NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/5


武家造 Buke-zukuri Buke-zukuri

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 武家造(ぶけづくり)とは、鎌倉時代の武士の館の建築様式のことである。
 平安時代の貴族住宅の様式である寝殿造(しんでんづくり)は、寝殿と呼ばれる中心的な建物が南の庭に面して建てられ、東西に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物を配し、それらを渡殿(わたりどの)でつなぎ、更に東西の対屋から渡殿を南に出してその先に釣殿を設けていた。武家造は、この寝殿造りを簡略化したもので、板ぶきの屋根・板敷きの床などの簡素なもので、防備のため一種の城郭の設備が施されていたとされている。しかし実例がないため詳細は不明であり、現在の通説では独自の様式とはされていない。
 また、室町時代の書院造りの祖形となったと考えられており、室町時代初期に建てられた金閣は、1層が寝殿造、2層は武家造、そして3層は禅宗仏殿造という3つの様式が見事に調和し、銀閣寺にみられる書院造への変遷過程をたどることができる。
 因みに江戸時代の武家屋敷と混同されがちだが、全く別の様式である。
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2008/2/27


書院造 Shoin-zukuri 

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 書院造(しょいんづくり)は、室町時代中期以降に成立した、日本における住宅建築様式の一つであり、通称銀閣と呼ばれる慈照寺の東求堂にある同仁斎が、現存する最古のものとされる。
 特徴として床の間や違い棚、附書院という座敷飾りを備えたものであることや、襖や障子などの間仕切りの発達により屋内が用途に合わせて細分化されていること、畳が敷き詰められていることなどがある。
 元来、書院とは禅僧の住房にある居間兼書斎の名称で、たいていは庭に面した造りとなっていた。
 この書院を中心に構成された住宅様式を書院造といい、格式を重んじ、対面と接客の機能を重視したものとなっている。
 室町時代後期には、寺院や武家住宅に押板や棚、書院を備えるものが造られるようになり、次第に書院造の形式が整えられていくこととなった。
 書院造は、平安時代から続いていた大きな敷地を必要とする「寝殿造」から、建物の外観よりも、内部を進化させていった建築様式といえるだろう。
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2007/4/13


厳島神社 社殿 Itsukushima-jinjya Shaden The Shaden of Itsukushima Shrine

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 平安期の建築様式である、寝殿造りを忠実に伝える社殿は、国宝に指定され、創建は推古天皇元(593)年。その後、仁安三(1168)年ごろにに時の権力者であった平清盛によって現在の華麗な姿に改められた。
 度重なる再建にもかかわらず、造営当初の建造物の面影を現在に伝える貴重な例であり、寝殿造りの様式を、宮島の山と海との境界を利用して実現させているところが、見所である。
 入り江に潮が満ちてくると廻廊をめぐらした社殿が水に包まれていく。紺碧の海に浮かぶ、朱塗り、桧皮茸の荘厳な社殿の姿は、息を呑むほどに美しく、まるで竜宮城のようである。
 瀬戸内で繰り広げられてきた幾多の栄枯や戦禍を見つづけてきた大鳥居は、北の沖合いにある。かつては満ち潮に乗って海中に建つ大鳥居をくぐり、参拝するのが作法であった。
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2007/4/12


毛越寺庭園 Moutsu-ji-teien Pure Land Gardens at Motsuji Temple

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 東北地方で中尊寺と共に平安時代を代表する寺院、毛越寺の庭園。 
 作者は不明であるが、いたるところに作庭記流の意匠が見られることから、作庭記に精通した者の意匠であることが伺える。広大な池泉を中心として作庭されており、中島が二島、池泉の東南岸に一ヶ所、南側に三ヶ所の出島が作られている。
 大きい方の中島のほぼ正面に圓隆寺金堂址があり、鐘楼址と鼓樓址がある。作庭当初においては、中島から南大門に反り橋を架けてつないでいたという記述があり、このことから寝殿造りの意匠であることがわかる。
 平安時代の庭園遺構の殆どが、石組保存されていないことを考えると、この毛越寺の庭園は、平安期の意匠がよく保存されている。
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2006/11/27


ふすま Fusuma Fusuma (sliding door)

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 襖の起源は8世紀から9世紀頃。几帳、衝立、屏風、明かり障子など、寝殿造り内部の調度品から、日本独自のものとして生まれてきた。
 11世紀には日本で大和絵が盛んになり、襖や屏風に表現され、初期の防寒の役目から室の装飾的要素が加わり、当時の貴族の風俗に深い関わりを持つようになった。
 やがて16世紀、安土・桃山時代に武家階級の書院造が完成すると、襖は寺院・城郭に絵画芸術の発表の場として役割を果たすことになる。江戸時代には数寄屋造りが住宅様式に入り、襖は広く町民階級にも普及することとなる。襖絵も豪華絢爛さから淡白で質素なものへと単純化されていった。
 現在では、伝統を受け継ぐ表具店の高級襖から気軽に使える壁紙式のカジュアルな襖まで、様々なバリエーションの襖が広く愛用されている。
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