NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/18


久麻久神社 Kumaku-jinja 

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 男山と女山の大小二つの丘からなる八ツ面山の中腹にあるのが、久麻久神社(くまくじんじゃ)。徳川家康が戦勝祈願に訪れた県下最古の入母屋造り本殿がある。
 古くから「きらら」と別称のある白雲母(しろうんも)という鉱石の産地として知られ、昭和初期まで採掘されていた。
 昭和二五(1950)年に国の重要文化財に指定された現在の本殿は、大永七(1527)年に再建されたもの。吉良氏やその一族の八ツ面城主・荒川氏が建立したと推定される。
 県下最古の神像彫刻「牛頭天王神像(ごずてんのうしんぞう)」や「陶製こま犬」など、貴重な美術工芸品も残されている。
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2007/11/28


新海三社神社 三重塔 Shinkai-sansha-jinja Sanjuu-no-tou 

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 長野県佐久市にある新海三社神社(しんかいさんしゃじんじゃ)は、古くより佐久三庄三十六郷の総社であり、武神として源氏の崇敬厚く、武田信玄ゆかりの神社としても知られている。永禄八(1565)年の上州箕輪城攻略の際に、信玄が奉納した戦勝祈願の願文が残されている。
 この神社の広大な境内にある三重塔は、新海三社神社の神宮寺の塔として、永正一二(1515)年に建立されたと伝えられ、国の重要文化財に指定されている。
 塔の一番下の屋根を支える垂木は、扇状に木を張った禅宗様、二段目、三段目の屋根の垂木はまっすぐに木を張った和様の建築様式が用いられており、初重と二、三重の垂木の方向が違っている。禅宗様、和様と両方の建築様式が取り入られ、近世の様式の折衷化の兆しが伺える
 明治維新の廃仏毀釈の際に、それまで神社にあった多くの仏教施設は破却の難にあったが、幸いにもこの塔は、神社の宝庫としてその難をまぬがれ、今も美しい姿を残している。
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2007/11/26


あきる野 二宮神社 Akiruno Ninomiya-jinja 

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 二宮神社は、東京、あきる野市二宮に鎮座する、國常立尊(くにとこたちのみこと)を祀神とした神社である。
 その創建年代は不明ながら、日本武尊が東征の折り、國常立尊を祀ったのが始まりといわれ、平安時代に編纂された延喜式神名帳にも登場する、古式ゆかしい神社である。
 また、藤原秀郷(ひでさと)が、平将門追討の折り、同社に戦勝祈願を行ったとも伝えられている。
 同社は多摩市の一の宮から始まり、横浜市の椙山神社を六の宮とする「武蔵六社宮」の二の宮にあたり、社号もこれに由来している。
 毎年九月八日から二日間、しょうが祭りが行われており、普段は静かな境内も「しょうがを食べれば風邪を引かない」という言い伝えの元、多くの参拝者で賑わいを見せる。
 境内には都内で最も古いといわれる、数学の問題を解いて奉納した算額が残されている。
 緑多い静かな境内で算額を前に、昔の人と知恵比べをしてみるのも面白いかもしれない。
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2007/10/1


天恩寺 Tenon-ji Tenonji Temple

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 愛知県額田郡額田町大字片寄字山下にある臨済宗妙心寺派の寺。
 戦勝祈願がかない、この地に寺を建立する願を生前になし得なかった足利尊氏の意をくんだ三代将軍足利義満が、貞治元(1362)年見性悟心禅師(けんしょうごしんぜんじ)に命じて天恩寺(てんおんじ)を建立した。
 城門のような豪壮さのある山門「薬医門」をくぐり境内に入ると、禅宗独特の放生池があり、橋を渡ると仏殿が見えてくる。仏殿は反りのはげしい唐模様の建築であり、国の重要文化財である。
 天恩寺には大杉があり、家康公見返りの大杉といわれている。そのいわれは、戦勝祈願に寺を訪れた家康が、このあたりで突然延命地蔵菩薩から「家康、家康」と呼び止められ、振り返ると大杉の後ろから刺客が矢を射る寸前であった、という伝説に基づくものである。幸いにも難を避けられた家康は、大杉を幾度も幾度も振り返り、戦場へ向かっていったと言われている。
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平勝寺 Heishou-ji Heishoji Temple

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 平勝寺(へいしょうじ)は愛知県東加茂郡足助町綾渡奥にある曹洞宗の寺院である。
 元和元(1616)年に書かれた「略縁起」では聖徳太子が開いた寺と記されており、その当時は檀独山大悲密院と称され、天台宗の寺院であった。
 その後、後醍醐天皇の第三皇子である平勝親王が、戦勝祈願のためこの寺を訪れ、その後、平勝寺と呼ばれるようになった。
 寺に安置されている木造観音菩薩坐像は平治元(1159)年に造られたものである。像は桧の寄木造で、胎内には墨書銘が残されており、国の重要文化財に指定されている。
 一七年に一回のご開帳という秘仏である。
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2007/9/28


中神の獅子舞 Nakagami-no-shishi-mai 

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 中神の獅子舞(なかがみのししまい)は、東京都昭島市にある熊野神社で、毎年の四月第三日曜日に奉納される獅子舞である。
 戦国時代に関東一円を北条氏が支配していたころ、八王子城主の北条氏照が、京都で見た三匹獅子舞を気に入り、城内で出陣の儀式に取り入れて戦勝祈願をしたのに始まり、その後の徳川時代1620年頃から幕府が獅子舞を奨励、関東から東北各地にかけての農村に三匹獅子舞を定着させていくこととなる。
 一説には幕府による天下平定政策の一環だったとも言われる。
 三匹の獅子は、大頭(だいがしら)、中頭(ちゅうがしら)、雌獅子と呼ばれ、顔は金色で顎には朱色の水引を掛けている。また、衣装は藍染めに唐草牡丹を白く染め抜いた鮮やかなものである。
 東京都の無形文化財に指定されているその舞は勇壮さに秀で、中でも約4kgある獅子頭を被ったまま背面に反り返る太刀懸りは神業と呼ばれるほどである。
 五穀豊穣を祈って豪快な舞を見せる三匹の獅子は、いつも人々の歓喜の輪の中にいる。
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2007/5/22


塩山 雲峰寺 Enzan Unpou-ji Unpoji Temple

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 雲峰寺(うんぽうじ)は山梨県甲州市塩山上萩原に位置する臨済宗妙心寺派の寺社である。山号は裂石山(さけいしざん)。
 天平十七(745)年、開基。修行中の行基の前に雷が落ち、裂けた石の中から現れた十一面観音を萩の木に刻み、本尊としたと伝えられている。
 後に武田家代々の戦勝祈願の寺として歴代の当主が訪れ、信仰したという。
 伽藍は戦国時代、武田信虎により再建されたもので、本堂、庫裏、書院は全て国の重要文化財に指定されている。
 宝物殿には日本最古の日の丸の御旗「風林火山」の孫子の旗、諏訪神号旗が寺宝として展示され、武田家とのゆかりの深さを感じさせる。
 境内には樹齢数百年のヒガンザクラが立ち、峰の桜と呼ばれ、春には鮮やかな花をつける。
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2007/4/3


金鑚神社 Kanasana-jinjya 

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 金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社である。昔は武蔵国二の宮とも称された。地名の二の宮はこれによる。
 境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義 家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にした時のものという伝説の「駒つなぎ石」「旗掛杉」「義家橋」などがある。
 社殿 本殿、拝殿、弊殿が一体となっており、本殿は享保9年、拝殿は安永7年、弊殿は嘉永3年に建築された。権現造りの社殿は修復されたが、内部の極彩色漆塗は建築当時のもの。
 幣殿の格天井に掲げられた15面の天井絵も必見である。
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