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2008/4/25


烏城紬 Ujou-tsumugi 

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 烏城紬(うじょうつむぎ)は、岡山市伊福町に伝わる絹織物である。県の伝統工芸品に指定されている。
 寛政一〇(1798)年、塩分に強い綿栽培が発達した児島湾干拓地の灘崎村迫川・宗津あたりを中心に興った袴地織りが、その始まりとされている。
 安政年間(1854~1860)、着尺紬(きちゃくつむぎ)が多く織られるようになり、備前池田藩はこれらに岡山城の別名である烏城の名を付け、保護奨励したとされる。
 大正に入って綿を絹に代え、くず生糸を利用して緯糸(よこいと)に「からみ」の技法を加え、現在の烏城紬が誕生したという。
 手紬ぎ、高機による手織りのため緯糸打ち込みにばらつきが多く、これが糸の鈍い光沢と共に素朴な味わいを呈している。
 烏城紬は、丈夫でしなやか、保温性も抜群な伝統の絹織物である。
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2008/4/4


山形 いずめこ人形 Yamagata Izumeko-ningyou 

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 山形のいずめこ人形(いずめこにんぎょう)は、山形県鶴岡市に伝わる伝統民芸品である。
 「いずめ」とは「飯詰」の字があてられる、東北地方の冬期のご飯の保温具で、わらで編んだ丸いかごの事であり、それを利用して乳児をこの中に入れ、揺りかご代わりにしたその姿を「いずめこ」と呼んだという。
 大正初期に鶴岡の玩具工人・大滝武寛が、中に人形を入れた「いずめこ人形」として売り出したのが最初と云われており、現代では、庄内を代表する民芸品となっている。
 わら細工は、編んではわらを継ぎ足すという同じ作業の繰り返しで、実に細かく根気のいる作業であり、直径約30cmのいずめこが完成するのに要する時間はおよそ12時間と言われている。
 山形のいずめこ人形は、人々に親しまれている民芸品である。
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2008/3/4


作並こけし Sakunami-kokeshi Sakunami Kokeshi

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 秋保温泉と並び、宮城県仙台の奥座敷と呼ばれる作並温泉。
 作並こけしは、この作並温泉を発祥とする伝統工芸品である。
 子供が握って遊べるように、他のこけしよりも細い胴を持つのが特徴で、肩から下部にかけて徐々に細くなる、円錐に近い形が一般的である。
 その歴史は比較的新しく、幕末から明治の初め頃と考えられており、また都市部で発達したという点も、他のこけしとは一線を画すものである。
 素材には東北地方に自生しているイタヤやミズキ、アオカが使用され、木肌が白く、きめ細かくて割れにくいという特徴を巧く利用している。
 肩と裾の部分にはロクロ線が引かれ、その間には菊を図案化した独特の模様が描かれた意匠となっており、同じく宮城県の遠刈田こけしの影響を強く受けたと考えられている。
 その表情は可憐でやさしくて派手さも無く、木の暖かいぬくもりが伝わる、最も素朴なこけしとして今も親しまれている
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2007/11/8


弓浜絣 Yumihama-gasuri 

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 弓浜絣(ゆみはまがすり)は、鳥取県西部の弓ヶ浜地方に伝わる綿織物で、主な製品に着物地、座布団、のれん、袋物などがある。昭和五〇(1975)年九月、通商産業大臣(現経済産業大臣)より伝統的工芸品の指定を受けた。
 弓ヶ浜半島で弓浜絣の原料となる綿花の栽培が始められたのは江戸時代前期。この半島は「浜の目」と呼ばれ、そこで産出する綿は自家用衣料として綿布に織られていた。その後、藍玉問屋が設けられたことをきっかけに、江戸時代後期には藍の栽培が進められ、米子や弓ヶ浜あたりで「浜の目絣」「浜絣」と呼ぶ絵絣が、農家の婦女子の手によって織られるようになった。明治時代中期に全盛を迎えるが、洋式紡織業の発達に押され衰退。現在は少数の伝統工芸士らによって技術・技法が継承されており、民芸的なあたたかい味わいのある綿織物として異彩を放っている。
 弓浜絣は長年の使用にも耐え、吸湿・保温性に富み、日本の気候風土によく合う。パターン化された柄は線の表情が豊かで、情緒がある。
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2007/9/6


薬湯山 泉明寺 Yakutou-san Senmyou-ji Yakutousan Myosenji Temple

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 薬湯山泉明寺(やくとうさんせんみょうじ)は、宮城県仙台市太白区の秋保町湯元薬師にある真言宗の寺である。本尊は薬師三尊。
 古来より薬師如来の霊応の地で、開湯1500年以上もの歴史を誇る日本三御湯の一つ「名取の御湯」の鎮護のため、慈覚大師円仁(794~864)によって開創されたと言われる。
 宗祖・弘法大師空海の神仏習合の流れをくみ、主に加持祈濤を行っている。
 本尊である薬師如来と、日光月光菩薩及び十二神将は、平安時代の比叡山の高僧の作品と伝えられている。
 寺の横には赤レンガ造りの秋保温泉共同浴場がひっそりと佇んでおり、毎年5月5日には泉明寺境内で秋保温泉子育薬師祭が行なわれている。
 薬湯山泉明寺は、長い歴史を誇る、温泉街の守護寺である。
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2007/7/19


伊香保まつり Ikaho-matsuri Ikaho Festival

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 伊香保まつり(いかほまつり)は、群馬県渋川市伊香保町の伊香保神社にて毎年9月18日~20日にかけて行われる祭りである。
 伊香保神社は、推古天皇の時代(592~628)に創建された社で、祭神は大己貴命、少彦名命。
 承和二(835)年、名神大神の社格を拝授した9月19日を、神社の例大祭とした。
 伊香保温泉伝統の「樽みこし」や本神輿が勇壮に石段街を練り歩き、クライマックスの樽神輿渡御では、いずれも御輿でもみあいながら365段の石段を登る。
 時には勢いあまって石段を転げ落ちる事もあり、とてもスリリングで見応えがある。
 また、小説「不如帰」の著者・徳冨蘆花の命日を痛む追悼茶会・蘆花祭も開催される。
 伊香保まつりは、子供から大人までが参加出来る、温泉街独特の情緒に包まれた祭りである。
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2007/6/28


石段ひなまつり Ishidan-hina-matsuri 

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 伊香保温泉の中心街、天正四(1576)年に造られ、温泉街のシンボルにもなっている「石段」に緋毛氈(ひもうせん)を敷いてひな壇に見立てたのが、この祭りである。
 保育園児たちがきらびやかなひな衣装を身にまとい、薄化粧を施してひな壇に模した石段上に勢ぞろいする。何とも愛らしい、原寸大のお雛様である。
 本来は三月三日であるが、土曜・日曜に合わせて行なわれる。対象園児は四月に小学校に入学する年長組で、初日は地元園児、翌日は公募で選ばれた地元外の園児達が登場する。
 この祭りは平成三年に始められたものでまだ歴史は浅いが、伊香保温泉の歴史は長い。約1900年前に発見されたと伝えられており、万葉集にも詠まれた由緒ある温泉だ。
 元は源泉の傍にあった温泉場を、長篠合戦での多くの負傷兵の治療のため、武田勝頼が真田氏に命じて現在の地へ移して広げ、温泉を効率よく配給するためもあってこの「石段」が作られたという。
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2007/6/15


群馬 榛名山 Gunma Haruna-san Mt. Haruna

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 群馬の榛名山は、群馬県高崎市榛名湖町にそびえる標高1449mの山である。赤城山、妙義山と共に上毛三山に数えられる。
 山頂にはカルデラ湖である榛名湖と中央火口丘の榛名富士があり、15を超える峰々を待つ。火口中央、美しい円錐形をした榛名富士が、その優美な姿を榛名湖に映している。
 今は静かな休止火山だが、五世紀~六世紀にかけて何度も二ツ岳が大噴火を起こした。
 黒井峯遺跡では厚さ2mの火山灰の下から、古墳時代後期の集落がそのまま発掘されている。
 巨人だいだらぼっちが登場する伝承や、弘法大師が井戸を掘ったという民話が残っており、山岳信仰が盛んだった事を伺わせる。
 周辺には伊香保温泉をはじめとする温泉が巡り、榛名神社、水沢観音といった寺社が山中に建つ。
 榛名山は、榛名の人々の象徴として崇敬されている山である。
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