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2007/5/17


中山道太田宿 Nakasendou Ootajuku Otajuku Post Town on the Nakasendo Highway

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 起点の板橋から数えて中山道六十九次の51番目にあたる「太田宿」は、中山道の三大難所の一つで知られる「太田の渡し」があり、飛騨街道と郡上街道の分岐点でもあったところから、大いに栄えた。東西680mに亘って続く町並みは、昔の景観を保っているので、宿場情緒を楽しみながら散策出来る。
 桝形を抜けて旧中山道の町並みに入ると、今は無くなってしまった本陣の門だけが左に残り、右には見学可能な脇本陣が残されている。通りに、ほど近い祐泉寺には滝場観音の伝説が残るほか、播隆上人の墓、坪内逍遥、北原白秋、松尾芭蕉の歌碑・句碑等が建っている。この太田宿を発つと、「太田の渡し」で木曾川を渡り、伏見、御嵩へと向ったのである。
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2007/2/14


高天彦神社 Takamahiko-jinjya Takamahiko Shrine

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 高天彦神社は奈良県御所市、金剛山中腹に位置する古社である。
 祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)別名は高天彦神(たかまひこのかみ)、葛城氏の祖神とも言われ、神社裏にそびえる白雲峯(694メートル)が御神山として古くから祭られている。
 日本神話における天孫降臨の地である、高天原であるとの伝承が伝わる。
 急勾配の参道にはうっそうと茂った巨大な杉が立ち並び、いにしえの荘厳さを今に残している。
 参道下に立つ鶯宿梅(おうしゅくばい)は奈良時代、若くして亡くなった小僧を悲しんでいた師の前の梅の木に鶯が止まり、和歌を読んで鳴いたことからその名が付いたとされ、春先には見事な花を咲かせ、古道を彩る。
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2007/2/12


百済寺 Hyakusai-ji Hyakusai Temple

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 押立山(771・8m)の山腹にあり、石垣がどっしりとした城郭の趣を見せている天台宗の寺院が百済寺だ。
 湖東三山の中で最も古く、建立時は「くだらじ」と呼ばれた。平安時代に天台宗に改宗してからは300余坊の塔頭を構え、「湖東の小叡山」と云われるまでになったが、 度重なる大火や兵火によってほとんどが焼失してしまい、平安時代のものは現在の本尊などの主な仏像や経巻類が残るだけである。
 総門から参道を登ると、参道を固めるように道の両側には削平地が各所にあり、まるで安土城大手道の雰囲気があり、湖東三山の一つに数えられ、荘厳な雰囲気を漂わせる寺の境内を目的に大勢の観光客がおとずれる。
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芝原善光寺 Shibahara-zenkou-ji Shibahara Zenkoji Temple

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 958年、遊行聖の光勝・空也上人が開いたと伝えられる「芝原善光寺」は、信州(長野県) 甲州(山梨県)と並ぶ日本三大善光寺の一つ。当初は天台宗で時宗を経て浄土宗へと転宗した。
 「豊前善光寺」とも呼ばれ、正式名は梵天山法性院善光寺という。創建当時の鬼瓦や板碑など多くの文化財がある。本堂は1250年に再建された鎌倉時代の様式(和様と唐様の折衷)で国の重要文化財に指定されている。一光三尊善光寺如来を御本尊とし、秘仏で、4月25〜27日の3日間のみ仮開帳される。その他にも、鎌倉末期の二重石塔、空也上人の供養五輪塔などがある。
 周囲の木立は深く、静寂の中に四季折々の美しさを見せる。正門の前の往還は門前町のたたずまいを遣している。
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2007/2/8


二王座 Niouza Niouza

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大分県臼杵市に位置する「二王座(におうざ)」は、安土桃山時代以来の武家屋敷の面影をとどめる、由緒ある通りだ。平成五(1993)年には国の「都市景観一〇〇選」に選ばれている。
 二王座は、もともと阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰山の丘を切り開いて作った道。二王座の名前は、かつてこの界隈に祇園社(現八坂神社)の仁王門があり、仁王が睨みをきかせていたことに由来するという。
 この道には寺も多く散在し、格式ある寺院の大きな屋根や武家屋敷の瓦屋根、城壁、それに石畳がつづき、風情ある静かな趣をたたえている。
 通りにはお休み処「旧真光寺」や「稲葉秀道屋敷跡」が無料解放されているので、散策の途中に立ち寄ってみるのもいい。そのほか、旧真光寺近くには古戦場跡の「切通し」などがあり、見どころも豊富だ。
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竹宵まつり Takeyoi-matsuri 

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大分県臼杵市では、古くから伝わる伝説に由来する「竹宵(たけよい)まつり」が毎年11月に行われる。旧城下町・臼杵市の風情豊かな土地柄とあいまって、幻想的な恒例行事となっている。
 竹宵まつりは、伝説「真名長者伝説」をモチーフに行われる。その昔、臼杵石仏で財をなした真名長者に美しい娘、般若姫がいた。その美しさは遠く都に聞こえるほどであり、時の天皇の皇子、橘豊日(たちばなのとよひ)はその似顔絵を見ただけで恋に落ちたという。皇子は身分を隠して姫に会いに長者の下を訪ね、やがてふたりは結ばれた。その後皇子は身分を明かし、都へ帰る。懐妊した姫は皇子の待つ都へ旅立ったが、途中嵐に会い、帰らぬ人となってしまったという。これを悲しんで、深田の里では里人たちが竹に灯りを灯して供養したのだった。
 まつりでは、綺麗な着物を着た般若姫の行列が行われるなど、まるでまぼろしのような世界に誘われる。
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2007/1/30


佐伯武家屋敷 Saiki-bukeyashiki Saiki Samurai Residences

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 大分県佐伯市、佐伯藩城下町に残る武家屋敷群。
 佐伯藩は慶長六(1601)年、豊後国日田から初代藩主毛利高政が転封され始まる。
 転封後、内陸の栂牟礼城(とがむれじょう)に不便を感じ、慶長十一(1606)年、番匠川河口の八幡山に鶴屋城を築城し移転。元和三(1617)年に焼失。その後は山麓部の三の丸が城とされ、近隣に藩士の武家屋敷が築かれた。
 現在、城山の周辺に残る武家屋敷は江戸のたたずまいを感じさせる落ち着いた雰囲気を今に伝える。
 明治二十六(1893)年、鶴谷学館に教師として赴任してきた国木田独歩が弟と下宿した武家屋敷、坂本邸は現在「城下町佐伯、国木田独歩館」として公開されている。
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2007/1/29


大迫磨崖仏 Osako-magaibutsu Giant Buddha Rock Carving

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 大分県豊後大野市千歳町にある大日如来の磨崖仏。
 天文二(1533)年、日羅作と伝えられる。高さ3・2メートル、凝灰岩の壁に彫られており。石で体を作り、顔や手足は粘土、衣は漆喰を使う「石芯塑造(せきしんそぞう)」という技法で建立された。
 顔の半分以上を塑土が覆う強面と大きな胴は独特の雰囲気を持ち、参拝するものを幽玄の世界にいざなう。
 古来より牛神として地元の信仰が厚く、諸祈願が霊験あらたかであるといわれることから参拝客も多い。
 祭日は1月28日、8月27日の年二回。昭和51(1976)年、大分県重要文化財に指定。
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