NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/4


良寛 Ryoukan Ryokan

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 良寛(りょうかん)は、江戸後期の曹洞宗の禅僧で、歌人、漢詩人、書家としても知られる。
 宝暦八(1758)年、越後国出雲崎(現・新潟県)に誕生。土地の名主で、俳人でもある父から、影響を受けて育った。
 大森子陽の塾で学び、名主見習役を経て、円通寺の国仙和尚のもとで出家。その頃、和歌に親しむようになり、歌人との交流や創作を重ねてゆく。
 三三歳の頃、国仙和尚より印可の偈を与えられる。以後、民衆の教化に努めたが、難解な説法を避け、分かり易い言葉を用いた。特定の寺を持たず、自らの質素な生活を開示することで、民衆の共感や信頼を得ていた。
 良寛の住む五合庵には、実に多くの芸術家や学者が訪れた。般若湯(酒)を好み、自らを慕う人々と頻繁に杯を交わしたと伝わる。
 天保二(1831)年、良寛死去。歌集『蓮の露』を弟子の貞心尼が編んだ。
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2007/2/21


量興寺 Ryoukou-ji 

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 飛鳥時代、推古天皇の発願により創建された寺で、当時は「多可寺(たかでら)」と称した。境内は三町四方を擁する広さで、地方屈指の古刹だったという。
 時代の推移に伴い、寺域も減っていったが、付近一円が皇室御領に属したため、平安時代の鳥羽天皇の御世に九条民部卿顕頼が、寺の一部分に伽藍を建立、名を改めて現在の名、「量興寺」とした。
 その後、鎌倉時代には藤原氏の厚い信仰を得て興隆を極めるが、藤原氏の勢力が衰退するにつれて、量興寺も存亡の危機に陥ることとなる。しかし、安土桃山時代の天正六(1578)年、これを嘆いた当時の地頭矢田部越中守長久が本堂を再建、御本尊に薬師如来像を安置し、良寛上人を招いて開山としたという。
 以来、四〇〇年もの間、法灯を絶やすことなく今に至っている。この寺は、境内の蓮の花でも有名で、毎年7月にはハス祭りが行われる。
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2006/12/13


五合庵 Gogou-an Gogo-an 

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 五合庵は、新潟県燕市(旧分水町)の国上山の中腹、国上寺の境内にあり、県の指定史跡となっている。
 江戸時代の曹洞宗の僧侶、歌人、書家である良寛が諸国行脚ののち48歳から59歳までの12年間ここに住んだと言われている。「五合庵」の名前は、当時国上寺住職から毎日五合の粗米を寄せられたことに由来する。
 造りは木造茅葺き、簡素極まる草庵である。広さは間口2間、奥行き9尺で、今でいうところの6畳の面積だ。
 良寛は、ここで座禅をし、古典を読み、詩歌を詠じ、そうして時々托鉢に出た。生涯清貧を貫いた良寛は、この住処で無我の境地を開いたのかもしれない。
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