NIPPON Kichi - 日本吉

記事数6件: 1~6 件表示          

2008/8/29


御殿まり Goten-mari 

Jp

 御殿まりは江戸時代中期頃、全国各藩の奥方や奥女中たちが遊具として作ったのが始まりといわれている。後にこれが民間にも広がり、御殿の奥女中たちが作っていたため、御殿まりと呼ばれるようになった。
 山形御殿まりは、山形県鶴岡市、酒井氏が城主である鶴岡藩、通称、庄内藩の藩士の妻や娘、奥女中たちが作っていた手工芸品の一つである。
 大きさは直径8センチものから30センチの大きさのものまで様々で、 模様は幾何学模様や、梅、菊、麻などの花や植物などが描かれた。
 特に庄内藩に伝わる御殿まりは伝統の色彩を守りながら、厳しいほど根気よく丁寧に作られたので、色鮮さと繊細な作りを備えた素晴らしい御殿まりといわれるようになった。
 明治以降は鶴岡市の伝統工芸品として御殿まりは全国に知られていったのである。近年、多くの人々の努力により再び脚光を浴びてきている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/24


肥後てまり Higo-temari Higo Temari

Jp En

 熊本県に伝わるてまり唄「あんたがたどこさ」を生んだのは、まさにこの「肥後てまり(ひごてまり)」である。
 鮮やかな色彩と幾何学模様が美しい肥後てまりは、江戸時代、各藩の城勤めの奥女中たちが手慰みで作り始めたのがはじまりで、その後各地に伝わったものとされる。
 代々肥後の女性に受け継がれてきた肥後てまりは、明治の中頃からのゴムまりの普及で次第に姿を消していったが、昭和四三(1968)年に肥後てまり同好会が発足し、技術が本格的に伝承されるようになった。
 肥後てまりの芯は、斜めに切ったへちまを乾燥させたものを使用する。線で包み、弾力をだして糸で巻き、球の形に仕上げる。フランス刺繍の糸を使用しているため、てまりの配色も素晴らしく、デザインも豊富である。
 昔、熊本市に流れる坪井川両岸の船着き場を「船場(せんば)」と呼んでいた。てまり唄ができた頃は、清流の中に小エビも群れ、狸がいた「船場山」周辺は、林や竹薮がうっそうと茂っていたといわれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/27


柳川まり Yanagawa-mari Yanagawa Handballs

Jp En

 柳川まりは、福岡県柳川市にて造られている伝統的な鞠である。福岡県指定特産民芸品とされる。
 柳川地方のひな壇には、初節句に女子に贈られた「さげもん」と呼ばれる独特の風習がある。
 縁起のよい鶴などの手作りの縫いぐるみと、鮮やかな七色の糸で巻いた大まりを下げ輪の中央に、小まりと縫いぐるみを交互に下げ輪に吊り下げたものの事である。
 この「さげもん」に使われる鞠こそが、柳川まりである。
 丸くした木綿の上に綿をかぶせ、しつけ糸で形を整え、その上の草木染めした木綿糸や現代的色調のリリアンを巻いて作りあげる。
 旧柳川藩主の立花邸の腰元たちが作っていたのが町家に広まったと言われている。
 柳川まりは、城下町としての手まり文化を今に残す、貴重な伝統民芸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/3/6


松江和紙てまり Matsue-washi-temari 

Jp

 松江和紙てまりは島根県松江市で作られている工芸品、島根県ふるさと伝統工芸品の一つ。
 手毬は古代より作られ、中国から伝来したとも、蹴鞠から作られたとも言うが明らかではない。江戸時代に木綿の栽培が普及することで、広く作られるようになったという。
 松江和紙てまりは、松江藩御殿女中が作ったものが始まりとされ、創作者である絹川ツネノさんが工夫を加え、手毬に手漉きの出雲民芸和紙を用いたものである。
 表面に和紙を張った上に糸をかがり、その上にちぎり和紙で絵柄を整えることで、模様と色の幅が広がり、普通の手毬とは異なる柄を生み出す。
 花、十二支など一つとして同じ柄は無く、厄除け、縁起物としても愛される民芸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/28


まり Mari Temari (Japanese thread balls)

Jp En

 古語で丸い形を「まろ」といい、まりの名称は、それから派生したもの。
 奈良時代、中国から蹴鞠(けまり)が伝えられ、その後平安時代も京都の公家を中心に行われた。
 最初は足で蹴る遊技であったが、その後、手でまりを投げてそれを落とさないように受け止める手まり遊びが生まれてくる。さらにこの手まり遊びを曲芸にした旅芸人も現れた。今で言うジャグラーのようなものと考えられるが、この芸人は品玉(しなだま)づかいと呼ばれた。
 江戸時代になると、まりを投げ上げるのではなく、地面について遊ぶようになった。これは弾力のある木綿が普及し、弾みのよい糸まりが作られるようになったからである。
 糸まりは、おがくずやぜんまいなどの弾むものを綿で包んで、その上に絹糸などを巻いて、仕上げた。絹糸の文様が美しく、少女の玩具として愛好された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2006/11/29


姫てまり Hime-temari Hime Temari

Jp En

 姫てまりは、「幸福のまり」として愛媛県松山市に古くから伝わる民芸品だ。
 「まるくおさまる」「まるまる子どもが育つ」という意味があり、昔から花嫁が円満な家庭を築くシンボルとして嫁ぎ先に持っていったという。また、幸福を招くといわれることからお正月の祝い物として毎年ひとつずつ増やす慣わしもある。
 色とりどりの艶やかな糸が織りなす雅やかで美しい姫てまりは、国内はもとより遠く海外でも好評で、別名「ダイヤモンドボール」として親しまれている。クリスマスの装飾用にも使われているという。
 すべて手作りで、手にする人の幸福を願ってひとつひとつ丹念に作られる優しさの込もったてまり。今も昔も変わらず国内外で愛されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数6件: 1~6 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5445
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter