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2008/4/15


江戸東京たてもの園 Edo-Toukyou-tatemono-en Open Air Architectural Museum

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 東京の西郊、都立小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」。江戸から昭和初期の二十七棟の建造物を収蔵した、風と光と空に溢れる野外博物館である。平成五(1993)年3月開園。
 7ヘクタールを擁する広い敷地には、東に下町、西に山の手、そしてセンターには歴史的に様々な曰くのある建物が並ぶ。
 ここでは、数多くの貴重な建物が、通りと一緒に町並みを形成し、また建物の内外には、当時の暮らしを彷彿とさせる生活道具が置かれているので、ディテールにも注意すると、江戸初期から昭和の幅広い時代の意匠を楽しみながら、同時に風景も感じられるようになっている。
 まさにその時代の空気感をまるごと体感できる場所である。
 三井家の邸宅、『千と千尋の神隠し』の油屋を思い出させる銭湯「子宝湯」、建築家・前川國男邸、昭和初期の政治家・高橋是清邸などが移築・復元されている。
 かつてあった場所の風景と、ここに再現された建物を、頭の中でつなぎ合わせると、まさにタイムトリップができるだろう。
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2007/10/3


亀山宿 Kameyama-juku Kameyama-juku

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 亀山宿(かめやまじゅく)は、三重県亀山市の東部にある、東海道四六番目の宿場町。
 宿場町であるが、城下町としても栄えた。多くの史跡が存在し、亀山城跡や石井兄弟敵討跡、江戸口門跡、京口門跡等が今もその姿を残している。
 安藤広重が描いた「東海道五十三次之内亀山」では、副題を雪晴とし、雪という気候の変化をテーマとしている。深い雪と斜面に生える木を描いているが、淡墨で描かれた真白い雪に美しさを感じる反面、当時の旅の困難さもうかがえる。
 現在、周辺には城の一部が移築再建された寺や、屋敷、直角に曲がった細い路地などが残り、城下の名残を残している。
 
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2007/7/2


愛国駅・幸福駅 Aikoku-eki Koufuku-eki 

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 北海道帯広市。そこには旧国鉄時代、広尾線が走っていた。
 1987年に廃止が決まった今はなきその路線に、愛国駅(あいこくえき)と幸福駅(こうふくえき)という二つの駅があった。
 昭和48年、それまで年間の切符販売数が、一桁という時もあったその路線に一大転機が訪れる。
 その年、ドキュメンタリー番組が放送され、この二つの駅が取り上げられると、名前の縁起のよさや北海道中央南部がもつ旅情などが相まって、多い時で年間1300万枚も売れるという一大ブームが訪れることとなる。
 廃線となって以降も駅舎は残され、公園として整備、切符の販売も続けられている。
 今も昔も、幸福を求めるのはいつの時代でも同じこと。
 この愛の国からの幸せを持っていれば、もしかしたら本物の幸福にめぐり合えるかもしれない。
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2007/6/11


桑名宿 Kuwana-juku Kuwana-juku

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 東海道を品川宿から数えて四十二番目の宿場に当る桑名宿(くわなじゅく)は、現在の三重県桑名市にあたる。「その手はくわな(桑名)の焼き蛤」と掛詞に残っているとおり、蛤が有名。
 桑名は宿場町として栄える以前から、物資の集積地、海運の中継港として栄えており、またお伊勢様として知られた伊勢神宮への参拝に向かう旅人にとっては、伊勢国への東の玄関口でもあった。
 桑名宿の一つ手前、名古屋の宮宿との間には木曽三川が流れており、越えることが大変難儀だったため、海上七里を船で渡る「七里の渡(わたし)」が設けられていた。歌川広重の東海道五十三次絵に「桑名 七里渡口」として描かれている。この航路は満潮時と干潮時で異なり、所要時間も一定していなかった。
 船着き場跡には伊勢神宮遙拝用の一の鳥居があり、伊勢神宮への参道を示す「伊勢国一の鳥居」とも呼ばれていた。この鳥居は今でも、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられている。
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2007/6/4


旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋) Kyuu-kuroiwake-juutaku(Kyuu-misumai-tuukouya) Old Kuroiwa Residence

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 旧黒岩家住宅(きゅうろくいわけじゅうたく)は、北海道札幌市南区簾舞にある古民家である。昭和五九(1984)年、札幌市の有形文化財に指定されている。
 明治五(1872)年、旧簾舞通行屋(きゅうみすまいつうこうや)は、有珠新道の開通に合わせて、旅行者などの宿泊・休憩施設として建てられた。
 その後、黒岩家3代にわたる住宅として使用されてきたが、昭和五九(1984)年、札幌市が譲り受けた。
 現在の建物は、通行屋であった旧棟と新棟からできており、新棟は、馬小屋や納屋など当時の開拓農家の様子と簾舞の歴史資料が展示されていて、郷土資料館として一般公開されている。
 平成一七(2005)年、旧黒岩家住宅は、新たに北海道遺産に選定された。
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2007/3/14


駿河竹千筋細工 Suruga-take-sensuji-zaiku Suruga Sensuji Bamboo Ware

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 駿河竹千筋細工(するがたけせんすじざいく)は、静岡県で造られる竹細工工芸品である。
 竹千筋とは、特徴である細い竹ひごのこと。。
 静岡の竹細工は、狩猟や旅行の際使用していた藤編笠を、岡崎藩士が安い竹で改良製作したところ大変好評で、同心達の内職として40戸あまりがこれに従事したところから始まった。
 当初は安かろう悪かろうの製品であったが、改良を重ねるうちに形や質が上がっていき、駿河の竹細工の名声が高まっていった。
 全国各地にある竹細工と違い、丸ひごを組み立てて造る、やさしい竹細工である。
 経済産業大臣指定伝統的工芸品となっている。
 駿河竹千筋細工は、繊細で柔らかい、魅力的な工芸品である。
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2006/12/17


蘭桧笠 Araragi-hinokigasa Araragi Hinokigasa (cypress bark hat)

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 長野県木曽郡南木曽町蘭(あららぎ)地域では、江戸時代前期から地元のヒノキ材を使った笠の生産が盛んだった。その伝統を受け継ぐのが「蘭桧笠(あららぎひのきがさ)」である。
 木曽街道を往来する旅人は、軽く丈夫で美しく、香りも清清しいこの木曽檜笠を日除けにも雨除けにも愛用したと言われる。桧笠は水を含むと膨張して目が詰まって雨が頭を濡らすのを防ぎ、乾燥すると収縮して風通しのよい日除けになる。桧材は耐湿性や防虫性にも優れ、腐りにくい点も、長旅に欠かせない笠としてもてはやされた理由のひとつ。
 近年は観光土産物や和のインテリアとして人気がある。また、最近では、笠造りの技法を活かして、健康靴中敷き・桧バイザー等の新製品も作られているという。
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2006/12/15


松尾芭蕉 Matsuo-bashou Matsuo Bahou

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 江戸前期の俳人。名は宗房。号は「はせを」と自署。別号、桃青・泊船堂・釣月庵・風羅坊など。
 1644年、伊賀の国に生まれる。若くして俳諧の道に入り、31歳の時に江戸へ移り、職業的な俳諧師として身を立てる。深川に草庵を結び、芭蕉の木を植えたことから「芭蕉庵」と名づけた。それまでの滑稽味を主流とした俳諧に高い芸術性を賦与し、蕉風を確立。日本各地を旅しながら多くの作品を残し、日本短詩型文学の一潮流を極めた。
 芭蕉が生きた頃、俳諧師は旅をして暮らすことが多かった。彼らの情報網は日本全土に広がり、文化的なネットワークを築いていた。芭蕉も代表作『奥の細道』では、東北・北陸2400キロを約半年で巡っている。その異様な速さと彼の出生地から、忍者だったという説もある。
 1694年、やはり旅の途中にあった芭蕉は、大阪御堂筋の旅宿で客死。享年50歳だった。
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