NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/12


黄楊櫛 Tsuge-gushi Japanese Boxwood Combs

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 黄楊櫛(つげぐし)は、京都府にて今も作られている、髪をすく伝統的な女性の装飾品である。
 櫛の歴史は古く、一番古いものでは縄文時代まで遡る。また、黄楊で作られた櫛は万葉集にも詠まれており、櫛の中でも最上級品として歴史を重ねている。
 京都の黄楊櫛の生産は、平安時代から始まったとされている。
 黄楊の木は、材質が柔らかく地肌を傷つけず、櫛にとって理想的な性質を持っており、一般の櫛だけでなく、西陣織の綴織に使う櫛、京人形の結髪用の櫛など京都ならではの幅広い用途に使われている。
 また、静電気がほとんど起こらないため、枝毛や切れ毛になりにくく、頭皮への刺激も優しく、非常に高いヘアケア効果があるとされている。
 黄楊櫛は、健康的なだけでなく彫や蒔絵も美しい、いつの時代も女性を引き立てる装飾品である。
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2007/10/22


村雲御所 瑞龍寺 Murakumo-gosho Zuiryuu-ji Murakumo-gosho Zuiryuu-ji Temple

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 日蓮宗唯一の門跡寺院である村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)。今は滋賀県の八幡山の山頂にある。
 文禄五(1596)年、豊臣秀吉より切腹を命じられた、わが子秀次の菩提を弔うために、秀吉の姉、日秀尼(にっしゅうに)が創建したのが始まりである。
 この時、日秀尼は後陽成天皇から京都嵯峨の村雲の地と瑞龍寺の寺号を賜るのであるが、その後も宮家や摂関家からの入寺があったため、門跡寺院となり、村雲御所とも呼ばれるようになった。江戸時代には、嵯峨から西陣に移り、今は西陣織会館前に「村雲御所跡」の碑が立っている。
 昭和三七(1962)年、この寺の復興に生涯をかけた一二世貫首・日英尼は、秀次ゆかりの近江八幡城本丸跡への移転を決意し、現在の地に移った。
 遠くに鈴鹿連山の美しい山並み、南は近江の町並み、そして東には琵琶湖を一望できる。移築された本堂や庭園は、その後門跡たちの手によって整えられ、開かれた寺として、人々を迎え入れてくれる。
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2007/5/22


山口安次郎 Yamaguchi Yasujiro Yasujiro Yamaguchi

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 明治三七(1904)年一〇月一日生まれ。西陣織の中でも特に高い技術と熟練を必要とされる「唐織」という技法を使い、能装束を制作。
 小学校卒業後より、機織を始め、90年以上に渡り織り続けている。
 戦後、金剛流宗家・初世金剛厳の依頼をうけ、300年前の能装束の復元を始めたことより、能装束の研究にも従事。
 国内外より高い評価をうけ、戦後、マッカーサー元帥に能装束裂地を寄贈した他、現在では、世界各地の美術館に作品が収蔵されている。
 能装束の他にも、祇園祭等での天水引の復元は、内張絹を復元現状するなどを手がけている。
 昭和五七(1982)年に「現代の名工」に選ばれ、また、昭和五八(1983)年には長年の功績を評価され、勲六等瑞宝章を授与されている。
 実兄の山口伊太郎翁とともに、ご兄弟で二百歳を超えてなお、現役で西陣織という伝統を進化させ、挑戦し続けている姿は、人々に勇気を与えてくれる。
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2007/1/30


友禅 Yuuzen Yuuzen

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 京友禅は、江戸時代中期に宮崎友禅斎によって創始されたと言われ、西陣織とともに京都を代表する伝統産業として発展してきた。
 ひとつの布の面に、世界でも類を見ないほどの多彩な色彩を使い、「友禅模様」と呼ばれる曲線的で簡略化された動植物、器物、風景などの文様を描き出すのが特徴である。
 技法的には江戸中期までの染めの様々な技法を総合したものといえ、以来今日に至るまで改良を重ねるとともに、時代の好みに応じて意匠を変遷させてきた。
 友禅の「開拓者」として知られる森口華弘(1909〜)、「蒔糊(まきのり)技法で有名だ。金粉を装飾的に使う漆の蒔絵技法を友禅に生かし、糊を金粉のように蒔いて染め抜く独自の技法を考案し、新たな友禅の美の世界を広げた。氏は、昭和四十二(1967)年に「友禅」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されている。
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2006/12/20


西陣織 Nisijinori Nishijin Weaving

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 応仁の乱(一四六七年)で一度は壊滅状態となった京都の織物だが、乱が終わると職人たちも京都に戻り、戦乱の際に西軍の陣地が置かれていた辺りで織物作りを再開した。以来、西陣織と呼ばれるようになる。
 大陸伝来の高機(たかはた)、先染の紋織物などで高級絹織物・西陣織の基礎が築かれ、その産地としての西陣が確立された。
 明治になると人材をフランスなどに派遣、ジャカード織物などの技術を取り入れ近代化に成功。わが国高級織物の代名詞となった。特に多色の糸を使う紋織物は絢爛豪華で、有数の精緻さを誇る。
 現在では、伝統的な帯地や着物に限らず、ネクタイや和装小物などの材料用としても格調高い優れた製品を生産。インテリア用途の製品や斬新な感覚の洋風着物なども作られており、12品目の技法が伝統工芸品指定を受けている。
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