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2007/9/28


飛騨春慶 Hida-syunkei Hida Shunkei Lacquer Ware

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 飛騨春慶(ひだしゅんけい)は、岐阜県高山市、飛騨市に伝わる伝統工芸品である。
 慶長一一(1606)年、高山城下で神社・仏閣の造営にあたった大工の棟梁・高橋喜左衛門が、たまたま打ち割ったさわらの柾目(まさめ)を発見した。
 そこから美しい枇目(へぎめ)の盆が塗り上げられ、色調が茶器の名品で加藤景正の飛春慶に似ているところから、春慶塗と名付けられたと伝えられる。
 透明で木肌の持つ美しさをそのまま活かすところに特徴があり、軽やかな風合いと気品の高さが好まれ、光を当てると透明の漆を通して木目が黄金色の光を放ち、使用するにつれてその光沢が増していく。
 飛騨春慶は、線と円とで立体的な美しさを表現する、優雅で繊細な伝統工芸品である。
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2007/8/22


成田山新勝寺 三重塔 Narita-san-shinshou-ji Sanjuu-no-tou 

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 真言宗智山派の大本山である成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)は、天慶三(940)年に寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)によって開山された。
 不動明王をご本尊とし、全国より年間千三百万人の参詣者で賑わう。お不動さまは、真言密教の根本仏である大日如来の化身である。江戸期から「成田のお不動様」とよばれ親しまれてきた。
 三重塔は高さ二五メートルあり、正徳二(1712)年に竣工したもので、大工棟梁は桜井瀬左衛門であった。屋根は銅板葺で、柱などの軸部材に種々の地紋彫りを施している。
 また、軒下の組物から斜め下方に突き出ている構造材の尾垂木(おだるき)の頭が、通常と違い龍に変身している。唐様といっても、軒高には垂木を使用する代わりに、雲海模様の極彩色彫刻を見せる装飾豊かな板軒なのである。幾重もの雲海を泳ぎ回る数多の龍神様の姿は圧巻である。
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真穴の座敷雛 Mana-no-zashiki-bina 

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 真穴の座敷雛(まあなのざしきびな)は、毎年四月二日・三日に、愛媛県八幡浜市真穴地区で行なわれる、長女のための豪華絢爛な雛節供行事である。江戸時代の天明(1781~1788)の頃始まったとされる。
 自宅の部屋を片付けて空間を作ったところに、大工の棟梁が図面を興して多数の盆栽や小道具を使って庭園を作り、内裏雛を中心に各種人形を配置、手前には様々な海の幸や鉢盛り料理が供えられる。
 それは舞台芸術のような空間で、かつオリジナリティに溢れており、一度たりとも同じ座敷雛はない。
 大規模な為、準備期間は長くかかるものの、祭りの日の後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるという言い伝えから、四日の朝には解体されてしまう。
 平成一四(2002)年には八幡浜市の無形民俗文化財に指定されており、地域の協力によって一般観覧も開催され、毎年この二日間に延べ二万人が訪れる観光行事となっている。
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2007/7/27


仙台箪笥 Sendai-tansu Sendai Chests

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 仙台箪笥(せんだいたんす)は、安土桃山時代に伊達藩の棟梁により創案されたものといわれる、重厚な中に日本独特な美を感じさせる工芸品である。
 欅(けやき)や栗の木を主な材料として用い、表面は透明で下の木目が美しく見える木地呂塗り技法で仕上げられ、最終的には龍や唐獅子、牡丹や唐草などの精緻な文様が打ち出された鉄金具を取り付けて完成となる。
 この、鉄金具が仙台箪笥の特徴であり、どっしりとした重みのある箪笥を優雅で趣のある印象に仕立て上げてくれる。
 一つの箪笥におおよそ70から80個の金具が取り付けられ、本来は太刀や袴などを折りたたむことなく収納できるよう考案された男物の箪笥に、優雅さと気品を与え、男女を問わず使用できる逸品に変貌させてくれている。
 その後も技術の切磋琢磨は続き、今日では従来の意匠を継承しつつ、現代のライフスタイルにも合う箪笥が作り続けられている。
 五百年の時を経てなお、変化を続ける工芸品は、今も人々の生活を彩っている。
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2007/7/3


旧弘前偕行社 Kyuu-hirosaki-kaikou-sha 

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 旧弘前偕行社(きゅうひろさきかいこうしゃ)は、陸軍第八師団の親睦・厚生組織である偕行社のために建設された建物で、設計担当者は当時の陸軍関係施設を一手に引き受けてきた弘前を代表する棟梁・堀江佐吉であった。
 明治四〇(1907)年に完成したこの建物は、戦前、将校の厚生施設として活用され、戦後は偕行社が解散された後に弘前女子厚生学院が旧偕行社に移転した。
 昭和五五(1980)年まで、弘前女子厚生学院及び、みどり保育園の保育舎として活用されたが、現在では、弘前女子厚生学院記念館として弘前厚生学院が自主的に保存を行っている。
 修復の際、堀江佐吉の流れをくむ堀江組が仕事に当たり、外壁の塗り替え、屋根瓦の葺き替え、縁側屋根トップライトの修復、室内の漆喰壁・腰板などの修復を行った。
 戦前の軍関係施設の特徴であった、イタリアルネッサンス風デザインが、当時の面影を色濃く残している。
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2007/6/21


宮大工 Miya-daiku Miyadaiku

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 宮大工(みやだいく)は、神社仏閣の建築や補修を行う大工。堂宮大工(どうみやだいく)とも言われる。
 何年も自宅を離れ社寺のある土地に住み、技法などを研究しながら仕事を行うため「渡り大工」とも呼ばれる。
 通常の大工とは違い、神社や仏閣はそれぞれが一つしか存在しない建物のため、同じものを作ることはない。また、補修を重ね後世に渡る建造物を手がけるため、高度な技術はもとより、考古学・地質学等の多岐にわたる知識が必要になる。
 三百以上の道具を使い、釘を使わず接木を行う「引き手」や「継ぎ手」などの伝統的な技法を利用するが、これらの技術は師匠から弟子へ口伝されるが、かつては日本に数百名いるとされていた宮大工も、現在は百名程度となった。
 著名な宮大工には「法隆寺昭和の大修理」の棟梁となった西岡常一氏や「浅草寺観音堂」の修理を行った佐々木嘉平氏、「海住山寺五重塔」の修理を行った文化財保存技術者の松浦昭次氏などがいる。
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2007/5/22


墨壷 Sumitsubo 

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 大工道具、である。しかしながら単なる道具の域を超えた、造形的に芸術品と言えるようなものも存在している。
 用途は、木材にまっすぐな線を描くことだ。「墨付け」あるいは「けがき」と言う。「池」と呼ばれるくぼみの中に墨を含んだ綿が入っており、その間を通って引き出された墨糸をピンと張り、木材を打つように指で弾くことによって真っ直ぐな線を描く道具である。
 墨付けから工事が始まり、また仕上がりの良し悪しも墨付けの正確さが決定することから、墨壷には機能性とともに仕事の成功を願う職人の気持ちが込められるのだ。
 奈良・東大寺南大門の梁の上で見つかった有名な「忘れものの墨壷」は、実は大切な大工道具を敢えて置いて行ったと思われる当時の棟梁の、恐らく最後の仕事の証でもあり、南大門を守り続けて欲しいという職人の願いの象徴でもあったのだろう。
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2007/4/25


熊崎聡 Kumazaki Satoshi 

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 岐阜県、飛騨高山地方に伝わる伝統工芸品、飛騨春慶の伝統工芸士。1995(平成七年)労働大臣表彰を受賞。
 飛騨春慶は江戸時代初期、高山の大工の棟梁、高橋喜左衛門がサワラの木目の美しさに目をつけ盆を作り、これに塗師、成田三右衛門が透き漆の塗りを施して、領主に献上したのが始まりとされる。
 茶道の名器である加藤四郎左衛門景正の作「飛春慶」の柄に似ていることから「飛騨春慶」と命名され、数多くの作品が作られたという。塗師である氏は、漆器店に勤め、周囲の職人の技を見て独学で技を身につけた。
 木目と漆だけ。職人の技量が問われるが、氏はどのような作品も見事に作りこなす。
 後進の育成にも力をいれ、息子の信行氏を始め何人もの弟子を育て、伝統の技術を今に伝えている。
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