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2007/12/4


だんじり工芸 Danjiri-kougei 

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 だんじり工芸(だんじりこうげい)は、大阪府八尾市に伝わる伝統工芸品である。
 だんじりとは、大阪などの伝統的な祭りに使われる山車の事を言い、岸和田のだんじり祭りなどで、その言葉が知られている。
 だんじりの語源は諸説あり、屋台をじりじりと動かすことから、「台ずり」が転じたか「山車(だし)」が方言化され、「だんじり」になったとする説などがあり、正確な語源は不詳とされる。
 だんじりは、江戸時代末期に幕府が当地の山車を造る大工たちの技術を認め、日光東照宮の修築施工を命じたことがあったほど、宮大工の最高の技術を結集した工芸品と言われている。
 現在では、展示会出展や愛好家のためのミニチュアだんじりの製作も行われている。
 だんじり工芸は、祭りには欠かせない伝統的な工芸品である。
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2007/11/28


妙宣寺 五重塔 Myousen-ji Gojuu-no-tou 

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 佐渡には新潟県内唯一の五重塔がある。妙宣寺(みょうせんじ)の五重塔、国の重要文化財である。
 寺のはじまりは、鎌倉中期、法華経を唱えた日蓮が佐渡へ流された時、日蓮の身の回りの世話をしていた遠藤為盛と妻の千日尼が自宅を寺として開基したのが始まりだと伝えられている。弘安元(1278)年のことである。為盛は日蓮の直弟子となり後に阿仏房日得上人といわれた。寺には日蓮聖人筆書状などが残されている。
 五重塔は、佐渡相川の宮大工の棟梁親子が三十年の歳月をかけ、文政八(1825)年に完成させた。日光東照宮の五重塔を模したといわれるその姿は、高さ約24m、本瓦葺の純和様で、四天柱と心柱を貫(ぬき)でつなぐ独自の手法が用いられている。東照宮の五重塔は文化一四(1817)年の再建である。
 初層の隅木(すみぎ)下の持送りには、棟梁作の竜頭の彫刻が見られるなど、地方色豊かな仕上がりになっている。
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2007/9/28


日光彫 Nikkou-bori Nikko Carving

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 日光彫(にっこうぼり)は、栃木県日光市に伝わる伝統工芸品である。
 寛永一一(1634)年、三代将軍徳川家光は、東照宮を現在の荘厳な社殿に造り替えることを宣言し、全国から宮大工、彫物大工、漆工、金工、絵師など名匠たち延べ168万人を集めた。
 そのうち彫物大工は40万人もおり、これらが仕事の余暇に彫ったものが、日光彫の起源といわれている。
 東照宮完成後、日光に残った彫物大工たちは東照宮の補修や整備にあたる一方、お盆や箪笥などを彫り続け、日光見物に訪れる人々にお土産として売った。また、明治以後は盛んに輸出された。
 樹種は主に栃の木を用い、高級品には彫刻の上に堅地漆で仕上げた日光堆朱塗(ついしゅぬり)が存在する。
 日光彫は、木の持つ暖かさと一つずつ丹念に彫り上げた手作り感が心地よい伝統工芸品である。
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2007/6/21


宮大工 Miya-daiku Miyadaiku

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 宮大工(みやだいく)は、神社仏閣の建築や補修を行う大工。堂宮大工(どうみやだいく)とも言われる。
 何年も自宅を離れ社寺のある土地に住み、技法などを研究しながら仕事を行うため「渡り大工」とも呼ばれる。
 通常の大工とは違い、神社や仏閣はそれぞれが一つしか存在しない建物のため、同じものを作ることはない。また、補修を重ね後世に渡る建造物を手がけるため、高度な技術はもとより、考古学・地質学等の多岐にわたる知識が必要になる。
 三百以上の道具を使い、釘を使わず接木を行う「引き手」や「継ぎ手」などの伝統的な技法を利用するが、これらの技術は師匠から弟子へ口伝されるが、かつては日本に数百名いるとされていた宮大工も、現在は百名程度となった。
 著名な宮大工には「法隆寺昭和の大修理」の棟梁となった西岡常一氏や「浅草寺観音堂」の修理を行った佐々木嘉平氏、「海住山寺五重塔」の修理を行った文化財保存技術者の松浦昭次氏などがいる。
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2007/5/22


墨壷 Sumitsubo 

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 大工道具、である。しかしながら単なる道具の域を超えた、造形的に芸術品と言えるようなものも存在している。
 用途は、木材にまっすぐな線を描くことだ。「墨付け」あるいは「けがき」と言う。「池」と呼ばれるくぼみの中に墨を含んだ綿が入っており、その間を通って引き出された墨糸をピンと張り、木材を打つように指で弾くことによって真っ直ぐな線を描く道具である。
 墨付けから工事が始まり、また仕上がりの良し悪しも墨付けの正確さが決定することから、墨壷には機能性とともに仕事の成功を願う職人の気持ちが込められるのだ。
 奈良・東大寺南大門の梁の上で見つかった有名な「忘れものの墨壷」は、実は大切な大工道具を敢えて置いて行ったと思われる当時の棟梁の、恐らく最後の仕事の証でもあり、南大門を守り続けて欲しいという職人の願いの象徴でもあったのだろう。
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2007/5/21


鑿(のみ) Nomi Chisels

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 鑿の用途としては、素材に対して穴を穿ったり、溝を刻んだりと主に構造加工の際に使われるものである。
 その歴史は古く、原型といわれるものでは石器時代にまでさかのぼることになる。ほぼ現在と変わらない鑿が用いられ始めたのは飛鳥時代頃だと推定されている。
 その種類や用途は多種多様に及び、鑿を専門に打つ鍛冶職人でさえ、名称だけではその形状や、どういった用途に使われるのかさえ分からないものもあるという。
 もちろん、大工仕事には欠かせない道具の一つである。
 今も日本全国に残る様々な名所、旧跡の建立に一役買ってきた。
 日本各地に点在する古来からの建造物に悠久のかなたへの思いをはせる時、そこには必ず、このさほど大きくはない道具が存在し、そしてそれを使って作業に勤しんでいた職人たちがいたのである。
 そう考えると、少しだけ、壮大な日本の歴史が身近なものに思えてくる。
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鋸(のこぎり) Nokogiri 

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 鋸は大工道具の中でも最もポピュラーな存在だが、その分歴史も古く、日本においては古墳時代の遺跡から、鋸と思われるものが出土している。
 大きく分けて、両刃鋸と片刃鋸の二種類があり、それぞれに縦挽きと横挽きの二種類の刃形状がある。
 刃はそれぞれの突起が若干、外側に曲がっている。
 これは、『あさり』と呼ばれるもので、引いて木材を切った際、その外側に曲がっている分、切り口は広めに削られる。これにより、刃と木材との抵抗を減らし、より切削作業をスムーズにすることが出来るようになっている。
 古代から現代まで使い続けられてきた道具の進化の一端でもある。
 他の大工道具と同じく、鋸もまた日本の歴史に深くかかわる建造物などを数多く生み出してきた。
 引いては削り、押してはまた引く。その動作は、1000年以上の時を経ようと、変わらない。
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2007/5/14


さるぼぼ Sarubobo 

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 飛騨弁で、赤ちゃんの事を「ぼぼ」と言う。「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」という意味で、災いが去る(猿)、家内円(猿)満になる等、縁起の良い物とされ、お守りとしても使われている。基本の形は赤い丸顔に赤い身体、黒い頭巾と腹掛けを纏い、両足を広げ、両腕を上げて広げた姿である。最近では赤以外に黄色や緑色など、様々なバリエーションもある。
 飛騨は山深く、奈良時代は「下々の下国」と呼ばれた程で、気候は寒く、土地が無い上に痩せていた。そんな風土から年貢も払えず、男は雑徭(宮大工)として駆り出され、少ない人口が更に減って大変だったといわれている。残された子供達は玩具も買ってもらえず、お婆さん等に作って貰ったのが、この「さるぼぼ」のはじまり。その後、はやり病、特に天然痘が多かった為、魔よけ的な意味で、赤い布で作られる様になった。
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