NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/27


欄間 Ranma 

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 欄間(らんま)とは、採光通風および意匠上のために鴨居(かもい)の上などに設ける開口部である。
 小壁の一部に格子、組子、透かし彫、障子等をはめ込んだものもあり、採光・通風・換気の役割を果たすとともに、部屋の装飾にもなっている。
 欄間の形には、枡形やひし形などの格子組みしたもの、板の上下にすき間を開けたり透かし彫りを入れたもの、小型の障子を入れたもの、くしの歯のような細かい縦線の入った筬欄間(おさらんま)などがある。
 発祥は、中国で漢の時代に生まれ、鴨居や長押(なげし)の上に蘭の花を飾り、そこから漂う花の薫りを楽しんだことから蘭の間と呼ばれたといわれるが、ハッキリとしない。
 欄間は、日本的な繊細なデザインから、彫刻を施した豪華なもの、そしてリビングや洋室にも似合うものまであり、実用的であるだけでなく、心にゆとりが生まれる効果を持つ空間・建築美術品である。
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2007/7/24


川越まつり Kawagoe-matsuri Kawagoe Festival

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 川越(かわごえ)まつりは、埼玉県川越市に毎年10月に行われる、350年の歴史を誇る壮大な祭りである。
 古くから新河岸川の船運などで江戸との交流が盛んだったことから「小江戸」と呼ばれていた川越。川越まつりは、江戸形式の祭りを今に伝える貴重な祭礼として知られている。
 起源は慶安元(1648)年、当時の藩主・松平伊豆守信綱が川越の総鎮守・氷川神社の例大祭に神輿と獅子頭、太鼓などを贈ったのが始まりとされる。
 川越まつりの見どころは「曳っかわせ」。江戸と川越の職人により作られた29台の山車が、お互いすれ違ったときにお囃子と踊りの競演を行うものだ。急テンポのリズムで展開され、威勢のよい掛け声とともに祭りはクライマックスを迎える。山車の多くは黒や赤の漆に塗られ、金箔を所々に用いて、欄間、破風、蹴込みなどに手のこんだ欅(けやき)の彫刻がはめられた絢爛豪華なもの。このうち大正時代に作られた10台の山車は、県の有形民俗文化財に指定されている。
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2007/5/15


羽黒山五重塔 Haguroyama-gojyunotou Mount Haguro Five-storied Pagoda

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 山形県鶴岡市羽黒町手向にある
 羽黒山にある搭。昭和41年、日本の国宝に指定されている。現在、世界遺産登録に向け県が国に提案もされている。
 現在の姿は、室町時代前期1368年から1375年に再建されたものと伝えられている。
 高さ29メートル、古式技法を伝える中世のもの。明治時代の「神仏分離令」により、多くの堂舎が破壊されたが、この搭は破壊を免れた。
 それだけに歴史的に貴重な文化財である。素木造りで「白き鳥が飛び立つがごとく」などとたとえられている。
 樹齢1000年といわれる杉の大木が立ち並ぶ森林の中にひっそりと立つこの搭は、複雑な木組みの技術も素晴らしいが、なんといっても龍などを形どった「欄間」の特大版のような彫り物は実に見ごたえがある。
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2007/5/1


柳沢 英一 Yanagisawa Eiichi 

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 富山県砺波市に伝わる伝統工芸品「井波彫刻(いなみちょうこく)」の伝統工芸士。
 昭和五十(1975)年、伝統工芸士に認定される。日展多数入選。井波彫刻は北陸最大の浄土真宗の寺社である瑞泉寺に深い関わりを持ち、江戸中期の再建の際、京都本願寺から訪れた前川三四郎により地元大工に伝えられたのが始まりである。
 その彫刻の多くは神社仏閣に残っているが、近年に入り一般住宅への加工や壁掛けの絵画細工などにも施され、今の生活の中で活かされてきている。
 欄間、彫刻などを自在にこなす卓越した技術を持つ氏は、図案、荒落し、彫り、仕上げを一人で行う。「作品になりきってやる事が一番大事」と語る氏の真摯な態度は優れた作品に現れている。
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2007/4/24


観瀾閣 Kanrankaku 

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 観瀾閣(かんらんかく)は、広島県呉市下蒲刈町三之瀬北町に存在する邸宅であり、国の有形文化財に指定されている。
 榊谷仙次郎は土建の王様という異名を持つ、大連に本店を置き、満鉄の敷設工事で名を馳せた榊谷組の創業者であり、満州土木建築業協会で理事長を勤めた人物として知られる。
 観瀾閣は、その榊谷仙次郎が昭和一0(1935)年に、別荘として建てた邸宅である。
 建築面積は289平方m、木造2階建ての瓦葺屋根で、外壁はタイル張りにされている。
 下蒲刈島の海岸に沿った立地と、中国の磚造建築の意匠を取り入れた特異な外観を持ち、内部の建具や欄間に用いられた技能の水準も高いのが特徴である。
 観瀾閣は、珍しくも華麗な外観を誇る、建築物である。
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2007/3/5


三川内焼 Mikawachi-yaki 

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 16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮出兵に参加していた、土地の支配者が、朝鮮から連れ帰った陶工に窯を焼かせたのが起こり。明治維新まで平戸藩の御用窯として栄え、平戸藩が窯の経営を行っていた時代、天草地方で陶石が発見され、技術・技法が飛躍的に発展した。その伝統は今も受け継がれ現在14の窯元がある。
 唐子絵は唐の子どもたち(唐子=からこ)が松の木の下で牡丹に飛ぶ蝶と戯れている様子が描かれている。当時は、描かれた唐子の人数により用途が異なっていた。7人唐子は将軍家や朝廷への献上品の献上唐子とよばれ、5人唐子は藩用、3人唐子は一般大衆用とされた。
 透かし彫りは彫刻で、金属・木・石などの薄板を打ち抜いて模様をあらわす技法。また、その彫刻したもの。 
 欄間の彫刻、刀剣の鍔(つば)などに見られ、色々な焼き物などで使われる技法として有名である。
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2007/2/23


大川彫刻 Ookawa-choukoku 

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 大川彫刻は、福岡県大川市にて彫られる伝統工芸品である。
 約460年前の室町時代、榎津久米之介によって大川木工の歴史は始まったと言われる。
 大川彫刻における欄間彫刻は、立花藩の立川流の流れをくむ、天保3(1832)年生まれの村石繁太郎に始まると言われ、主に社寺彫刻を生業とした。
 昭和に入ると欄間彫刻は、木造住宅の茶の間などの鴨居の上に、採光と換気・通風を良くする実用性と、装飾性を兼ねた室内彫刻欄間へと移り変わっていった。
 欄間以外にも、木工の町・大川は工芸技術が発達しており、器、レリーフなど、デザイン感覚にも優れた様々な木彫り工芸が生まれている。福岡県知事指定特産工芸品とされている。
 大川彫刻は、長い歴史を誇る伝統の建築彫刻である。
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2007/2/15


片岡家住宅 Kataoka-ke-jyuutaku Kataoka Family Residence

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 片岡家住宅は奈良県宇陀市に存在する古民家である。
 元和五(1619)年から、明治初期に至るまで近隣9か村の大庄屋を勤めた農家の住宅を保存したもの。
 萱葺きの母屋は寛文十(1670)年、長屋門は天保三(1832)年の建築。
 御殿の名が付く客間は郡山藩の休泊の間として使われ、花組子を用いた花狭間欄間は非常に美しい。
 庭には樹齢800年の大ケヤキや、屋根を越える高さを誇る枝垂桜などの巨木が茂る。
 国の重要文化財であり、見学は可能だが予約が必要である。
 現在も住居として使用されており、昔と変わらないたたずまいを今に残している。
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