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2008/10/3


堀川運河 Horikawa-unga 

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 堀川運河は宮崎県日南市油津に位置する。日南市の油津港と広渡川を結ぶ。運河の完成は、貞享三(1686)年で、工事期間は約2年強かかったという。
 当時、飫肥杉(おびすぎ)の木材を運搬する目的で飫肥藩が水路として開設した。飫肥杉は粘りが強く、水に強い木材であったため、造船用の材料として使われた。運搬方法は、木材をいかだに組んで、堀川を下る方法である。また近くを流れる遠賀川の洪水対策としても考られていた。
 運河に架かる堀川橋(通称乙姫橋)は明治三六(1903)年、名石工、石井文吉によって4年歳月をかけて造られた。船の通り道がアーチ型になった、レンガ造りの洋風感覚で、映画『男はつらいよ』にも登場する町のシンボルである。
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2008/7/16


貞山運河 Teizan-unga Teizan Canal

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 貞山運河(ていざんうんが)は、仙台湾沿いにある運河のことをいう。総延長約四六、四キロメートルの全国一長い運河で、旧北上川河口から阿武隈川河口までを結んでいる。
 仙台藩主伊達政宗は慶長二(1597)年、松島湾と阿武隈川を結ぶ運河の建設を命じた。政宗亡き後も複数の運河が計画され、その後明治一七(1884)年まで建設が続いた。貞山掘とも呼ばれ、伊達政宗公の謚(おくりな)である「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」(ずいがんじでんていざんぜんりだいこじ)からその名がついた。
 この時代の物資輸送は舟運が中心だった。当時の内務卿大久保利通は、東北六県の長官に意見を求め、宮城・岩手間の米輸送に欠かせなかった北上川に着目し、北上川と阿武隈川を結んで東北の輸送手段を造ろうと考えた。
 現在の運河は、農業用水路や漁港の一部として利用されるほか、釣りの名所としても知られる。また、七北田川から名取川にかけての運河沿いには、美しい松林が続く海岸公園があり、サイクリングロードなどが整備されている。
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2008/4/7


はんだ山車まつり Handa-dashi-matsuri Handa Dashi (Float) Festival

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 知多半島の付根にある愛知県半田市は、江戸時代から海運で栄え、今も運河と現役の蔵が残る町である。毎年春の3月下旬から5月3日・4日にかけて、市内各地で二百年の伝統を持つ山車祭りが行われるが、それらの山車が5年に1度、10月に一同に集結する勇壮な祭りイベントが「はんだ山車まつり」である。
 第1回はんだ山車まつりが行われたのは、昭和五四(1979)年の5月で、この時初めて、市内10地区31台の山車が勢揃いした。その後、市制50周年を記念した第2回の昭和六二(1987)年以降、5年おきの10月に開催されるようになった。
 「はんだびと」誇りである趣向を凝らし豪奢な彫刻や幕などで装飾された山車が、勇壮な曳き回しの後に一堂に会す様子はまさに圧巻で、見るものを魅了してやまない。
 他にも、民俗芸能披露・市民パレード・物産市など、総合的イベントとしても見応えがある。秋空の元、半田市内が祭りの熱狂に包まれる2日間である。
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2007/9/6


石井閘門 Ishii-koumon Ishii Locks

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 石井閘門(いしいこうもん)は、宮城県石巻市水押にある建造物である。国の重要文化財に指定されている。
 閘門とは、水位差のある川や運河などで船舶を通すために設ける水位調節機能を持つ施設で、2つの水門の間に船舶を入れる閘室を持っている。
 石井閘門は、北上運河の起点に水位調節のため建造された煉瓦閘門である。
 内務郷大久保利通の命を受け、内務省雇長工師のオランダ人ファン・ドールンが計画し、明治一三(1880)年、竣工した。
 明治政府が東北開発の拠点として建設を進めた野蒜(のびる)築港事業の代表的遺構であり、日本における近代閘門のさきがけである。
 石井閘門は、明治から大正にかけて全国に建造された近代閘門の規範を示すものとして、土木技術史上価値が高い建築物である。
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2007/7/25


北上運河 Kitakami-unga 

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 北上運河(きたかみうんが)は、宮城県石巻市の中心部を流れる旧北上川の河口から鳴瀬川の河口までを結ぶ約12kmの運河である。
 水をなみなみとたたえた川面は美しく、運河沿いの歩道は真っ青な空と川の景色を楽しめる格好の散歩道である。
 北上運河は明治新政府による、我が国初の西洋式港湾である野蒜(のびる)築湾に伴い開削されたもので、明治十五(1882)年に完成した。
 開削当時に植えられた黒松林や、地元名産の稲井石を使った石積護岸、海面と北上川の水位差を利用して造られた煉瓦造りの石井閘門(こうもん)などが残り、明治の面影を偲ばせる。この石井閘門は、現在も現役で稼動中だという。
 現在、これらの遺構を保全しながら新たな水辺空間を造り出す地域運動が進められている。1999年にオープンした「北上川・運河交流館」がそのひとつで、交流館では運河紀行をバーチャル体験できるほか、歴史を学べる展示物もある。水の都、石巻ならではの試みである。
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2007/5/10


貞山堀 Teizan-Bori 

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 貞山堀(ていざんぼり)は、宮城県塩竈市から岩沼市にかけて存在する運河である。別名、貞山運河とも言う。
 仙台藩が慶長二(1597)〜寛文元(1661)年の64年間にわたり、仙台米を水上輸送する為に作り上げたものである。
 伊達政宗の命により開削されたため、法号の「貞山公」に因んで貞山堀と名付けられたという。
 仙台湾沿いに、阿武隈川河口の荒浜から松島湾の塩釜まで全長31・5kmの運河が掘られた。
 明治には、北上川〜鳴瀬川の北上運河と、鳴瀬川〜松島湾の東名運河が完成した。こうして、初期の貞山堀と合わせて約60kmの水路網が出来あがったのである。
 貞山堀は現在、物流に用いられる例はまれになってしまったが、農業用水路、漁港の一部、シジミ漁・シラス漁などの漁場、釣りなどのレジャーなど、多くの事に利用されている。
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2007/2/12


八幡堀 Hachiman-bori Hachiman-bori Canal

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 近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国において大津と並ぶ賑わいを見せたが、戦後は陸上交通の発展によって廃れてしまう。
 幅員約15m、全長6kmに及ぶ運河で、八幡城を築城した際、城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と琵琶湖の水運(当時の物流の要)を利用する商業的役割を兼ね備えていた。
 堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並び、華やかだった当時の様子をよく伝えている。
 近年になり、観光名所として整備され、船着き場などが復元された。
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2007/2/2


琵琶湖疏水の桜 Biwakososui-no-sakura Cherry Blossoms along Lake Biwa Canal

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 琵琶湖疏水の桜(びわこそすいのさくら)とは、滋賀県大津市園城寺町にある桜の名所である。
 清水寺などの桜の名所がよそからの観光客でにぎわうのとは対照的に、どちらかというと市民によって広く愛されているのが琵琶湖疎水の桜である。
 明治時代に琵琶湖と京都を結ぶ運河として作られた琵琶湖疎水は、現在は京都市民の飲料水の源となっている。
 平安神宮の大鳥居や京都市美術館、京都市動物園などがある岡崎辺りを流れる疎水は、岡崎疎水と呼ばれているが、こちらも桜の名所として有名である。
 現在、昭和の初期まで利用された琵琶湖疎水十石舟が復元されて、岡崎周辺で遊覧が行われており、4月の十石舟から眺める桜並木は絶景である。
 琵琶湖疏水の桜は、見るものを楽しませる、春の風物詩である。
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