NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/25


人工心臓 Jinkou-shinzou Artificial Heart

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 「もし人工心臓を入れるのなら、痛くなく、かっこいいものにしたい。」デザイナーは、体内という外からは見えない人工臓器に対して、機能の向上性と美意識を求めた。
 それを可能に近づけたのが光造形という技術だった。光造形とは三次元CADデータを紫外線を使い、樹脂を立体物に成型するシステムである。空想上存在していた「だまし絵」のような複雑なかたちのものを、正確に現実の世界に成型することが可能。
 最先端の技術開発における近年のキーワードとして「融合」という言葉があげられる。これまで「壁」となってきた限界を、異分野の発想や技術と融合させることで、打ち破る。この人工心臓は、心臓移植に変わるものとして、その開発にあたっても今までの医療の分野を超えた視点から取り組まれている。
 今後のアプローチに期待がかかる。
 
■デザイン・ディレクター/医学博士
 川崎和男
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2007/10/3


亀山宿 Kameyama-juku Kameyama-juku

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 亀山宿(かめやまじゅく)は、三重県亀山市の東部にある、東海道四六番目の宿場町。
 宿場町であるが、城下町としても栄えた。多くの史跡が存在し、亀山城跡や石井兄弟敵討跡、江戸口門跡、京口門跡等が今もその姿を残している。
 安藤広重が描いた「東海道五十三次之内亀山」では、副題を雪晴とし、雪という気候の変化をテーマとしている。深い雪と斜面に生える木を描いているが、淡墨で描かれた真白い雪に美しさを感じる反面、当時の旅の困難さもうかがえる。
 現在、周辺には城の一部が移築再建された寺や、屋敷、直角に曲がった細い路地などが残り、城下の名残を残している。
 
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山口 松陰神社 Yamaguchi Shouin-jinjya Shoin Shrine in Yamaguchi

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 松陰神社(しょういんじんじゃ)は、明治二三(1890)年に創建された、明治維新に尽力した、吉田松陰を祀る神社。
 吉田松陰は、29歳で刑死するまで、門下の育成に力を注いだ。その中から、幕末から維新にかけて活躍する、高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、山県有朋などが輩出されている。
 初めは、松陰の兄の家に祀られていたが、昭和三〇(1955)年に現在地に移転し、新たに社殿が造営された。
 本殿の北隣には門下生を祀る松門神社が立ち、境内には松陰ゆかりの史跡や展示館などが点在し、高杉晋作や伊藤博文らが学んだ松下村塾や、松陰が謹慎した際過ごした、幽囚旧宅が保存公開されている。
 萩市で学問の神として最も尊敬を集める神社であり、正月には多くの初詣客が訪れる。
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2007/7/19


全国こけし祭り Zenkoku-kokeshi-matsuri National Kokeshi Festival

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 全国こけし祭りは、宮城県大崎市鳴子温泉の温泉神社にて毎年9月に行われている祭りである。その歴史と規模からこけし界の二大コンクールのひとつとされている。
 温泉神社では、全国の全国の伝統こけしの工人から、更に良い作品が作れるよう、こけし200体が奉納される奉納式が行われる。
 鳴子小学校体育館では、こけしの入賞作品の展示・即売・製作実演、ヘルスセンターでは、鳴子漆器の展示・即売、こけし供養祭なども行われ、賑わう。
 催しでは、工人たちが昔ながらのスタイルの伝統こけしを始め、作家の自由な発想の中で制作される創作こけしなどで、技術やアイデアを競い合っている。
 夜間は鳴子温泉街でお祭り広場、パレード、こけし囃子コンテストなどが開催され、尽きることなくこけしの祭典が続く。
 全国こけし祭りは、こけし工人の目標ともなっている祭りである。
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2007/6/21


岡崎宿 Okazaki-juku Okazaki-juku

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 岡崎宿(おかざきじゅく)は、東海道五十三次、三八番目の宿場。現在の愛知県岡崎市である。
 五万石の城下町であり、宿場町としての規模も大きく、矢作川と乙川が合流する地域だったため「五万石でも岡崎様は、お城下まで舟が着く」という唄が歌われていたほど水運の要の町であった。
 江戸時代には、徳川家康の生誕の地でもあったため別格の扱いを受け、代々、大名の中でも特別な役職を担う譜代大名を置くことでもそれが伺える。
 天正一八(1590)年に岡崎城主となった田中吉政は岡崎の郊外にあった東海道を城下町の中心を通るように変更。城の防衛のため、「二十七曲」と言われる多くの曲がり角がある道路整備を十年かかって造り上げた。
 この二十七曲は現在にも岡崎の町に残っており、石碑にはこの曲がどのように市内を通っているのかを見ることができる。
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土山宿 Tsuchiyama-juku Tsuchiyama-juku

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 土山宿(つちやまじゅく)は、東海道五十三次、四三番目の宿場。現在の滋賀県甲賀市、旧土山町にあたる。
 江戸から向かう道中の難所、鈴鹿峠を超えたところに設けられていた。
 「坂は照る照る・鈴鹿は曇る・あいの土山雨が降る」と唄われているように雨が多く、安藤広重の残した「土山春之雨」には絶え間なく雨の降り続く木立の間を、旅人の列が肩を濡らしながら歩く様が表現されている。
 実際には、手前にあたる坂下宿の方が雨量は多かったようだが、鈴鹿峠を境に天候が変わる様子を表現したと推測される。
 現在は当時の旅籠跡や、東海道一里塚跡、本陣跡、松並木など、当時を偲ばせる史跡が複数残されている。
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大津宿 Ootsu-juku Otsu-juku

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 大津宿(おおつじゅく)は、東海道五十三次の五三番目、中山道六十九次の六九番目に位置する、京への長き道の最後の宿場である。現在の滋賀県大津市。
 慶長七年に本陣が置かれたため発展に貢献し、町数一〇〇ヶ所、人口一八〇〇〇人と非常に大きい上、琵琶湖の物資が集散するため湖上交通でも要であり、宿場としても本陣二軒、脇本陣一軒、旅籠七一軒が並ぶ最大規模の宿場であった。
 現在では、当時の賑わいもひっそりと息をひそめ、石碑が当時の案内を残すにとどまっている。
 安藤広重の「東海道五十三次・大津」では、のどの渇きを癒す茶店が描かれており、この茶店にあった「走井の清水」で知られた井戸も現在の月心寺に残されている。
 また、絵の中に登場する走井餅(はしりいもち)は、こし餡がやわらかい餅に包まれた細長くお菓子で、現在も名物としてファンが多い。
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2007/6/20


大黒森 Ooguro-mori 

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 大黒森(おおぐろもり)は、青森県三戸郡田子町に広がる穏やかで美しい森である。水源の森100選に選出されている。
 古くから信仰の対象とされ地元の人々に親しまれており、地域の75%の水を供給している。
 頂上付近の山肌を這うように10万本もの山つつじの群生が広がり、6月上旬~中旬には山は赤く染まり最高の見頃となる。
 頂上の展望台からは、遠く八甲田山から太平洋まで360度のパノラマが堪能できる。
 山麓には創遊村、スキーランドなどがあり、その1・6km先には大黒森神社がある。神社わきからは遊歩道が通っており、山頂まで続いている。
 平成四(1996)年、大黒森は星空日本一に選ばれるなど、素晴らしい夜空と美しい自然を保つ、これからも長く愛されるべき景勝地である。
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