NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/7/19


久礼八幡宮大祭 Kure-hachimanguu-taisai The Grand Festival of Kure Hachimangu Shrine

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 久礼八幡宮大祭(くれはちまんぐうたいさい)は、高知県高岡郡中土佐町の久礼八幡宮にて毎年9月に行われる秋の大祭である。高知県の三大祭りにも数えられる。
 通称・御神穀さん(おみこくさん)と呼ばれ、太鼓と太鼓をぶつけ合って競う「けんか太鼓」など、漁師町らしい勇壮な祭りである。
 起源は戦国時代までさかのぼり、飢饉に五穀豊穣を願って祈願したところ、豊作を迎えた事から、そのお礼祭りとして始まったとされている。
 頭屋と呼ばれる祭りの主役を中心に進められる祭事様式や、大祭中に「御神穀様」「御神幸」などの祭事が行われ、新穀で酒、もちをつくり、神に供える。
 初日の夕方からは境内に露店が軒を並べ、夜には花火大会も開催される。
 久礼八幡宮大祭は、地元に密着し、親しまれている大祭である。
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2007/6/29


円空上人滞洞跡 Enkuu-shounin-taidou-ato 

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 円空上人滞洞跡(えんくうしょうにんたいどうほら)は、北海道八雲町にある洞窟。高名僧・円空にゆかりのある場所である。
 その昔、旧熊石町、黒岩という集落にあった洞窟の奥には妖怪が住んでおり、この洞窟に訪れた正直者に宝を授けていた。いわゆる「隠れ座頭」とよばれるものである。
 国道229号線の道端に「円空上人滞洞跡」と書かれた案内の柱が立っている岩があり、そこが隠れ座頭のいた洞窟跡だ。
 円空上人が寛文五(1665)年に松前に渡り、約20ヶ月蝦夷地に滞在したときにこの洞窟にも滞留し、地蔵尊を作像。眼病のものはこの洞窟に安置されている地蔵尊に祈り、治ったあかつきにはお礼に米を供えたという。
 同じ八雲町にある根崎神社のご神体・聖体音観音像と北山神社・相沼八幡神社のご神体であるふたつの来迎観音像も、円空がこの洞窟で作像したものであるといわれている。
 
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2007/6/6


能面 釈迦 Noumen Shaka Noh Mask Shaka

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 能面(のうめん)とは、能楽に用いる仮面である。
 釈迦(しゃか)は、釈迦牟尼仏の事で、愛宕山の天狗が、比叡山の僧正に命を救われたお礼に、釈迦が霊鷲山での説法のようすを真似る時に使う面である。
 「大会」のみに用いられる面で、天狗の面の上からつけるので大きな面になっている。
 「大会」とは、庵室で修行する比叡山の僧のもとに、かつてこの僧に命を助けられた天狗が山伏姿で現れ、どんな望みでも叶えると言い立てる。釈迦の大法会を見たいと望むと、本当に釈迦の説法を見せて貰えた僧が思わず拝んでしまい、神聖な仏法を天狗ごときが玩んだと怒った帝釈天が駆けつけ、幻の大会を滅茶苦茶にし、天狗を痛めつけるという話である。
 釈迦は、早変わりが大きな見せ場の特殊な能面である。
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2007/4/2


忍び駒 Shinobi-goma 

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 忍び駒は、岩手県花巻市にて造られる民芸品である。
 南部藩の昔から馬の産地として知られる岩手県には、数々の馬玩(馬の郷土玩具)がある。
 稲藁を材料にした素朴な裸の馬人形で、美しい布で飾られた花巻地方独特のものである。
 忍び駒とは、花巻地方の円万寺・馬頭観世音に古くから伝わる、縁結びや子孫繁栄、五穀豊穣などの祈願の使い駒とされる藁の馬人形の事である。
 里人はその祈願に際し、駒を人に見られぬよう深夜密かに観音前に供えて帰り、祈願成就した時はお礼のため先に供えた駒に五色の色布を着せ飾り、再び仏前に供える習わしであった。
 昭和41年には、郵政省の記念切手図案として採用されている。
 忍び駒は、今でも縁起が良いとして地域の人々に愛されている郷土玩具である。
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2007/2/5


ホーランエンヤ Horan-enya Horan Enya

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 大分豊後高田の新年を祝う勇壮な「ホーランエンヤ」は、江戸中期に始まった伝統行事。
 当時は、長崎島原藩の領土であった事から、年貢米を島原や大阪の蔵屋敷に船で運んでいた。その年貢米を運ぶ回槽船の航海の安全と豊漁を祈願する行事として始まったと云われている。
 市の中心を流れる桂川が祭りの舞台。大漁旗や万国旗、五色の紙を付けた笹竹などで、華やかに飾り立てられた宝来船に、締め込み姿の若者と、囃子方、踊り子、関係者らが乗り込み、下流の金毘羅宮を出発。川をジグザグに漕ぎ上がり、上流の若宮八幡を目指す。途中、観客から祝儀が差し出されると、漕ぎ手の若者が厳寒の川に勢いよく飛び込み、受け取りに行く。そのお礼に宝来船からは拍手喝采が起こる。
 周辺にある「昭和の町」として甦った商店街の店頭には、その店のお宝、骨董など昔懐かしい品々が並ぶので、町並みを眺めながらの散策も楽しい。
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2007/2/1


龍田神社 Tatsuta-jinjya Tatsuta Shrine

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 「龍田神社(たつたじんじゃ)」は、聖徳太子が竜田明神(法隆寺の守護神)から法隆寺を建立する地を示してもらったお礼に建立した鎮守社。奈良県生駒郡斑鳩町に所在する。祭神は天御柱命(あめのみはしらのみこと)・国御柱神。
 崇神天皇の時、風水害のため凶作が続いたので占うと、天御柱命と、国御柱神の祟りと判り、幣帛(へいはく 神前にささげる布)を整えてこの二神(現在の祭神)を祀ったところ、五穀豊穣になったという伝説が残っている。
 毎年6月28日〜7月4日の7日7夜行われる風鎮大祭は1300年の歴史があり、その年の風難除けを祈るもの。特に最後日が盛大で、午前10時頃から龍田神楽が舞われる。
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2007/1/26


箭山神幸祭 Yayama-shinkousai Yayama-shinko Festival

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 箭山神幸祭(ややましんこうさい)は、大分県中津市で行われる神事である。
 箭山神社は、八面山の山頂にあり、ご神体は神殿左横にある巨大な石体と社殿の南西1kmにある大池である。
 大宝元(701)年に僧・法蓮によって開かれた。山道左側には法蓮による開山を記念して鎌倉時代に建立された角塔婆があり、県指定の有形文化財となっている。
 箭山神幸祭で奉納される「千歳楽」は、生命力旺盛な稚児だけで踊る念仏踊りなどの要素を含んだ民俗芸能で、慶長元(1596)年の大干ばつの際、箭山神社で雨乞いをし、豊作の恩恵をうけたため、お礼を奉納したのが始まりと伝えられている。
 箭山神幸祭は、五穀豊穣、家内安全を願う伝統ある祭である。
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2006/11/29


伊佐爾波神社 Isaniwa-jinjya 

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 愛媛県松山市にある伊佐爾波神社。国の重要文化財に指定されている。
 創建は平安時代に遡る。現在の社殿は江戸時代の1667年(寛文7年)に当時の藩主松平定長が江戸城で行われた流鏑馬(やぶさめ)の必中祈願成就のお礼に建て替えたもの。その様式は、京都の石清水八幡宮・大分の宇佐八幡宮とともに、日本を代表する八幡造と言われる。
 本殿は金箔貼りの柱、極彩色による色づかい、細密な彫刻が施された総檜皮葺が素晴しく、安土桃山時代の優美な世界にひきこまれていくようだ。
 紅葉の季節には、社殿の朱い色が紅葉に映え、それは美しい眺めとなるという。
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