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2008/4/3


小烏丸 Kogarasumaru 

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 小烏丸(こがらすまる)とは、天皇家の宝刀である。
 ある日、桓武天皇の元に伊勢神宮からの使いであると、一羽の大きな烏(からす)が舞い降り大刀を授けられた、との伝説からこの名が付けられたと言われる。
 この刀を打ったのは天宝時代の大和の刀鍛冶、天国(あまくに)であるとされている。
 平安時代末期、平貞盛が平将門・藤原純友らの起こした反乱、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)を鎮圧する際に、天皇よりこの刀を拝領、以後、平家一門の家宝となっていたが、壇ノ浦の戦いで一度行方不明となる。しかし、江戸時代に入り小烏丸の所在がわかり、現在では皇室御物として保管されている。
 刀剣としての特徴は、刀身の先端から半分以上が両刃となり、斬ることよりも突くことに適した刀で、鋒両刃造(きっさきもろはづくり)または小烏造と呼ばれている。ミステリーの多い、神秘的な刀である。
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2007/12/10


蓮着寺 Renchakuji 

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 蓮着寺(れんちゃくじ)は、静岡県伊東市富戸にある法華宗陣門流の霊跡別院である。山号は俎岩山(そがんざん)。
 弘長元(1261)年、法華宗の宗祖である日蓮は、鎌倉幕府への批判をとがめられて伊豆国伊東に流罪となった。これが「伊豆法難」である。
 この際、日蓮は烏崎の海上の俎岩(まないたいわ)に置き去りにされ、漁師に救われたという。以後一年九ヶ月にわたり、日蓮はこの地に留まった。
 永正五(1508)年、正乗院日云(にちうん)が日蓮の霊跡を探してこの地に至り、蓮着寺として開山した。
 境内には上人ゆかりの袈裟掛けの松の根株や、石が幹にくい込んだ石喰いのモチの木、県天然記念物に指定されているやまもも「やんもの木」などが存在する。
 蓮着寺は、日蓮の伊豆法難ゆかりの古寺である。
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2007/10/4


馬見岡綿向神社 日野祭 Umamioka-watamuki-jinja Hino-matsuri Hino Festival at Umamioka Watamuki Shrine

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 馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)は、滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社である。祭神は、天穂日命(あめのほのひのみこと)、天夷烏命(あめのひなどりのみこと)、武三熊大人命(たけみくまうしのみこと)。
 欽明天皇六(545)年、綿向山の頂上に祠を建てたのがはじまりと伝えられ、延暦一五(796)年、里宮として現在の地に遷して祀られた。
 日野祭(ひのまつり)は、馬見岡綿向神社で毎年五月二~四日の間に行われる祭りである。
 嘉応二(1170)年から始まった春季例大祭で、3人の神稚児や3社の神輿、日野商人が贅の限りをつくして仕立てた絢爛豪華な16基の曳山車を中心に、古式ゆかしく繰り広げられる祭礼は、県の無形文化財に指定されている。
 馬見岡綿向神社の日野祭は、古代の儀式と慣例を今なお引き継いだ伝統を持つ、湖東地方最大の華やかな祭である。
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2007/8/20


重陽神事と烏相撲 Cyouyou-shinji-to-Karasu-zumou Choyo-no-Shinji and Crow Sumo Wrestling

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 重陽神事と烏相撲(ちょうようしんじとからすずもう)は、京都でも最古のお社として知られている上賀茂神社で毎年の九月九日に行われている例祭の一つだ。
 開催される九月九日は、九という陽の数字が重なることから重陽といわれ、古くからこの日に菊酒を飲み、菊花についた露で肌を拭うなどして無病息災を祈願した。
 これがいわゆる「重陽神事」であり、五節句の一つ「重陽の節句」に相当するものとして、古来より神社の本殿に菊花を供えて災厄を祓ってきた由緒ある例祭である。
 重陽神事の後は、刀祢(とね)と呼ばれる所役によって烏の鳴き声をまねて受け答えするユーモラスな所作が披露されてから、氏子の子供達が禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分かれて相撲を取る烏相撲が奉納される。この相撲も悪霊退散の信仰行事として平安時代から続くものであり、京都市の無形民俗文化財に指定されている。
 千数百年の歴史に彩られた神事には、恒久の平安を求める人々の祈りが込められている。
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2007/7/24


熊野速玉大社 御船祭 Kumano-hayatama-taisha Mifune-matsuri Mifune Festival at Kumano Hayatama Grand Shrine

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 和歌山県・熊野川の河口付近に位置する熊野三山のひとつ、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)。ここで毎年10月に行われるのが「御船祭(みふねまつり)」。和歌山県無形民俗文化財の指定を受けている神事で、実に1800年余の歴史を持つ。
 御船祭は神代のころの熊野の海賊船を起源とし、造船と航海技術を現三重県の鵜殿村にて育んだことに由来するという。
 御船祭は「ハリハリ踊り」を奉納する神事。熊野川の川原で神霊を神輿から神幸船(しんこうせん)に移すことから始まり、9隻の早船が主導しながら諸手船(もろとぶね)が島を3周して速さを競う。諸手船には、鵜殿村の烏止野神社氏子総代が船夫に扮して乗り込み、塗りの櫂を回し、漕ぎ手の音頭に合わせ時々手をかざす踊りを披露する。「ハリー、ハリセー」と唱えるこの踊りは、「ハリハリ踊り」と呼ばれて古来より受け継がれてきたものだ。
 御船祭は、神代の時代絵巻を今に伝える古式ゆかしい祭りである。
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2007/6/26


立待岬 Tachimachi-misaki 

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 立待岬(たちまちみさき)は、北海道の函館山の南東側、津軽海峡へと突き出した岬である。
 立待岬の名は、アイヌ語の「魚を捕るために立って待つ場所」に由来する。
 眺望が素晴らしく、天気がよければ北には函館市街、南には津軽海峡と下北半島を望める。見晴らしがよいため、江戸の寛政年間には、外国船を監視するための北方警備の台場が設置されていたという。
 岬へ向かう途中の坂には、石川啄木一族の墓があるほか、与謝野寛・晶子夫妻の歌碑もある。夜は烏賊釣りのいさり火を間近に眺められ、幻想的な風景が楽しめる。
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2007/4/18


猿ヶ石川 Saru-ga-ishi-gawa The Sarugaishi River

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 猿ヶ石川(さるがいしがわ)は岩手県中南部を流れる川である。
 北上川水系の一級河川であり、流路延長73キロ、流域面積952平方キロメートルとされる。
 岩手県遠野市と花巻市の境に位置する薬師岳(標高1645メートル)を源とし、小烏瀬川、早瀬川、小友川などの支流が合流する。
 途中には、柳田国男の「遠野物語」で知られる民話のふるさと・遠野、レジャーが楽しめる田瀬湖や泣き相撲が有名な花巻市東和を通り、宮沢賢治が名付けたイギリス海岸付近の北上川に流れこむ。
 また、アユ、ヤマメ、ウグイ、イワナなどの漁場・釣り場としても有名である。
 猿ヶ石川源流域は、高山植物の宝庫・早池峰国定公園の一部であり、大小さまざまな滝などの、美しい渓谷美が見られるのも特色である。
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2007/4/2


花巻傘 Hanamaki-gasa 

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 花巻傘は、岩手県花巻市にて造られる和傘であり花巻傘は200年の伝統を誇る地方工芸品である。
 江戸時代に流浪した熊本士族により伝わり、やがて花巻の下級武士の内職として始まったという。
 明治維新後は内職を本職とするようになり、段々それが盛んになって、大正8年頃には年産25万本ほども生産する花巻の物産の一つとなった。
 材料の竹は県内の真竹を使い、和紙には美濃和紙、烏山和紙を使っている。全工程を一貫作業で行う、実用本位の傘である。現在は1軒だけが生産している。
 壁に飾るインテリア用に作られた小さなサイズの和傘が現代人に受けており、蛇の目傘、番傘なども制作している。
 花巻傘は、郷土を代表するモダンな名産品である。
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