NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/1


足助神社 Asuke-jinja Asuke Shrine

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 愛知県東加茂郡足助町には二つの神社が並んでいる。大きいほうが足助八幡宮(あすけはちまんぐう)と呼ばれ、白鳳三(652)年に創建された由緒ある古い神社である。
 寄り添うように隣に立てられた足助神社(あすけじんじゃ)は明治三五(1902)年に創建された比較的新しい神社である。
 足助神社に祀られているのは、元弘の変の時に後醍醐天皇の味方となり、京都の笠置山に篭城した足助次郎重範という軍の総大将だった人物である。最後は捕らえられ、六条河原で斬首となったが、敵軍からは勇猛果敢、弓の名手として恐れられた。
 そのためか、足助町は弓道の盛んな土地柄でもある。
 足助神社の鳥居脇には、誤ってガンを射たことから出家した久右衛門という人物の辞世の句「先立ちし雁や浄土の道しるべ」が書かれた「雁塚」が建てられている。
 
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平勝寺 Heishou-ji Heishoji Temple

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 平勝寺(へいしょうじ)は愛知県東加茂郡足助町綾渡奥にある曹洞宗の寺院である。
 元和元(1616)年に書かれた「略縁起」では聖徳太子が開いた寺と記されており、その当時は檀独山大悲密院と称され、天台宗の寺院であった。
 その後、後醍醐天皇の第三皇子である平勝親王が、戦勝祈願のためこの寺を訪れ、その後、平勝寺と呼ばれるようになった。
 寺に安置されている木造観音菩薩坐像は平治元(1159)年に造られたものである。像は桧の寄木造で、胎内には墨書銘が残されており、国の重要文化財に指定されている。
 一七年に一回のご開帳という秘仏である。
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足助八幡宮 Asuke-hachiman-guu Asuke Hachimangu Shrine

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 足助八幡宮(あすけはちまんぐう)の創建は白鳳三(673)年とされる。明治元(1868)年の神仏分離で神宮寺が取り除かれ、その名残として鐘楼が残されている。
 本殿は室町時代の様式を残す三間社流れ造、檜皮葺(ひわだぶき)の優美な建物で、昭和二五(1950)年に国指定特別重要文化財に指定されている。
 奉納されている扁額「鉄砲的打図板額(てっぽうのまとうちずはんがく)」は 慶長一七(1612)年に、現在の足助町内にあたる三河国岩神村の沢田四郎右衛門尉の作である。鉄砲を描いた扁額は全国でも他に三枚しか現存しない。
 また、推定樹齢五百年の境内のスギは豊田市の天然記念物に指定されている。
 毎年一〇月第二日曜には豪華な山車四台が引かれる足助まつりが、一月には無病息災を祈願して七草粥の炊き出し行事が行われる。
 人々の足を助ける神として、現在では交通安全、病気平癒、安産の神として広く信仰されている。
 
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2007/9/14


高月院 Kougetsu-in Kogetsuin Temple

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 高月院(こうげついん)は、徳川家の始祖松平親氏(ちかうじ)、泰親(やすちか)の菩提寺として知られる。境内にある松平家墓所は、周囲を石製の塀で囲んでおり、葵の紋が刻まれた扉がつけられ、中央に親氏、そして泰親、親忠夫人の墓が並んでいる。
 高月院はもともと「寂静寺(じゃくじょうじ)」ともいい、貞治六(1367)年に足助重政(あすけしげまさ)が、親氏の妻の父親である在原信重の援護を受けて建立した。永和三(1377)年、松平親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔を寄進してから「高月院」と改め、松平氏の菩提寺となった。
 その後、慶長七(1602)年、徳川家康によって寺領百石が与えられた。寛永一八(1641)年、三代将軍家光により山門や本堂が再建され、明治維新まで徳川将軍から厚い保護を受けてきた寺である。
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2007/8/9


中馬街道 Cyuuma-kaidou The Chuma Kaido Road

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 愛知県豐田市足助町新町を走る国道366号線。江戸時代この付近の道は、中馬街道と呼ばれていた。中馬街道は、三河から足助を通り、信州の産物を名古屋・京都・大阪へ運ぶ最短路の物資輸送の街道として栄えた。
 信州の馬稼ぎ人たちの組合「賃馬」「中継馬」が中馬の語源と言われている。
その名の通り、「入馬千駄出馬千駄」とうたわれ、最繁栄時には約七千数百頭の馬が活躍していたと言われている。
 明治後半、中馬街道の中継地として栄えていた足助も、中央線の開通により、宿場町としての機能も失われていった。
 今でも、足助町の中心部には江戸時代の町並みが随所に残っており、中央を流れる巴川には、当時の道が保存され、散策することができる。
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2007/8/6


寧比曽岳 Nebiso-dake Mt. Nebisodake

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 寧比曽岳(ねびそだけ)は、愛知県豊田市大多賀町にある標高1121mの山である。
 なだらかな山容を見せる寧比曽岳は、1000m級の山々が連なる愛知高原国定公園の一部となっている。
 地質は、領家帯の花崗岩からなっていて、三河高原の最高峰で木曽山系、三河山系の山々を望むことが出来る。
 カラ類を始め野鳥も多く、ハイキング、バードウォッチング等のハイカーで賑わっている。
 山頂には花畑が有り、ヨメナのようなキク科の花やアザミなど、季節によって様々な草花で彩られる。
 山頂からは足助方面の展望が開けており、天気によっては近くの筈ヶ岳(はずがだけ)だけではなく御岳山までも望める。
 寧比曽岳は、気軽に登山できる自然に溢れた山である。
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岡崎市 飯盛山 Okazaki-shi Iimori-yama Mt. Iimoriyama

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 岡崎市の飯盛山(いいもりやま)は、愛知県豊田市足助町にある標高254mの山である。日本の紅葉百選に選ばれている。
 名勝・香嵐渓(こうらんけい)の一部であり、秋には矢作川の支流・巴川と足助川の両岸から飯盛山山頂にわたって、約4000本のカエデが紅葉して、素晴らしい景観になる。
 飯盛山全体がモミジに覆われているため、秋には葉が地面に落ち厚く積もるが、遊歩道は常に綺麗に整備され歩きやすくなっている。
 また、巴川にかかる朱色の待月橋(たいげつきょう)の上から眺める飯盛山の紅葉はまさに絶景で、周辺には史跡などもある。
 山には明治まで足助八幡宮の奥の宮があったが、今は痕跡もない。
 南西山腹には香積寺(こうしゃくじ)があり、春は白いカタクリの花が見事に群生する。
 岡崎市の飯盛山は、四季折々の景観が素晴らしい山である。
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香嵐渓 Kouran-kei Korankei Gorge

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 香嵐渓(こうらんけい)は、愛知県豊田市足助町飯盛にある景勝地である。
 寛永一一(1634)年、足助にある香積寺(こうじゃくじ)の三栄(参栄)和尚が、京都の嵐山にならって、巴川から香積寺に至る参道に楓、もみじの木を植えたのが始まりとされる。
 渓谷の名称は、昭和五(1930)年、香積寺の「香」と、渓谷に発する嵐気(らんき)の「嵐」をとって、香嵐渓と付けられた。
 巴橋から上流約1・2kmの巴川がつくる渓谷美と、ご飯を盛ったような山容を見せる飯盛山からなる地域である。
 紅葉の名所として知られており、四千本のもみじが黄や紅に染まる様は、まさに圧巻といえる。
 香嵐渓は、山野草の宝庫でもある、大自然の息吹を全身に感じられる名勝である。
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