NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/1


若狭小浜城 Wakasa-obama-jou 

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 古来より日本海側の入り口の港として栄えて来た福井県小浜市。海の正倉院とも呼ばれる小浜には、奈良時代から伝わる多くの文化財が集まっている。
 慶長六(1601)年、戦国武将京極高次(きょうごくたかつぐ)は関が原の戦いでの功績を高く評価され小浜藩を立藩し、若狭小浜城(わかさおばまじょう)を蜘蛛の浜に築城した。後に蜘蛛の浜が雲の浜と改称されたことから、小浜城は雲浜城という異名も持つ。
 その後酒井忠勝(さかいただかつ)が入城し、天守の建立を手掛け、寛永一九(1641)年に堂々たる小浜城が完成した。
 明治四(1871)年の大火によって城郭の大部分を焼失してしまった小浜城、今は石垣が残るのみとなっているが、見応えは充分である。
 大火の後わずかに残された本丸跡には、小浜神社が建立され、忠勝が祀られている。
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2007/8/24


日高火防祭 Hidaka-hibuse-matsuri 

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 毎年四月二九日に行われる日高火防祭(ひたかひぶせまつり)は、明暦三(1657)年の江戸の大火を経験、火防の必要性を痛感した十七代水沢城主・宗景公がその対策を講じ、同時に神仏の加護によって羅災を未然に防止しようとしたことが由来とされている。町方火消しの祭典とも言える祭りで、三〇〇年という長い歴史を誇っている。
 祭り当日、朝八時に六町の年番長が日高神社に集まり、参拝・祈願して御守札を受ける年番祭が行なわれる。お札をいただいた各年番長は直ちに各町に戻り「はやし屋台」の運行が開始される。
 町印(ちょうじるし)と呼ばれる各町の印を先頭に、打ちばやし、はやし屋台の順で、夕刻まで古趣あふれる音曲にあわせ、各町内を練り歩く。
 夕闇には、ぼんぼりが一斉に点灯され、水沢駅前で各町組の屋台が競って華麗なおはやしを披露する「相打ち」の仁義礼が尽くされる。 ぼんぼりの淡い光の中、「相打ち」はより魅力的に映し出され、祭りはクライマックスをむかえる。
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2007/8/7


中新田の虎舞 Nakaniida-no-tora-mai The Tiger Dance in Nakaniida

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 中新田の虎舞(なかにいだのとらまい)は、宮城県加美郡加美町にて毎年四月二九日に行われている催事である。県の民俗文化財民俗芸能に指定されている。
 六〇〇年前、奥州の大名・大崎氏が「雲は龍に従い風は虎に従う」の故事にならって、明神の初午祭に奉納したのが始まりと伝わる。
 町は春になると風が強く、昔から度々大火に見舞われていた。
 そこで、虎の威をかりて風を鎮め、火伏せの祈願をし、山車と共に火消組の手によって火伏せの虎舞を舞わせ、城下をねり歩き、商人たちの繁昌と風禍火難防止の思想の高揚に役立たようとはじまったのが虎舞である。
 数台の山車にそれぞれ太鼓を乗せ、笛、三~六頭の虎がついて、各家々や屋根の上で舞う。
 中新田の虎舞は、火伏せ祈願として特色ある民俗芸能である。
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2007/8/2


おめつき Ometsuki Ometsuki Festival

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 「おめつき」は、宮城県・雄勝町名振地区で毎年1月24日に行われる、300年以上歴史のある祭りである。
 天明元(1781)年に起こった大火の惨禍を繰り返さないよう、火伏せ祈願をしたのが始まりとされる
 当日は獅子頭を先頭に「山車(だし)」が豪快に練り歩き、「丁印(ちょうじるし)」と呼ばれる神輿を子どもたちが担いで廻る。
 最大の見ものは「おめつき」と呼ばれる演芸だ。演目の内容は当日まで秘密とされており、お神酒(みき)が入って元気付いた若者が「おもいつき」で即興劇を演ずることから「おめつき」の名が付いたとされる。時の社会問題などを題材とし、女形、男形などの道具を用いた劇を、面白おかしく演ずる俄(にわか)に似た地狂言の一種で、現在では全国的にも珍しい貴重な行事である。
 「おめつき」は、県の民俗無形文化財に指定されている。
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2007/6/22


旧和田宿本陣 Kyu-wadajuku-honjin Old Wadajuku Honjin

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 旧和田宿本陣(きゅうわだじゅくほんじん)は、中山道和田宿の本陣として文久元(1861)年に立てられたが、同年の大火により焼失した。
 中山道最大の難所、和田峠の手前にあり、この年に行われる皇女和宮様御降嫁の際に宿泊の宿と設定されていたため、幕府から拝借金を得て四ヶ月という短期間で宿場と共に再建された。
 明治維新後、本陣としての機能を終えたが、1984年まで役場や事務所として現役で利用されていた。その後、事務所移転に伴い、老朽化もあって解体される予定だったが、重要な遺構としての価値が認められ解体修理が行われた。現在は「居室棟」部分が復元されている。
 これだけの規模をほこる本陣が残る宿場は大変珍しく、貴重な遺構である。
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旧日野宿本陣 Kyu-hinojuku-honjin Old Hinojuku Honjin

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 旧日野宿本陣(きゅうひのじゅくほんじん)は都内に唯一残る本陣建物である。
 嘉永二(1849)年、正月の大火で焼失してしまったため、現在の建物は、日野本郷名主・日野宿問屋役の佐藤彦五郎が十年の歳月を費やして文久三(1863)年に上棟し、翌元治元(1864)年一二月から本陣兼自宅として使用したものである。
 大火をきっかけに自衛を痛感した彦五郎は、総合武術である天然理心流に入門、その後免許皆伝し自宅に道場も開いた。
 のちの新選組局長・近藤勇や一番組隊長沖田総司らが京に向かう前に稽古場として利用していた道場である。のちの新撰組副長・土方歳三の写真や遺品を義兄である佐藤彦五郎に届けた市村鉄之助が二年あまりかくまわれていた部屋なども残されている。
 本陣であること以外に道場でも名をはせる、たくさんの歴史とその重みをもった場所である。
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2007/6/20


道祖神火祭り Dousojin-hi-matsuri 

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 道祖神火祭り(どうそじんひまつり)とは、長野県下高井郡野沢温泉村にて行われる祭りである。国の重要無形民俗文化財とされる。
 いつから始まったかは不明だが、道祖神碑に「天保十巳亥年」と刻まれている事から、江戸時代後期には行われていたと推察される。
 古来、道祖神は「悪霊の進入を防ぎ旅人の安泰を守る神」とされ、別れ道や村の入口に祀られた。
 野沢では、長い間上根と下根の二ヶ所で道祖神祭りが行われていた。
 大正元(1912)年、防災上の理由から統合し、上根が「祭りの場」を、下根が「採火」火元を引き受け現在に至っている。
 毎年1月15日夜、20mものブナの大木で造られた社殿を、松明で攻める村民とそれを守ろうとする役男の攻防戦が見物で、その様子は勇壮かつ豪快。
 道祖神火祭りは、日本の三大火祭りと言われる盛大な祭である。
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2007/6/19


新潟まつり Niigata-matsuri Niigata Festival

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 新潟まつりは、新潟県新潟市にて毎年8月最初の金、土、日に行われる祭りである。
 昭和三〇(1955)年、4つの祭りが一つとなり、「新潟まつり」ははじまった。
 住吉祭は、廻船問屋が大阪の住吉神社から神体を受け、享保一一(1726)年、港の安全を祈り、行列を組んだのがはじまり。
 川開きは、明治四三(1910)年、大火に見舞われた新潟の復興を期して、萬代橋下流の中州で花火が打ち上げられたのが起源。
 商工祭は、昭和四(1929)年の秋、商業振興を目的に広告パレードをしたのが始まり。
 開港記念祭は、昭和五(1930)年、新潟港開港60周年として資料展や物産展などが賑やかに開かれ、始まった。
 特に「民謡流し」は、市内の通りが3万人の参加者で埋め尽くされる、日本一の民謡流しとされる。
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