NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/11


法然 Hounen 

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 法然(ほうねん)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶。浄土宗の開祖。
 長承二(1133)年、美作国久米(現・岡山県)に誕生。
 9歳の頃、押領使だった父が殺され、住職だった叔父・観覚のもとに身を寄せ、仏教を体得。6年後、単身比叡山へ。源光・皇円・叡空などの師匠に才能を絶賛される。黒谷青竜寺への隠遁を許され、修行を積む。
 43歳の頃、唐の善導大師の『観経疏』によって、「阿弥陀如来の誓い=本願念仏」を辿り着き、承安五(1175)年に、当時としては革新的で独自性に満ちた教説を持つ、浄土宗を開いた。
 碩学の僧、聴衆300人を集め、浄土法門を論じ合った「大原問答」が有名。65歳で著した『選択本願念仏集』は、現在でも経典と同様の扱いで読み継がれている。
 晩年は、激しい弾圧、流罪などに見舞われた。80歳で往生。
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2007/10/11


親鸞 Shinran Shinran

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 親鸞(しんらん)は、鎌倉時代初期の僧。浄土真宗の開祖。
 承安三(1173)年、京都・日野に誕生。九歳から二九歳まで、比叡山にて堂僧として修行を積む。その後、浄土宗開祖・法然の門弟となり、「他力念仏」の道を極めた。
 専修念仏の弾圧により、法然・親鸞ら八名が流罪となる。法然と生き別れした親鸞は、越後で俗名を名乗って暮らした。
 赦免の後、関東の常陸(現・茨城県)に移り、法然の教えを土台に、約二〇年間に及ぶ伝道布教を行った。親鸞は権力を持たずに、非僧非俗の立場を貫いた。
 帰郷し、主著『教行信証』(顕浄土真実教行証文類)を初め、多くの書物を仕上げた。浄土真宗の核が完成し、様々な継承・発展を遂げた。口承の書として、『歎異抄』が有名である。
 弘長ニ(1262)年、九〇歳で往生。没後に皇室から見真大師の諡号を贈られる。
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2007/9/14


岡崎市 妙源寺 Okazaki-shi Myougen-ji Myogenji Temple

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 岡崎市の住宅地の表通りからは見えにくい、奥まった場所に「妙源寺(みょうげんじ)」はある。
 薬医門(やくいもん)と呼ばれる構造の山門をくぐり、参道を直進すると四脚門がある。さらにその門の先には、室町時代中期に建てられた「太子堂」があり、聖徳太子一六歳像などが祀られている。かつて堂の前に柳の木があったことから、「柳堂」とも呼ばれる。
 文暦ニ(1235)年、碧海一郡の領主・安藤薩摩守信平(あんどうさつまのもりのぶひら)は、この柳堂に親鸞聖人を招き説法を受けたという。これに感化された信平は武門を捨て仏門に入り、正嘉ニ(1258)年、「明源寺」を建立したのが寺の始まりとされる。
 後に家康公を尊敬していたことから徳川氏の本姓である「源」の一字を賜り、「妙源寺」と改称したという。
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2007/8/30


茨城 西念寺 Ibaraki Sainen-ji Ibaraki Sainenji Temple

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 浄土真宗別格本山 稲田山西念寺。
 鎌倉時代の初め、越後への流罪が解かれた親鸞は、招かれて茨城県笠間市稲田のこの地に草庵を結び、布教をしていた。
 建保二(1214)年から寛喜四(1232)年のことである。
 この間、根本教典の「教行信証」を記し、その後京都に戻った。
 境内にはお葉付き銀杏をつけるイチョウの珍種がある。2000年11月15日に県の文化財に指定された。
 銀杏は化石の植物といわれ、その起源は百万年以前に遡る。この木は老木ではないが、それが親鸞聖人が蒔いたものと思って見れば、参拝の念佛者にとって特になつかしいものである。
 参拝者は一粒の実を参拝の記念に蒔いて、深き佛縁を喜んでいる。
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2007/7/24


お取越と植木市 Otorikoshi-to-Ueki-ichi Otorikoshi Service and the Plant Fair

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 お取越と植木市(おとりこしとうえきいち)は、新潟県三条市本町にある三条別院で毎年11月5日~8日に行われる行事である。
 元禄三(1690)年、三条別院は、米山以北の真宗大谷派寺院を統括する東本願寺の別院として創建された古刹で、今でも「ご坊さま」の名で親しまれている。
 お取越とは、報恩講御引上会(ほうおんこうおひきあげえ)の事で、県内各地からの参詣客で大変な賑わいをみせる。
 報恩講は真宗大谷派にとって一番大切な講で、親鸞聖人の命日に先立って、全国各地で「おとりこし」の報恩講が行われる。
 この期間に開催される植木市は、草花の苗や鉢植え、果樹の苗木、庭木などを求める客が多く訪れ、県下の名物となっている。
 お取越と植木市は、今では欠かせない、晩秋の風物詩である。
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2007/5/1


西本願寺 Nishi-honganji 

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 京都府京都市中京区にある寺。世界文化遺産として登録されている「古都京都の文化財」一七件のうちのひとつである。
 親鸞聖人の教えである、浄土真宗本願寺派本山。親鸞聖人の廟を東山大谷に建てたのが始まりである。
 のちに大坂城が建てられた石山本願寺での石山合戦から約一〇年後、天正一九(1591)年、豊臣秀吉の寄進のより現在の場所の移った。
 建物の規模は大きく、国宝に指定されているものも数多く伝えられている。
 特に能舞台として日本最古の北能舞台を初め、唐門、書院、黒書院、飛雲閣など、それぞれに桃山文化の薫りを伝える豪華絢爛な造りとなっている。
 大書院には「滴翠園」(てきすいえん)と呼ばれる庭園があり、特別名勝に指定されている。四季折々の移り変わりの中で華麗な風情をみせる庭である。
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2007/2/2


比叡の樹林 Hiei-no-jurin Forest on Mt. Hiei

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 比叡の樹林は、滋賀県大津市坂本本町にある比叡山延暦寺の境内の樹林の事である。
 延暦寺は、比叡山全域を境内とする寺院で、最澄により開かれた天台宗の総本山。浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮等が若い日に修行している事から日本仏教の母山とも称される。
 延暦寺の境内には、古くから杉やモミなどの木が切られずに生い茂っている。
 雨に煙る風景は特に美しく、琵琶湖八景のひとつとして「煙雨・比叡の樹林」が選ばれている。
 延暦寺など諸堂が建ちならび、それを取り囲む樹林が煙雨に濡れ緑をしたたらせている様子は、幽幻な雰囲気を漂わせており、大変幻想的である。
 比叡の樹林は、昔のままの景観を今に留める景勝地である。
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2006/12/22


築地本願寺 Tsukiji-honganJi Tsukiji-hongan Temple

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 東京都中央区にある正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」と呼ばれる寺。
 元和3年(1617年)京都にある西本願寺の別院として建立された。火災や関東大震災を経て昭和9年(1934年)、現在のインド様式の建物に再建された。本堂には珍しいパイプオルガンが設置されている。
 外見を見る限り、とても日本のお寺というイメージはないが、寺の中にある本堂内は桃山様式の立派な本堂で、金色に輝く「阿弥陀如来像」や、木彫りの「聖徳太子像」、本願寺前宗主「勝如上人」が描かれた掛け軸などが置かれている。
 浄土真宗は親鸞聖人の導きであり、その教えを今も懇親的に伝えるお寺のひとつである。
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