NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/9


藤本滝 Fujimoto-taki 

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 藤本滝(ふじもとたき)は鹿児島の川内川の支流、市比野川の上流に位置する。二段滝で落差30メートル、幅15メートル。
 馬頭観音を祀った伝統的な行事、藤本相撲が開催される藤本農村公園から小道が通じており、藤本滝への入り口となる。滝つぼの近くにまで行くことができ、その姿を堪能する事ができる。
 両脇を深い茂みに覆われているため、真夏でも一帯は涼しい。流水は上段は斜め下にやや角度を変え、下段は垂直に一気に降りていくその姿は、自然が作り出す華麗な造形美だ。薩摩華厳(さつまけごん)と称されているほどである。
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2008/4/11


天海 Tenkai 

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 天海(てんかい)は江戸時代初期、天台宗の僧。
 天文五(1536)年、会津(現・福島県)生まれ。11歳で出家し、18歳の頃に比叡山に入る。華厳、唯識、禅、儒学や易教、国学を修めた。
 慶長一三(1608)年頃に、徳川家康の知遇を得る。家康の参謀、朝廷との交渉役として活躍。仙波(埼玉県川越市)の北院(喜多院)や江戸崎(茨城県那珂町)の不動院の住職を兼任し、延暦寺や日光山の整備・再興にも従事した。
 仏法と王法の合一を説いた「山王一実神道」の奥義を、天海は家康に伝授する。家康の死後、東照大権現を贈号して、江戸から日光への遷葬を指揮した。遂に家康を日本の守護神に祀りあげた。
 その後も、東叡山・寛永寺の創建や都市計画を指導、江戸鎮護を構想し続けた。108歳で入滅。その5年後に、朝廷より慈眼大師号を追贈された。
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2007/5/17


谷汲山 華厳寺 Tanigumi-san Kegon-ji 

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 延暦一七(798)年創建と言われ、西国三十三箇所の第33番札所である華厳寺。「谷汲みさん」と親しみを込めて呼ばれている。
 会津の豪族であった大口大領は夢の中で観音菩薩から授かった榎の霊木を持って京都の仏師に頼んで観音菩薩を彫ってもらったが、会津まで運ぶ途中、ここ谷汲村で仏像がぴたりと動かなくなってしまった。「ここに祀って欲しいのだな」と考えた大領は、そこにお堂を建て、観音菩薩像を安置した。すると近くの洞窟から油が湧き出し、灯明に困る事は無かったという。この油を汲んだ故事から山号の「谷汲」、観音様に華厳経が写経されていたことから「華厳寺」の名が付いた。
 満願の寺なので、朱印も過去(笈摺堂)、現在(満願堂)、未来(本堂)の三つがあり、「精進落としの鯉」など西国巡礼をやっと終えた人だけが知る喜びの標に満ちていて、観光参拝客もその雰囲気に引き込まれる。
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2007/4/17


栃木 華厳滝 Tochigi Kegonnotaki The Kegon Waterfall

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 栃木の華厳滝(けごんのたき)は、栃木県日光市中宮祠にあり、日本の三大名瀑にあげられる、日光を代表する滝である。
 日光には、四十八滝といわれるくらい滝が多いが、最も有名なのが華厳滝である。高さ97mをほぼ一気に落下する豪快さと、自然が作り出す華麗な造形美の両方をあわせ持つ。
 滝のしぶきは霧となり、日が当たると美しい虹をかける。冬季には氷結して、見事なシャンデリア状になる事も。
 発見は勝道上人と伝えられ、仏教の教えである華厳経から名付けられたといわれている。
 明治三六(1903)年、旧制一高生であった藤村操がミズナラの木に「巌頭之感」を書き残して投身自殺をして以来、自殺の名所としても有名になってしまった。
 華厳滝は、その豪快さと華麗さにおいて日本有数の名瀑である。
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栃木 二荒山神社 Tochigi Fatarasan-jinja Futarasan Shrine in Tochigi

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 栃木の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)は、栃木県日光市山内にある神社である。祭神は、二荒山大神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の3神)とされる。
 宇都宮市の二荒山神社との区別のために、鎮座地を冠して日光二荒山神社とも呼ばれる。
 下野国の僧勝道上人が前日光から更に奥地に修行場を求め、神護景雲元(767)年、二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたのが始まりと伝えられる。
 もとは日光三社権現の一つだったが、明治の神仏分離令によってここを本社にし、二荒山神社と称するようになった。
 南北朝期の大太刀など国宝に指定されるような宝物を多数所蔵しており、拝殿の左手、神苑には、化燈籠や大国殿などがある。
 二荒山神社は、日光連山8峰、華厳滝、いろは坂等を境内に含む日本有数の広大な神社である。
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2007/1/28


東椎屋の滝 Higashishiiya-no-taki The Higashi-Shiiya Waterfall

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 「宇佐の三滝」「九州華厳」とも言われている名瀑であり、日本の滝100選に選ばれ、昔から観音信仰の霊場となっていた場所でもある。
 高さ85mのU字型をした断崖の真ん中から、滝壷めがけて垂直に落下する激しい水流は圧巻。落差による水しぶきが緑豊かな辺り一面に降り注ぎ、マイナスイオンが十分に供給されている。
 滝壷から流れ出る清流の渓谷、渓流の見事さも特色で、名勝「耶馬溪の内」として国に指定されている。
 滝の周囲は、絶壁の奇岩群に囲まれていて、新耶馬熔岩の岩肌が荒々しく聳え立っている様は、まさに豪快。清水に新緑の映える春、紅葉の秋、四季折々の素晴らしい景観を誇る。
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2006/11/29


竜頭の滝 Ryuuzu-no-taki The Ryuzu Fall

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 栃木県、日光市の湯ノ湖の湯滝、中禅寺湖の華厳ノ滝とならぶ奥日光の三大名瀑(めいばく)のひとつ。湯ノ湖から流れ出た湯川が、中禅寺湖に注ぐ手前にある、男体山(なんたいさん)の噴火によってできた溶岩の上を流れ落ちている。
 滝つぼ近くが大きな岩によって二分され、その形が竜の頭に似ていることが、この名前の由来とされている。
 長い階段状になった溶岩の上を流れる、渓流部の豪快さと、滝の落着部の美しさが見事である。
 周りの自然も見応えがあり、秋には紅葉、春にはつつじが咲き乱れる。そして冬には一面雪化粧に覆われて、何本もの氷柱ができあがる。その景色はまるで、そこだけ時間が止まっているかのごとく、滝の流れを形取った「氷滝」ともいう自然の神秘が現れる。
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いろは坂 Iroha-zaka Irohazaka Winding Road

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 いろは坂は、栃木県日光市馬返から中禅寺湖にある九十九折の坂道。「日本の道百選」にも選ばれている。中禅寺湖や日光湯元などの奥日光へ行くアプローチルートでもある。
 登りが第二、下りが第一の一方通行の道で、上下合わせて48ヶ所のヘアピンカーブがある。各々のカーブには「いろは・・・」の文字板が順に建てられている。
 古くは男体山や中禅寺湖への登拝者が通っていた道であった。明治初期まで奥日光は「女人牛馬禁制」で女性・牛馬は坂を登れなかったという。そのため入り口は「馬返し」と呼ばれ、女性が男体山を拝んで引き返した場所には「女人堂」が残っている。
 絶景が続くいろは坂。春はヤシオツツジ、秋は紅葉が美しい。第二の明智平からは、男体山や華厳の滝、中禅寺湖を一望できる。
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