NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/29


新田原古墳群 Nyuutabaru-kofun-gun 

Jp

 宮崎平野には多数の古墳群が存在する。これらの古墳群の多くは、河川地域ごとに広がる小高い丘陵上や、宮崎県内では原(はる)と呼ばれる台地上につくられている。
 新田原古墳群(にゅうたばるこふんぐん)もそのひとつで、五~六世紀につくられた古墳群である。一ツ瀬川を挟んで対岸には西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)があり、この西都原と向かいあう広大な台地の縁辺から中部にかけて、前方後円墳や円墳をはじめ全部で大小二〇七基もの古墳が群集している。家の形をした石棺をもつ石舟塚や、今も形の整っている弥五郎塚などが残っている。
 また、古代人の霊を慰める古墳祭が行われ、この日は「土」の字にちなんで「十一月十一日十一時十一分」ちょうどに祭典が始まる。
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2007/8/14


西郷古墳 Saigou-kofun 

Jp

 宮崎市内から、ひむか神話街道を北へ向かう。古事記や日本書紀で多くの舞台となった宮崎は、まさに神話のふるさと。県内のいたるところに文化財、史跡などの歴史遺産が点在している。車は2時間半ほどで美郷町に行き着く。
 美郷町は、周囲を美しい山々に取り囲まれ、小丸川、五十鈴川、耳川といった豊かな清流が流れる。この自然環境に恵まれた町の真ん中に位置する西郷区の外れ、鳥の巣集落からやや離れた、標高400mの地点に西郷古墳(さいごうこふん)がある。
 直径10m、高さ2mの小さな円墳だが、昭和四(1929)年に直刀や鉄剣が出土。さらに昭和五二(1977)年には粘板岩の切石を利用した石棺が発掘された。昭和一〇(1935)年7月2日、県の文化財(名勝)に指定。
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2007/1/25


金隈遺跡 Kanenokuma-iseki Kanenokuma Ruin

Jp En

 金隈遺跡は、福岡県福岡市博多区にある墳墓遺跡である。
 標高30mの丘陵上に、甕棺墓348基、土壙墓・木棺墓119基、石棺墓2基が発見された。
 甕棺墓では小児用の数が圧倒的に多い。残された人骨の一部には抜歯の風習がみられた。
 金隈遺跡は、紀元前2世紀頃から西暦2世紀頃まで、約400年に渡って使用された弥生人達の共同墓地の跡である。しかも、副葬品や埋蔵物に、鏡などの権力者が保有していたと見られるものが全くないことから、一般弥生人、つまり庶民達の墓地であることが確認された。
 現在史跡公園として整備され、展示館内では、弥生時代の甕棺墓や土壙墓が発掘された姿のまま見学できる。
 1972年、国の史跡に指定される。
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