NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/4


ちりかん Chirikan 

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 ちりかんは、頭の飾り部分がバネで支えられている、古典的な簪(かんざし)である。
 簪は、女性が髪を結う時に使う日本の伝統的な装身具であり、特に江戸時代後期には様々な種類の物が作られ、髪を飾った。
 ちりかんは他のかんざしと大きく違い、下がりだけでなく飾りもゆらゆらと揺れる簪で、土台の先端に細いスプリングを取り付け、さらにその上に飾りを付ける事で、飾り自体がゆらゆらと細かく揺れる仕組みになっている。
 飾り同士が揺れてぶつかり合うと金属的なチリチリという音をたてたことから、「チリチリ音のする簪」で、ちりかんと呼ばれるようになったと言われている。
 芸者衆などが前差として用いる事が多く、舞妓がお座敷を務める際に使われたり、日本舞踊など日本髪のかつらをつけての踊りに広く使われている。
 ちりかんは、揺れる飾りが若々しさを表す、伝統の髪飾りである。
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2007/11/22


平打簪 Hirauchi-kanzashi 

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 平打簪(ひらうちかんざし)は、平たい円状の飾りに、1本または2本の足がついた簪である。
 簪は、女性が髪を結う時に使う日本の伝統的な装身具であり、特に江戸時代後期には様々な種類の物が作られ、髪を飾った。
 平打簪は形が薄く平たい形状で、円形・亀甲形・菱形・花型などの枠の中に、透かし彫りや、毛彫りで定紋・花文などをあらわしたものとされる。
 武家の女性がよく身につけた銀製、或いは他の金属に銀で鍍金したものは特に銀平(ぎんひら)とも呼ばれる。
 定紋は、大奥・武家などの婦人が用いたものであるが、江戸後期の芸者の間には自分の紋ではなく、貞節を誓う想い人の家紋を入れるのが流行したという。
 平打簪は、木やべっ甲、プラスティックなど、様々な素材で製作されている伝統の髪飾りである。
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2007/5/31


にし茶屋街 Nishi-chayagai Nishi Teahouse Street

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 金沢には、城跡や武家屋敷など、城下町として風情が残るが、それだけではない。艶っぽい茶屋街も、今もその姿をそのままに残している。
 にし茶屋街は、これも金沢の代名詞となる犀川の南側にある。文政三(1820)年、加賀藩によって、ひがし茶屋街とともに創設された。
 今も、料亭や芸子の置屋が軒を並べて粋な風情を残している。夕刻からは三味線の音なども聞こえてきて、さらに趣は深くなる。
 かつては一見さんお断りが主流であったのは、ひがし茶屋街と同じだが、今では旅館やお土産屋、喫茶店などがあり、散策するに楽しい。
 西茶屋資料館は、石川県美川町出身の作家、島田清次郎が幼少期を過ごした場所であり、清次郎に関する資料が展示されている。
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銀杏返し Ichou-gaeshi Icho-gaeshi

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 銀杏返し(いちょうがえし)は、江戸時代末期に起こった女子の髪型。
 髪をひとつに括った根元からふたつに分けてそれぞれ輪にして∞型にし、余った毛先を根元に巻き収めて髪飾りを掛けて止め、髷(まげ)の根元に簪(かんざし)を挿す。この髪型が銀杏の葉がそっくり返ったような形であることから、「銀杏返し」の名が付いた。
 初めは12歳~20歳くらいの一般女子が結っていたが、江戸に入り、芸者や娘義太夫が髷の大きなものを結うようになり、粋好みの娘などがその形を真似たという。明治以降は30代以上の女性、後家や芸人、花柳界の女性にも流行した。
 髪結いに頼まないでも自分で簡単に結えることから、昭和初期まで銀杏返しは一般的な髪型であったという。
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2007/4/26


帯留め Obi-dome 

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 帯がほどけないよう固定する金具、あるいは平打ちの紐につける留め細工のこと。
 江戸時代に芸者が男との契りを示すため、あるいは伊達を競うために根付や目貫などを用いて帯に用いたのが始まりといわれる。
 明治に入り、廃刀令により刀の飾り職人たちが新たな細工に着物の装飾品として帯留めが作られ、それが人気となり、広く用いられるようになった。
 女性の帯に主に使用され、着物や帯の飾りとして色々な使い方、楽しみ方がある。
 材質は貴金属、七宝焼、鼈甲(べっこう)など様々であり、形状も花鳥風月を表現したもの、動物をかたどったもの、文様など多岐にわたる。
 和装以外にも携帯ストラップやブローチなどとして楽しむこともできる、伝統のアクセサリーである。
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帯揚げ Obi-age 

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 帯揚げは着物の着付け用の小物であり、帯の形を整える帯枕(おびまくら)にかぶせて帯を固定し、飾る布のことを指す。
 歌舞伎役者、二代目瀬川菊之丞が生み出した「路考結び」がほどけやすいことから、それを支えるために用いられたことが始まりとされる。
 その後、江戸時代末期に深川芸者が亀戸天神の太鼓橋の渡り初めの際に考案された「お太鼓結び」を支えるために使われたことから、広く知られるようになったと言われている。
 綸子(りんず)、絞り(しぼり)、縮緬(ちりめん)などの種類の布と様々な色、柄を使い分けることにより、着物や帯に美しい彩りを与える重要な小物である。
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2007/1/31


ぽち袋 Pochi-bukuro Pochi-bukuro (envelopes for New Year's gift money)

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 ぽち袋とは正月にお年玉を渡す時に使う袋のこと、お年玉袋の別名。小さなのし袋であり、主に紙製。
 「ぽち」とは関西の方言である「ぽちっと」か関東の方言「これっぽっち」と言われる。「ほんのわずか」という意味であり、花柳界の芸者や芸妓に対して渡す祝儀に対して使われた。
 小額のため、懐紙などに包んでもこぼれるため、袋が使われるようになった。昭和中期頃よりお年玉の袋として使われるようになり、デザインも縁起物などを記したものに変化した。
 現在は子供向けキャラクターなどを描いたものが主流であり、もらう子供たちを喜ばせている。
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2007/1/25


十日恵比寿神社 Touka-ebisu-jinja Toka Ebisu Jinja Shrine

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 十日恵比寿神社は、福岡県福岡市博多区にある恵比寿と大黒を祀る神社である。
 香椎宮大宮司家の武内五右衛門は分家して博多で商売を営んでいたが、天正十九(1591)年、香椎浜に流れついた恵比須神の神像を持ち帰り祀ったところ、家運が隆盛した。そのため多くの人が商売繁昌の神として参拝するようになったので、元禄三(1690)年に社殿を設けた。
 祭神は事代主神(えびす様)と大国主神(だいこく様)。商売繁昌、家内安全、無病息災にご利益があることで知られている。
 毎年1月8日〜11日までは正月大祭が行われ、期間中の参拝者は100万人にもなる。中でも、かち詣りは、三味、笛、太鼓での十日えびすの唄を先頭に博多芸妓たちが行列、徒歩で神社に参拝し、一年の開運、商売繁昌の祈願をする華やかな催しである。
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