NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/3


小烏丸 Kogarasumaru 

Jp

 小烏丸(こがらすまる)とは、天皇家の宝刀である。
 ある日、桓武天皇の元に伊勢神宮からの使いであると、一羽の大きな烏(からす)が舞い降り大刀を授けられた、との伝説からこの名が付けられたと言われる。
 この刀を打ったのは天宝時代の大和の刀鍛冶、天国(あまくに)であるとされている。
 平安時代末期、平貞盛が平将門・藤原純友らの起こした反乱、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)を鎮圧する際に、天皇よりこの刀を拝領、以後、平家一門の家宝となっていたが、壇ノ浦の戦いで一度行方不明となる。しかし、江戸時代に入り小烏丸の所在がわかり、現在では皇室御物として保管されている。
 刀剣としての特徴は、刀身の先端から半分以上が両刃となり、斬ることよりも突くことに適した刀で、鋒両刃造(きっさきもろはづくり)または小烏造と呼ばれている。ミステリーの多い、神秘的な刀である。
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2007/8/3


御陣場山 Gojinba-yama The Ruins of Gojinbayama Encampment

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 御陣場山(ごじんばやま)は、宮城県登米市迫町佐沼にある本陣跡である。
 天正一九(1591)年、伊達政宗は豊臣秀吉より葛西・大崎一揆(かさい・おおさきいっき)勢の討伐を命ぜられ、一揆勢に囲まれた領主の木村吉清・清久(きむらよしきよ・きよひさ)親子が籠もる佐沼城へと進軍を開始した。
 葛西大崎一揆とは、小田原に参陣しなかった事を理由に、豊臣秀吉の奥州仕置により領地を失った豪族の反乱である。
 この戦いの時に、政宗がこの地に陣地を構えたので、この名前がついたと伝わっている。
 結局、一揆は正宗により鎮圧され、木村親子は救出された。
 現在は、記念碑が建てられていおり、御廟山(ごびょうやま)からも眺める事ができる。
 御陣場山は、伊達政宗ゆかりの戦国の昔を偲ぶ史跡である。
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