NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/17


【無】 Mu Nothing, Nothingness

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 「無」は「舞」の初文(初めの字形)です。伝統的な「六書(りくしょ)」の分類に従いますと、「無」は文字の音を借りる仮借文字です。ただ、「六書」という分類方法は、漢字成立から千年後の当時の漢字を分析するためにつくられたものなので、それに基づいて漢字が発明されたという結論を導くことは誤解になりかねません。
 当たり前のことですが、基本的に漢字は象形文字なので「何もない」という意味を表すのは本来とてもできないことです。時代が下り人々の考えや思想の抽象化に仮借文字はとても役立ちました。仮借文字は自然にできたのではなく、約束や慣例の中から意味を与えられた文字のグループです。
 「無」が「舞」の初文であるという関係は甲骨文で分かります。実は人が踊り、袖に飾りがぶら下がっている形です。『論語・顔淵、第十二』には「… 遊於舞雩之下。」「… 舞雩の下に遊ぶ。」がみられます。「雩(う)」は雨乞いのための祭祀儀式の踊りや、神樂を舞う場所です。「無・ない」の意味は「雨がない」から生じたのではないかとも思われます。そういう風に理解しますと、仮借文字という後世の概念に頼る必要もなくなります。
 どちらにしましても、「無」が「家が火災に遭うことを写しているところから『何もない』という意味になる」という説明は当たりません。

 
■ 無・甲骨文(こうこつぶん)
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2007/12/21


上半田ちんとろ祭(子供三番叟) Kami-handa-chintoro-matsuri(Kodomo-sanba-sou) Chintoro Festival in Kamihanda (Children’s Sanbaso Dance)

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 春になると半田市内の各地区で賑やかに行われる「春の山車祭り」。上半田地区で行われる祭礼が「ちんとろ祭」である。町中では二台の山車曳き回しが行われ、住吉神社境内の宮池に「北組住吉丸」、「南組入宮丸」のニ隻の「ちんとろ舟」が浮かべられる。
 「宵宮(よいみや)」といわれる一日目の夜、その舟の中心に月を表わす十二個の提灯が、その周りに一年を表わす三百六十五個の提灯が半球形に飾られ、水面に提灯の灯りが映える。
 「ちんとろ」の名の由来は,その提灯の形からともお囃子(はやし)の「チントロ、チントロ」からとも言われています。
 舟の前方に作られた舞台にて「子供三番叟(さんばそう)」の舞が奉納される。幼い子ども達の愛らしく舞う姿が祭りの見どころである。
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2007/12/14


康楽館 Kouraku-kan 

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 康楽館(こうらくかん)は、明治四十三(1910)年、銅や亜鉛、鉛の鉱山として栄えた小坂鉱山の厚生施設として作られた、木造の芝居小屋である。秋田県鹿角郡小坂町に位置する。
 歌舞伎、新劇、映画等の公開、上演が行われてきたが施設の老朽化やテレビの普及などで衰退、昭和四十五(1970)年には使用を停止されたが、昭和六十(1985)年に市民の手により再興され、現存する日本最古の芝居小屋として、いまも公演が行われている。
 和洋折衷の造りであるが、舞台には花道、切穴、回り舞台などが揃っており、全て人力で稼動する。
 国重要文化財、秋田県指定有形文化財に指定され、明治の息吹を感じながら公演を見ることができる建物である。
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2007/10/23


一迫町鹿踊 Ichihazama-chou-shishi-odori Ichihasama Shishi-Odori (Deer Dance)

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 一迫町鹿踊(いちはざまちょうししおどり)は、宮城県・一迫町で毎年7月に行われる、東北固有の文化・郷土芸能である。鹿の面を付けた演者が踊る、祖先供養を主とした魔よけの儀式で、400年以上昔から伝わる伝統芸能である。
 伝説によると、伊達政宗の時代、一迫町付近でひとりの猟師が岩倉山麓(いわくらさんれい)で、腹を叩きながら面白おかしく踊り狂う鹿の群れを目にし、あまりの楽しさにその輪に入って一緒に踊ったという。
 鹿踊では、雄鹿と雌鹿に扮した演者が、お互いの愛情を確認するシナリオに沿って狂喜乱舞数する踊りが披露される。
 一迫町鹿踊は、郷土色豊かな格調の高い神事。宮城県の無形民俗文化財にも指定されている。
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2007/10/12


杉原紙 Sugihara-gami Sugihara Paper

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 杉原紙は、兵庫県多可町加美区に千年以上受け継がれている伝統工芸品だ。
 奥深い谷からこんこんと湧き出る冷たく澄んだ水と、雪の舞う厳しい気候風土に育まれた楮(こうぞ)により生まれた杉原紙。
 奈良時代から歴史がはじまり、他の地方より進んだ製紙技術で写経用紙や薄紙を製造。紙の質・生産量ともに日本一と呼ばれた。しかし、時代の推移とともに洋紙に取って代わられ、大正十四年、杉原谷での紙漉きは幕を閉じたのだった。
 町をあげて日本一の名紙と謳われた杉原紙の保存に取り組むようになったのは昭和四一年から。杉原紙発祥の地の記念碑を立て、昭和四七年には杉原紙研究所を設立、昔ながらの製法で紙漉きを再開、現在では年間700キログラムの紙を生産している。昭和五八年には、県の重要無形文化財に指定されるまでに復活を遂げたのである。
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2007/9/7


石浜神楽 Ishihama-kagura 

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 石浜神楽(いしはまかぐら)は、宮城県の南三陸町歌津にある石浜地区で伝承されている神楽だ。
 終戦の混乱真っ只中にあった昭和二一(1946)年、世の天下泰平を祈って、石浜地区の当時の青年達により登米の鴇波(ときなみ)神楽から師匠を招き、指導を受けて伝授されたのが石浜神楽の始まりとされている。
 石浜地区にある飯綱神社の祭典日に奉納されるほか、各地の神社の祭礼にも招かれて、その舞が奉納されている。
 飯綱神社の入り口には、捕鯨船に乗っていた人から寄進された、長さ5・3mにもなるシロナガスクジラの顎骨があり、そのためか豊漁祈願でも人々が訪れる。
 同神社で奉納される際には、そうした経緯からか舞台に大漁旗がはためき、そんな中で鮮やかな紋様の入った古代装束を纏って仮面をつけて舞う様は、浜の神楽の気性を今に伝えている。
 その歴史は比較的新しいものではあるが、発願から六〇有余年。 祈りは今も変わることなく脈々と神楽の中に受け継がれている。
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2007/8/29


関根神楽 Sekine-kagura Sekine Kagura

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 宮城県美里町に伝承されてきた民俗芸能として、関根神楽(せきねかぐら)がある。美里町の中でも、旧小牛田町の北浦地区に古くから存在してきた。
 この神楽は神舞物、軍記物、道化物と三種類に分かれている。第二次世界大戦後は一時衰退したが、現在は関根神楽保存会が作られ、町の無形文化財として指定された。速さのある、リズミカルな力強い舞が特徴。
 江戸時代の末期に関根村の酒造業、佐々木彦内のもとへ、岩手県南部から出稼ぎに来ていた善太郎(ぜんたろう)という一七歳の若者によってこの地区に伝えられたと言われている。
 善太郎は、もともと岩手県栗駒にあった沼倉神楽の名手であったようで、その後養子として三本木町に行ったとき、伊賀神楽を育てたといわれる。このことから、関根神楽と伊賀神楽は兄弟神楽と呼ばれている。
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2007/8/24


旧正凧揚げ大会 Kyuushou-takoage-taikai 

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 毎年二月一一日に行なわれている土佐・野市町の「旧正凧揚げ大会(きゅうしょうたこあげたいかい)」は、その凧の大きさで有名である。
 実際に揚げられる凧は45cm程度のものから様々あるが、圧巻は何と言っても百畳はある土佐の大凧である。重量270kg、胴の長さが16・5mにもなる大凧が、ゆらりゆらりと大空へ揚がってゆく様は壮観である。
 土佐凧の特徴は、正方形を45度回転させて角を上にし、手描きで直接絵を描いたもの。
 図柄は、男子出産祝い・還暦祝いの時の「祝凧」、家紋をあしらった「定紋凧」、武者絵・姫だるま・鶴などの「絵凧」の3種類に大別できる。
 戦国時代、土佐においては長曽我部氏が凧を「空飛ぶ兵器」として用いたと言われているが、江戸時代になってからは、凧揚げは男児出生を祝う行事となり、後に還暦の祝いに凧を揚げる風習も出来たといわれている。
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