NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/17


のれん 淡雪 Noren Awayuki 

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 「暖簾(のれん)」とは、お店の軒先や出入り口に吊るしたり、日除け、風除け、魔よけなどの目的で吊るされる、布製の垂れ幕のことをいう。
 日本独自の伝統・文化として、昔から家々のいたるところに張られ、特に商家にとってはお店の象徴として、のれんは重要な役割を果たしてきた。
 ショップ「羅工房」では、モダンと古典の融合をコンセプトに、のれんや掛軸、タペストリーなどの和雑貨を、ひとつひとつ手作りで提供している。
 職人の仕事のぬくもりや、自然の恵みの素晴らしさなど、作品にこめられた粋と意気といった和の心が感じとれる。
 「淡雪(あわゆき)」とは、春先にうっすらと積もる、消えやすい雪のことをいう。こののれんは、麻の柔らかい素材に、ほのかに雪化粧した椿の花が上品に描かれており、飽きのこない作品となっている。
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2008/1/8


霊山寺 三重塔 Ryousen-ji Sanjuu-no-tou 

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 奈良県奈良市にある霊山寺(りょうせんじ)の三重塔は、本堂とは谷をはさんだ南側の斜面上にある。弘安六(1283)年頃に建立されており、高さ約17メートルで檜皮葺(ひわだぶき)である。
 軒下の組み物は華やかな三手先(みてさき)、軒先の野垂木(のだるき)は二層になっており、軒が深く整った印象である。
 塔の足元には、柱の頭部に宝珠をつけた擬宝珠高欄(ぎぼうしゅこうらん)の縁側がある。
 内部には、大和絵の様式を確立させた画才・巨勢金岡(こせのかなおか)の筆とされる極彩色の五大明王図、仏涅槃図などの壁画が一面に描かれている。
 明治三二(1899)年に国の重要文化財に指定された。
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2007/8/13


厳島神社 五重塔 Itsukushima-jinja Gojuu-no-tou 

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 厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の宮島にある神社である。祭神は、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。
 推古天皇元(593)年に、豪族・佐伯鞍職(さえきくらもと)によって創建された安芸国一宮で、日本全国に約500社ある厳島神社の総本社であり、江ノ島・竹生島とともに日本三弁天の一つとされている。
 五重塔(ごじゅうのとう)は、応永一四(1407)年に建立された、禅宗様式の唐様と和様の建築様式が美しく調和し、ひときわ目を引く高さ29.3mの塔である。国の重要文化財に指定されている。
 禅宗様式の特徴として、屋根軒先の反りが著しく、初層の内部は完全な唐様で、柱の上部には金襴巻きの装飾画があり、壁には極彩色の仏画が描かれている。
 厳島神社の五重塔は、和様と唐様が融合した、特徴ある歴史的建築物である。
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2007/8/9


信光明寺 Shinkoumyou-ji Shinkomyoji Temple

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 信光明寺(しんこうみょうじ)は、愛知県岡崎市岩津町東山にある浄土宗の寺である。本尊は、釈迦如来。
 宝徳三(1451)年、松平家3代信光が浄土宗鎮西派の釈誉存冏(しゃくよぞんげい)に帰依、創建された。
 境内にある観音堂は、文明一〇(1478)年に建てられたもので、屋根の軒先の反りの深さ、総門の屋根にあがっている鬼瓦などに、室町中期の禅宗的趣味がよく表されており、国指定の重要文化財となっている。
 江戸時代には、将軍家の先祖菩提寺として幕府により篤く庇護され、諸堂の焼失などの際にも修復費用が捻出されている。
 この寺には文化財も多く、室町時代の山越阿弥陀如来像、南北朝時代の雲中阿弥陀如来像などが存在している。
 信光明寺は、徳川家の先祖・松平家の菩提寺として有名な長い歴史を誇る寺院である。
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2007/3/5


千灯籠まつり Sen-tourou-matsuri 

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 千灯籠まつりは、今から約五百年程前、まだ小豪族が乱立し勢力を争っていた戦国時代の末期からはじまったといわれる歴史あるまつりだ。灯籠を各家庭の軒先に飾ったり、お寺の参道に奉納するという風習がありその数が次第に増え、いつしか千灯籠と呼ばれるようになったと言われる。
 平成元年には日本一に挑戦と銘打ち、日本一高い灯籠タワーづくりに成功。それまで千二百個だった街路の灯籠も、参加した人々の協力により九千二百個に増加し、その数でも日本一となっている。
 祭りの当日、夕闇が迫るころ、町中の灯籠が一斉に点灯され、町は一面幻想的な光の世界へと変貌し、高さ二十二メートルの灯籠タワー周辺の広場では、ふるさと見本市、郷土太鼓の競演などが幻想的な空間の中、繰り広げらる。
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2007/2/16


柄杓 Hisyaku Hishaku

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 柄杓は、昔から水を汲む用具として使われてきた。古くは竹の節を残して切ったものや、木幹のコブをくり抜いたものに柄を付けていたが、今では、金属製やプラスチック製が広く使われている。その大きさや用途は様々。
 曲物柄杓は、神社や寺院の手水舍か、風雅を好むたたずまいにしか見られなくなったが、昔は日常的に使われた。ヒシャクというのは、ヒサゴ(瓢箪)を二つに割って使った事に由来。ヒサゴが訛ってヒサクとなり、さらにヒシャクとなった。古くから凹んだ所には、神霊が宿ると考えられ、柄杓は聖なる容器として特別に扱われた。元旦の若水迎えは、年の暮れに用意した新しい柄杓を持って井戸や清水の流れる所に水を汲みに行く。この水を汲んで年神に供え、口を漱ぎ、雑煮を炊くのに使う。また、魔除けとして軒先にかけて流行病をふせぐ呪いとしたり、自在鉤に結びつけて火伏せのお守りにするのは、柄杓に特別な力があると考えられた事による。
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2007/1/25


城東の町並み Joto-no-machinami The Old Joto Area

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 旧出雲街道が通る岡山県の津山盆地は、城下町として古くから栄え、その町の東に宿場町があった。今は、「城東地区」と呼ばれ、酒造元、紙商、鎌商など格子造りの古い商家が軒を連ね、県の町並み保存地区に指定されている。
 津山城跡から旧出雲街道に沿って続く約1キロメートルの道が、保存の対象。出雲街道が城防備のために作った鍵曲り(かいまがり)と呼ばれる一種の迷路で屈折しながら東西に通る。低い軒先、格子戸、なまこ壁などといった昔ながらのたたずまいを見せている。
 見どころは、伝統的な建築法で再現された火の見やぐらや、町家「作州城東東屋敷」、江戸期から大正期までの建物が美しく調和した「城東むかし町家旧梶村家」など。
 映画「男はつらいよ」やドラマ「あぐり」のロケ地としても有名だ。
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2007/1/24


間垣 Magaki Magaki

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 石川県輪島市の門前町あたりの西保海岸沿いに見られる、軒先より高い竹の垣根。
 西保海岸は、高さ八〇メートルにもおよぶ絶壁や巨大な岩礁がある秘境であり、冬の日本海から、強烈な季節風が吹き付ける。
 間垣は、その風から家屋を守るためのもの。
 高さは約五メートルに及ぶ。ニガ竹を隙間なくぎっしりと並べて垣根を作る。夏は涼しく、冬は暖かいのが、間垣の特徴。そこには、自然と一緒に生きる、能登の人々の生活の知恵を感じることができる。
 毎年十一月に入ると、冬の厳しい風に備え、間垣の修繕が行われる。秋の終わり、冬の到来を告げる風物詩である。
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