NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/7


木葉猿 Konoha-saru 

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 熊本県玉東町(ぎょくとうまち)の木葉に伝わる「木葉猿(このはさる)」は、郷土玩具の中で、最も古いものの一つであるといわれている。
 養老七(723)年の元旦に「虎の歯(このは)」の里で生活していた都の落人が、夢枕に立った老翁のお告げにより奈良の春日大明神を祀った。そして木葉山の赤土で祭器をつくった際、残りの土を捨てたところ、それが猿に化けたという言い伝えがあり、木葉猿が誕生したといわれる。
 型を使わず、指先だけで粘土をひねる技法で猿の土焼人形をつくり、素焼きにしたままの伝統玩具である。
 昔から素朴さとユーモアある姿は人気があり、大正時代後期には、全国土俗玩具大番付で東の横綱になった。最近では彩色したものもあり、三匹猿・子抱猿・飯喰猿など合わせて一〇種類程あり、悪病、災難除け、子孫繁栄、子授けなどのお守りとして多くの人々に親しまれている。
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2007/11/9


相撲 Sumou 

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 相撲(すもう)は、日本に古来から伝わる武道・格闘技であり、現在はスポーツとして世界的にも知られている国技である。
 その起源は「古事記」や「日本書紀」に登場するほど古く、神話として扱われている。平安時代には宗教文化色が増し、神事として扱われるようになった。
 やがて武芸となり、江戸時代には芸能として成り立ち、現在は大相撲として全国を興行している。
 競技としては、腰にまわしを巻いた裸の2人が土俵上で取り組み、相手を押したり、ついたり、投げたりしながら、倒すか土俵の外に出す事で勝敗を決める。
 力士は頭にまげをゆい、審判役の行司は1400年頃の侍と同じ服装をしている。力士が取り組み前に土俵で塩をまくのは、神聖な土俵を清める為とされる。
 また、力士には番付があり、かつては大関が最高位だったが、明治以降は実績と品格により最高位・横綱が与えられるようになった。
 相撲は、古より伝わる神事であり、日本の伝統文化である。
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2007/5/14


陸奥国分寺 Mutsu-kokubun-ji 

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 陸奥国分寺は天平一三(741)年、聖武天皇の詔(みことのり)によって、国家鎮護と人々の無病息災を願い、全国に建てられた国分寺の一つで、国分寺では最北に位置する。古来よりこの辺りは、宮城野と呼ばれていて、古今集に「宮城野の
 木荒の小萩 露をおもみ 風をまつごと 君をこそ待て」と詠まれた様に、宮城野萩の名でも知られている。
 現在、周辺は史跡公園になっており、約3万坪の境内には陸奥国分寺跡をはじめ、伊達政宗が建立した薬師堂、仁王門などがある。そして心字ケ池畔には、松尾芭蕉の詠んだ「あやめ草
 足に結ん草
 鞋の緒」の句碑や大淀三千風の句碑がある他、江戸時代の力士で、横綱の谷風ゆかりの牛石、谷風誉れの足型など、句碑や石仏が多数点在している。天平の古から江戸までの、歴史を感じながら散歩を楽しめる場所である。
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2007/2/12


双葉の里 Futaba-no-sato Futaba's Hometown

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 不世出の横綱とは双葉山だけに許された称号である。双葉山は1939年に、前人未到の69連勝を成し遂げた。全勝優勝8回、通算優勝12回という成績を残した名横綱・双葉山定次(ふたばやまさだじ)。
 昭和の大横綱として語り継がれる横綱・双葉山の生誕の地である宇佐市には、数々の偉業を讃える「大横綱双葉山像」が建てられている。双葉の里は、この郷土出身の英雄の功績を後世に伝えるため、生家が復元され、幼い頃よく遊んだという浜辺には記念碑や相撲場が整備され、館内には、化粧まわしなどが展示され、資料の展示室となっている。また、休憩所では連勝当時の対戦映像が放映されている。オープン以来、連日多くの双葉山・相撲ファンで賑わっている。
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