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2008/1/8


函館 湯倉神社 Hakodate Yukura-Jinja Yukura Shrine

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 函館の湯倉神社(ゆくらじんじゃ)は、北海道函館市湯川町にある神社である。祭神は大己貴神、少彦名神。
 元和三(1617)年、創祀されたと伝えられる。
 承応二(1653)年、松前藩主・松前氏広の嗣子で、後に第9代藩主となる高広が幼時の時、重い病を患ったという。
 母・清涼院は霊夢に信託を得て、境内地に湧出する温泉に入浴させてみた所、高広は全癒した。
 翌年、松前氏は報賽として社殿を造営し、黄金の薬師像・唐金造りの鰐口(わにぐち)などを神社に奉納したとされる。
 湯の川温泉発祥の地とされる神社であり、社殿東側の脇にある「湯川温泉発祥の地碑」には、温泉の歴史が書かれている。
境内は見事なイチョウの大木や多くの緑に守られており、静謐で神聖な雰囲気が漂う。
 湯倉神社は、温泉街の守神とも言える地域に根ざした社である。
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2007/10/24


北海道 賀老の滝 Hokkaidou Garou-no-taki The Garo Waterfall

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賀老(がろう)の滝は、北海道島牧郡島牧村にある大瀑布。道南の最高峰、標高1520mの狩場山に降る雨を集めて流れる千走(ちはせ)川が作り出した滝で、日本の滝百選にも選ばれている。別名、飛龍とも呼ばれる。
 35mの幅をもち、70mの高さから一気に水が流れる豪快な滝だ。これほど大きい滝なのに、滝つぼがなく、水は直接滝下の大岩にぶつかり、周囲一面にダイナミックに水しぶきを飛ばす。
 滝つぼについては「お宝伝説」が残る。松前藩が国替えの際に金銀財宝を幕府に没収されるのを恐れて滝つぼに埋めたために滝つぼがなくなった、というものだ。
 滝の近くには、川の縁の岩の割れ目から「ドラゴンウォーター」(竜神様の御神水)と名づけられた炭酸水が湧き出ている場所もあるそうだ。
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2007/8/24


旧関川家別荘 Kyuu-sekikawa-ke-bessou 

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 旧関川家別荘(きゅうせきがわけべっそう)は、一七世紀の終わりから明治三〇年代まで、松前藩一の豪商として江差で回船問屋を営んでいた関川家の別荘を当時の姿に修復した建物。北海道豊川町に所在する。
 関川家初代・与左衛門は越後の人で天和年間(1681~1684)に松前に移り、その後江差に定住、酒屋を営んだ。二代目からは事業を拡大、回船問屋も営み、他に米問屋・海産・金融・薬・味噌醸造・紙漉から農地開拓まで幅広く手がけて、財を成したという。
 面積一万一〇〇〇〇平方メートルもある日本庭園からは、当時の繁栄振りがうかがえる。
当時の姿に復元された建物は一般公開され、江差の最盛期の頃の様子を伝える古文書や調度品などの貴重な品々が展示・保存されている。
 旧関川家別荘は、豊川町の有形文化財に指定されている。
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2007/7/6


夷王山 Iou-zan 

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 夷王山(いおうざん)は、北海道上ノ国市街の裏手にある標高159mの丘陵地。
 この地には、室町時代に松前藩の祖・武田信広が花沢館から移り住み、勝山館と名づけられた城郭が築かれたという歴史がある。松前藩は後に本拠を松前に移すが、16世紀末まで日本海側の拠点として繁栄したという。
 夷王山の山頂からは、日本海に浮かぶ奥尻や大島、日本海の美しい海岸線、上ノ国、江差町一帯が眺望できるビュースポットである。
 初夏には付近一帯に約5000種の山野草が咲き揃う。とりわけエゾヤマツツジは美しく、夷王山を真っ赤に焦がすように咲き乱れる。
 毎年6月には「夷王山まつり」を開催。たいまつ行列や神楽、獅子舞の奉納などが盛大に執り行われ、近隣の人々で大変賑うという。
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2007/7/4


上ノ国八幡宮例大祭(渡御祭) Kaminokuni-hachiman-guu-reitaisai(Togyo-sai) 

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 上ノ国(かみのくに)八幡宮例大祭は、北海道上ノ国町にある町指定有形文化財の「上ノ国八幡宮」で行われる祭り。別名渡御祭(とぎょうさい)とも言い、江戸時代中期以来の伝統を誇る例祭である。
 上ノ国八幡宮は、松前藩の祖・武田信広が室町時代の文明五(1473)年、勝山館に館神として創建したのが始まり。
 上ノ国八幡宮例大祭は、松前藩が祖先の上ノ国に敬意を表し、江戸時代から始めた例祭で、毎年9月中旬に開催される。
 祭囃子が鳴り響き、勇壮な武士の姿の御徒土行列や神輿が町を練り歩き、社殿では神楽舞が舞われる。
 御徒土行列は、その昔松前藩が祭りのときだけ徒歩でお供をする住人に武士の裃(かみしも)の着用を許したことに由来する。
 上ノ国八幡宮例大祭は300余年の歴史を持つ、これからも大切に受け継いでいきたい伝統行事である。
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門昌庵 Monshou-an 

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 門昌庵(もんしょうあん)は、北海道八雲町にある寺社。江戸時代に松前藩のお家騒動の舞台となった地として有名である。
 その昔、延宝年間(1673~1681年)の松前藩主・矩廣の代のとき、松前家の菩提寺住職・柏厳和尚が悪臣たちの悪巧みにより、熊石に流されてしまった。柏厳和尚はそこで庵を結び、読経三昧の日々を送っていたという。しかし、悪臣たちの手は熊石まで届き、和尚は処刑されてしまった。その時、川が逆流するなど数々の奇怪な現象が起こり、祟りを恐れた藩は和尚の首を庵のそばに手厚く葬った。そしてこの庵を和尚の号を取って「門昌庵」と名づけ、以降松前藩は供養を続けたという。この事件を俗に「門昌庵事件」という。
 赤い色が鮮やかな門昌庵の山門は、およそ400年前に豊臣秀吉が松前藩5代藩主・義広に下賜された桃山別殿の裏門だったが、後に14代藩主・章広が庵に寄進したとされる。
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2007/6/29


北海道 太田神社 Hokkaido Oota-jinja 

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 太田神社(おおたじんじゃ)は、北海道せたな町にある北海道最古の山岳霊場。航海の安全と、霊神の加護として信仰され、道南五大霊場のひとつでもある。
 創立は、室町時代の嘉吉年間(1441~1443)と言われ、享徳三(1454)年に松前藩の祖、武田信広が太田に上陸した際に太田大権現の尊号を賜ったと伝えられている。
 本殿は標高約320mの山頂の洞窟内にあり、本殿までの道のりは険しい。急勾配の石段を登り、ロープを伝って山道を20分ほど進むと「女人堂」に到着、さらに奥へ進み絶壁を登りきると岩穴にある本殿にたどり着く。
 この太田神社には円空などの高僧、高名な旅行家・松浦武四郎などの探検家も訪れているとされる。松浦武四郎は手記に「オニカミノボリ」と記しているという。まさに「鬼が神のように登る道」だと言えよう。
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2007/6/26


松前藩戸切地陣屋跡 Matsumae-han-hekirichi-jinya-ato 

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 松前藩戸切地(へきりち)陣屋跡は、江戸時代に蝦夷地の防衛を強化する目的で、幕府が安政二(1855)年に松前藩に命じて作らせた陣屋の跡地である。北海道北斗市に所在する。
 この陣屋は、四陵の星型をしており、東側の一陵に砲台六門を擁していた。明治元(1868)年には函館戦争の旧幕府軍の攻撃に遭い、松前藩兵の手により自焼、放棄されている。その後昭和五四年から国や道の保護を受けて環境保護を行い、平成十三年に再建。現在では市民の憩いの場として親しまれている。
 陣屋に続く長い道路には桜が植えられており、春の満開時には桜のトンネルとしてたくさんの人々の目を楽しませている。
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