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2007/5/31


津軽 福島城 Tsugaru Fukushima-jo Tsugaru-Fukushima Castle

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 約65万平方メートルの外郭と一辺約200mの内郭からなる近世以前では東北最大の城。
 発掘調査により、竪穴住居跡、外堀、内堀、土塁跡、門祉や柵柱列が発見され、古代から中世にわたる遺跡であると推定され、従来は、中世十三湊を支配し権勢を誇っていた安東(安藤)氏代々の居城であると伝えられて来たが、1992年の十三湊発掘調査の結果、堅固な土塁と大規模な掘に囲まれた本格的な城郭施設である事がわかった。
 また通説に反し、中世の遺物は全く出土せず、11世紀の土器が出土したことなどから、福島城は11世紀の城であった可能性が高く、内郭は兵士が集合したり、何らかの宗教的な儀式を行う場所であった、可能性が高いとされている。
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2007/2/13


石垣 Ishigaki Stone Walls

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 国境などの境界線を定めるものや、城や砦を守る為に石を組み上げて作られた柵や壁で、城や砦の建物自体の基礎として用いられる事も多かった。石垣は、古来からあらゆる文明で見る事が出来る。手法も、自然のままの石を積み上げたものや割った石や切った石を美しく組み上げて見栄えを良くしたもの、様々な種類の石を組み合わせて力を分散させ、排水を良く堅固にしたものなどがある。
 日本では、城郭などの石垣の建設に、穴太衆(あのうしゅう)などの近江国の石工の集団が有名であり、彼らの組んだ石垣は町並みに美しい特徴を与えている。また、琉球諸島などの伝統的な村落で、台風の被害を防ぐ為に、屋根の上に石を積んだり、家の周りに石垣を積んだりという事が行われている。
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2007/2/12


八幡堀 Hachiman-bori Hachiman-bori Canal

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 近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国において大津と並ぶ賑わいを見せたが、戦後は陸上交通の発展によって廃れてしまう。
 幅員約15m、全長6kmに及ぶ運河で、八幡城を築城した際、城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と琵琶湖の水運(当時の物流の要)を利用する商業的役割を兼ね備えていた。
 堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並び、華やかだった当時の様子をよく伝えている。
 近年になり、観光名所として整備され、船着き場などが復元された。
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2007/2/9


仙台城 Sendai-jyou Sendai Castle

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 1601年築城。現在の宮城県仙台市の青葉山にある平山城である。別名、青葉城ともいう。
 慶長年間に伊達政宗が築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り、伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。
 山城という不便さがあって,後に若林館を作り,晩年はそちらで過ごしている。
 仙台城は、青葉山を削平した本の丸を中心に梯郭式に二の丸・東の丸・三の丸が配置され、広瀬川の流れが自然の外堀となり、城の南には龍ノ口渓谷の深い谷が立ちはだかっている。
 広瀬橋を渡り、なだらかな坂を登った所が、大手門跡だ。肥前名護屋城の大手門を移築したとも伝えられる二層の大手門は、惜しくも戦災で無くなり、復元された二層の大手門脇櫓と道を挟んだ城壁が、当時の大手門付近の面影を僅かに偲ばせる。
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佐沼城 Sanuma-jyou Sanuma Castle

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 文治年間(1185〜1187年)の頃、藤原秀衡の重臣照井高直によって築かれ、奥州藤原氏滅亡後、源頼朝の家臣葛西氏の領有となったが、文明の末頃には大崎氏の家臣石川氏が拠った。
 築城の際、鎮護のために鹿を生き埋めにしたことから「鹿ヶ城」とも呼ばれ、沼や川に囲まれた天然の要害「水城」である。
 本丸跡は現在は鹿ヶ城公園となっており、かつては二の丸の南西側に鯛沼と呼ばれた沼が広がり外堀の役割を果たしていた。
 また本丸跡の東側には迫川が流れ、自然の堀のようになっており、出雲神社・照日権現が建っていますが、社の近くには佐沼城の沿革を記した「佐沼城址碑」がある。
 本丸の端の方にはこんもりと若干盛り上がった土塁跡が認められ、かつての佐沼城の面影を残している。
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2007/1/26


中津城 Nakatsu-jo Nakatsu Castle

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 中津城は、大分県中津市にある水城である。
 豊臣秀吉より豊前6郡を拝領した築城の名手、黒田孝高(如水)が山国川河口の地に心血を注いで築城したのが始まりである。城郭の形が扇の形をしていたことから「扇城」とも呼ばれる。
 周防灘(豊前海)に臨む山国川河口に築城され、堀には海水が引き込まれている。いわゆる水城であり、日本三大水城の一つに数えられる。
 城内には衣装、刀剣、陣道具、古絵図、古文書など興味深い資料が展示され、公開されている。
 中津城は、現在中津公園となっている。中津神社の境内でもある。1964年、ここに模擬五層天守と隅櫓が建てられ、天守内は資料館となっている。
 中津城は、戦国の昔に作られた古城であり、中津のシンボルと言える存在である。
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弘前城 Hirosaki-jo Hirosaki Castle

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 津軽統一を成し遂げた津軽為信(つがるためのぶ)によって慶長八(1603)年に計画され、二代信牧(のぶひら)が慶長十五(1610)年、築城に着手し、慶長16(1611)年に完成。以後、津軽氏の居城として、廃藩に到るまでの260年間、津軽藩政の中心地として使用された。
 本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭からなる面積約49.2haの平山城で、築城から約400年を経た現在も、天守、櫓、城門、三重の水濠等の築城形態の全貌を遺す城跡として今日保存されているのは全国でも類例が少ない。
 三重の小規模な天守ながら、南北に長く直線状に続く石垣の南端に建つ姿は、春は桜、夏は月、秋は楓、冬は雪と四季の妙なるたたずまいを見せる。
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堀越城 Horikoshi-jo Horikoshi Castle

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 弘前藩の基礎を築いた津軽為信(つがるためのぶ)が津軽統一の根拠地として利用し、大浦城から居城を移した文禄三(1594)年から、慶長十六(1611)年に二代藩主、津軽信枚(のぶひら)が現在の弘前城に移るまでの間、弘前藩の中心となった城。
 昭和六十(1985)年11月に国史跡指定を受け、現在は、史跡公園として整備するために、平成十(1998)年から継続して発掘調査が行われ、建物の柱のあとや、青磁・白磁、漆器などが出土している。
 現在は熊野神社の境内となり、国道7号が城を分断しており、神社の中に入り込むと、そこは主郭らしいつくりで土塁が積み上げられ、空堀の跡もよく残っており、古城という雰囲気が醸し出されている。
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