NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/24


囲炉裏 Irori 

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 囲炉裏(いろり)とは、家屋の床を四角く切り、内部に灰を敷き詰めて薪や炭火などを熾すためのもののことである。
 囲炉裏は主に暖房や調理目的に用いられ、昔からかまどや火鉢とともに、生活に欠かせないものとして発展してきた。
 それぞれの地方で特有の形態を持つものも多く、呼び名も炉やヒジロ、ユルリ、ヘンナカ、イリリなど様々なものがある。
 囲炉裏の中央には天井から吊るされた自在鉤や五徳が設けられており、これに鍋を掛けて炊飯をはじめとしてあらゆる煮炊きを行なった。また、敷き詰められている灰も、中に食材を埋めて蒸したり、食材を通した竹串を挿したりなど、調理に良く利用された。
 調理だけでなく、照明としても用いられ、その他にも衣類の乾燥や各種の火種など、生活のあらゆる場面で活用されていた。
 揺らめく炎に体を温められながら、火箸で薪や灰を何とはなしにつつく。それは、囲炉裏だけがもたらしてくれる緩やかな一時かもしれない。
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2007/1/26


浪岡城 Namioka-jo Namioka Castle

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 1460年代に浪岡北畠氏によってつくられた。
 1500年代前半の最盛期には、京都と盛んに交流し、寺社を建立するなどしているが、1562年におきた親族間の争いにより勢力が衰え、1578年に大浦(津軽)為信に攻められ落城した。
 以後約400年、城跡は畑や水田として使われ、昭和15年2月10日、青森県で初めて国史跡指定を受けた。
 特徴的な構造として、幅20m、深さ5mほどの二重堀で分けられた8つの館(郭)が扇のように広がり、土塁の上を通路としても使用している。城全体を迷路化し、守りを強化しようとしたものと考えられる。
 また出土品として、食器や調理器具・武器類・農耕具・日用品・宗教用具・建築関係用品など様々なものが4万点以上も見つかっている。
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2007/1/24


奥能登塩田村 Okunoto-endenmura Oku-Noto Salt Pan Village

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 能登の人々と塩との関わりを展示した資料館及び体験型設備。
 四方を海に囲まれた日本では、海水から塩を取り出す方法が発達。色々な地方に、塩を作る浜辺=塩浜が作られた。
 その技法は大きく分類し、揚げ浜・入り浜の二つが挙げられるが、能登半島においては、多くの海岸で、揚げ浜式によって製塩が行われていた。
 奥能登塩田村がある珠洲市では、現在も五〇〇年前と、ほぼ同じ、揚げ浜式の技法によって塩が作られている。
 揚げ浜式とは、海水を手桶にくみ、何度も何度も砂に撒いて天日に干す方法。ミネラル豊富で、塩自体にもうまみがあるが、何よりその塩を調理に用いると、他の素材のうまみも引き上げられるのが特徴だ。
 奥能登塩田村では、この昔ながらの揚げ浜式の製塩法を体験、自分だけのオリジナルの塩を作ることができる。期間は五月から九月の間。
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2007/1/23


仁科神明宮 Nishina-shinmeigu Nishina Shrine

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 仁科神明宮は、古代・中世信濃に一大勢力を誇った豪族仁科氏が、伊勢神宮を勧請して祭った御厨(みくりや)神宮だ。「御厨神宮」とは、神社の境内にあって、神祇に供える飲食物を調理する建物のこと。
 創建は定かではないが、平安時代の康和二年(1100)年頃と伝えられる。切妻造り、茅葺屋根が特徴である「神明造り」の本殿は20年ごとに新築されてきたが、江戸時代に松本藩の祈願所になり、寛永十三年(1636)年の遷宮以降は部分補修となった。そのため、神明造りでは日本最古の建造物で、国宝にも指定されている。このほか、永和二(1376)年からの木造棟札や銅製御正体掛仏が国の重要文化財となっている。
 この神宮では、古来からの伝統行事のうち、古式作始めの神事や秋の大祭時の神楽が今も執り行われているという。
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