NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/26


島松駅逓 Shimamatsu-ekitei Old Shimamatsu Communication Station

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 駅逓(えきてい)は、交通が不便な地に駅舎と人馬を備えて、宿泊と運送の便をはかるために設置されたもので、開拓期の北海道で重要な役割を果たした。
 島松駅逓は、明治六(1873)年札幌本道の開通に伴い設置されたもので、明治十七年からは市内の島松に入植し、寒地稲作の祖とうたわれた中山久蔵が経営にあたってきた。
 この駅逓は、クラーク博士ゆかりの場所でもある。クラーク博士が札幌農学校で教鞭を取った後に帰国の日を迎えた明治十年四月十六日、島松駅逓に見送りに来た学生たちにあの有名な言葉、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」を残して去った地として有名だ。
 道内で現存する駅逓の中では最も古いもので、当時の様子を今に伝える貴重な遺構として国の文化財に指定されている。
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2007/7/11


本願寺 駅逓 Hongan-ji Ekitei 

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 駅逓(えきてい)とは、人や馬の往来などでの休息所として、宿と駅の機能を兼ね備えた施設だ。
 北海道雨竜郡沼田町にある本願寺駅逓もその一つであり、その「セガイ造り」の建物など、道内に現存する駅逓の中でも当時の様子を今もとどめている貴重な存在だ。
 本願寺という名称は、この駅逓が建てられた場所が、同寺の農業用地であったために付いた通称で、建物自体は明治二七(1894)年に建てられ、明治三三(1900)年に駅逓所として官設された。
 その建物は、道内にある駅逓では唯一の二階建てであり、そうした当時の様子を知るためにも非常に貴重な資料となっている。そのため、昭和四六(1971)年には道指定文化財として認定されている。
 当時の札幌もしくは旭川方面から、留萌方面へ向かう交通の要所として。また、奥地で開拓などに励んでいる人々に手紙を集配する郵便局として、この駅逓は重要な役割を果たしてきた。
 時代が流れ、運ぶものは変わっても、今も目の前の道を行き交う人々の流れは変わらない。
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2007/6/18


宿場 Shukuba Shukuba

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 宿場(しゅくば)は、江戸時代に存在した街道での駅逓(えきてい)事務を行うために設置された町場である。
 徳川家康によって関が原の戦い以降に整備され始め、東海道、中山道と整備されていき、最終的には甲州街道、奥州街道、日光街道の五街道や脇往還が設定された。
 宿場の重要な役割として、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷や手紙等を、次の宿場まで運搬するという業務があった。そのため本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設と、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心なっていた。
 しかし、それら公用の労役・業務について、利益を上げることは困難であっため、幕府は地子免除・各種給米の支給・拝借金貸与等の特典を設け、宿場の保護育成につとめた。
 明治以降には鉄道等の交通事情の変化によって、通行する人も少なったため、徐々に衰退していくこととなる。
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