 修復の際、堀江佐吉の流れをくむ堀江組が仕事に当たり、外壁の塗り替え、屋根瓦の葺き替え、縁側屋根トップライトの修復、室内の漆喰壁・腰板などの修復を行った。
 戦前の軍関係施設の特徴であった、イタリアルネッサンス風デザインが、当時の面影を色濃く残している。
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2007/2/8


二王座 Niouza Niouza

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大分県臼杵市に位置する「二王座(におうざ)」は、安土桃山時代以来の武家屋敷の面影をとどめる、由緒ある通りだ。平成五(1993)年には国の「都市景観一〇〇選」に選ばれている。
 二王座は、もともと阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰山の丘を切り開いて作った道。二王座の名前は、かつてこの界隈に祇園社(現八坂神社)の仁王門があり、仁王が睨みをきかせていたことに由来するという。
 この道には寺も多く散在し、格式ある寺院の大きな屋根や武家屋敷の瓦屋根、城壁、それに石畳がつづき、風情ある静かな趣をたたえている。
 通りにはお休み処「旧真光寺」や「稲葉秀道屋敷跡」が無料解放されているので、散策の途中に立ち寄ってみるのもいい。そのほか、旧真光寺近くには古戦場跡の「切通し」などがあり、見どころも豊富だ。
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