NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/12


焼山寺 Shousan-ji 

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 四国霊場第12番である焼山寺(しょうさんじ)。開基は修験道の開祖役小角(えんのおづの)といわれ、焼山寺山を道場として拓き、蔵王権現を祀ったことに始まるとされる。
 またこの寺は深い山中にあるため、四国八十八箇所霊場の中でも随一の難所として知られている。
 山号の由来は、のちに弘法大師がおとずれた時、焼山寺山の台地に大蛇がおり、火を吐いて山を焼くなど村人を困らせていることを聞き、水輪の印を結んで退治したことから、とされている。
 仁王門をくぐると、県の天然記念物に指定された見事な老杉が参道両脇に並び、境内には本堂、右手に大師堂、弁天堂、鐘楼、そして大師伝説の残る岩屋がある。
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2007/11/15


金泉寺 Konsen-ji 

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 四国霊場第3番札所である金泉寺(こんせんじ)は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基したお寺で、当時は金光明寺と呼ばれていた。のちに弘法大師が訪れ、霊水が湧き出ているのを見て金泉寺と改めたとされる。
 今でも水が湧き出ており、この井戸を覗きこみ、影がはっきり映れば長寿、ぼやけていると短命という言い伝えが残されている。
 境内からは、天平・藤原時代の古瓦が多く発掘されているため、奈良時代の創建であることが推測される。その後長曽我部元親軍の兵火で伽藍を焼失したが、その後再興、現在の規模となった。
 朱塗りの仁王門をぐくると、左手に鐘楼、右手に八角形をした色鮮やかな朱塗りの観音堂がそびえ、 本堂の左側にある護摩堂の格天井には美しい花鳥が描かれており見所のひとつでもある。
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2007/11/9


清水公園 Shimizu-kouen 

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 清水公園(しみずこうえん)は、千葉県野田市にある28万平方mの面積を持つ公園である。
 明治二七(1894)年、柏屋当主・茂木柏衛が庭園を建設し、町の人々に開放して開園された。
 園内には、応永五(1398)年に開山された、新義真言宗豊山派の寺である金乗院がある。本尊は薬師如来。
 金乗院参道の入口には、三〇〇年前に建立されたという仁王門がそびえており、他に、かつて迎賓館的な存在であった聚楽館、国指定重要文化財である古民家・旧花野井家住宅など、多くの旧跡を巡る事が出来る。
 日本のさくら名所100選にも選ばれており、2万株のツツジは関東有数の名所としても知られ、季節ごとの花を楽しめる「花ファンタジア」が併設されている。
 清水公園は、トータルポイントが100もある、日本最大級のフィールドアスレチックなどもある、四季折々の百樹百花とスポーツ、旧跡を家族で楽しめる公園である。
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2007/11/1


静岡 霊山寺 Sizuoka Reizan-ji Shizuoka Reizanji Temple

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 霊山寺は、静岡県静岡市清水区にある古儀真言宗の寺である。本尊は千手観音立像とされる。
 天平勝宝元(749)年、行基により開山されたと伝わる。
 山腹に建つ仁王門と寺は東側の山中にあり、正慶年間(1332〜34)に、現在地に移転した。
 三十三曲と呼ばれる山道の先にある仁王門は、室町末期の建立とされ、県内でも最古の建築であり、国の重要文化財となっている。
 駿河七観音の一寺として古くから信仰され、本堂には行基の自作という千手観音が納められている。
 桜の咲く時期は、参道に咲く桜がとても美しく、大内から霊山寺を経て一本松公園まで登れるハイキングコースもある。
 霊山寺は、地元では「大内の観音さん」と呼ばれ、今も親しまれている寺院である。
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2007/10/17


安土城跡 Azuchi-jou-ato Azuchi Castle Ruins

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 安土城跡(あづちじょうあと)は標高一九九mの安土山の裾野一帯に残る、歴史上に名を残す、織田信長の居城跡である。
 安土城は安土・桃山時代の幕開けとして、天正四(1576)年から三年の歳月をかけて、織田信長に命じられた丹羽長秀によって築城されたとされる。
 当時の最高の建築技術を駆使して造られたといわれ、また贅を尽くした壮麗な天守閣を持つ、非常に豪華な城郭であったといわれている。その僅か三年後、信長が倒れた本能寺の変の後に焼失して廃城となったという。焼失の原因は定かではない。
 城主の地位を感じさせる奥行きのある石垣、あちこちに建つ礎石、道の縁側に使われている石仏、焼失を免れた仁王門など、随所に長い歴史のロマンを感じさせる名城跡である。
 国特別史跡に指定され、城内石段の改修や天主(天守)・本丸跡の発掘調査、学術調査などが現在も行われている。
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2007/9/6


陸奥国分寺 薬師堂 Mutsu-kokubun-ji Yakushi-dou The Yakushido Hall at Mutsu Kokubunji Temple

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 陸奥国分寺(むつこくぶんじ)は、宮城県仙台市若林区木ノ下にある高野山真言宗の寺である。本尊は、薬師如来。
 奈良時代、全国に建立された国分寺の中で最北に位置したのが陸奥国分寺であるが、文治五(1189)年に焼失し、慶長一二(1607)年に伊達政宗によって再建された。
 薬師堂(やくしどう)は、再建時に仁王門や鐘楼などと共に建築された。
 素木造り単層入母屋造りで、内陣には重文指定の家形厨子が安置され、厨子内の銅像・薬師如来は秘仏とされている。
 薬師堂は、大崎八幡宮とともに仙台市内における桃山様式の代表的建造物であり、国の重要文化財に指定されている。
 陸奥国分寺の薬師堂は、昔を偲ばせる、豪壮な建築物である。
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2007/8/22


大滝山福生寺 三重塔 Ootaki-san-fukushou-ji Sanjuu-no-tou 

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 かつてこの場所に大滝山福生寺(おおたきさんふくしょうじ)という古い寺があった。創建は奈良時代で、鑑真和尚の開基と伝えられる。備前四八箇寺の一つでもある。
 南北朝時代には足利氏が再興し、全盛期には三三の僧房があったという。現在、福生寺という寺の存在はなく、福寿院、西法院、実相院という三寺が残されている。しかし、三重塔や仁王門など、往時をしのぶものもある。
 三重塔は、嘉吉元(1441)年に六代将軍・足利義教の再建といわれる。屋根は方形造の本瓦葺で、国指定重要文化財となっている。高さは約20メートルで、三重塔としては低い方であるが、室町時代の様式を備えた風格のある塔である。
 回りの僧房がすべて山野に戻ってしまい、三重塔だけが今も山の尾根に残されている。
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2007/8/14


清水寺 子安の塔 Kiyomizu-dera Koyasu-no-tou 

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 世界中から観光客を集める京都清水寺。最も有名な本堂の舞台から、錦雲渓をへだてた正面の丘の上に、子安の塔(こやすのとう)が建っている。子安の塔は江戸時代初期に再建された高さ約15m、桧皮葺きの三重塔で、内部には本尊の千手観音が安置されている。
 聖武天皇・光明皇后がこの観音に安産を祈願し、孝謙天皇が無事に誕生したとの伝説が残ることから、後世、安産祈願の信仰が生まれ、子安観音として崇拝されている。洛陽観音第十四番札所でもある。
 塔は、欄干の柱の頭につけるネギの花の形の装飾で知られる擬宝珠(ぎぼうしゅ)高欄を付した縁をめぐらし、正面は三間とも戸がなく格子張りで、とぐみは珍しく尾垂木を設けていない。明治末年に仁王門下から現在の場所に移された。国指定重要文化財。
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