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2008/3/4


紫雲石硯 Shiunseki-suzuri Shiunseki Inkstone

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 紫雲石硯(しうんせきすずり)は、岩手県の一関市や大船渡市で、独特の風合いを持つ紫雲石を用いて作られている硯である。
 その起源は、鎌倉時代に旅の僧侶が、大船渡市にある長安寺に立ち寄った際、近くを流れる川底で紫雲石を見つけ、その石を硯として使用したのが始まりといわれている。その後、僧侶は硯を鎌倉へ持ち帰り、時の将軍に献上。その美しさから紫雲石硯と命名されたという。
 材料となる紫雲石は、四億年以上昔の北上山系の地質から産出される輝緑凝灰石で、小豆色にも似た赤紫をして、雲状の斑紋や緑の斑点があるものが多く見受けらる特徴をもつ石である。
 石の持つ優美さや滑らかさに加え、石の表面の凸凹を表す鋒鋩(ほうぼう)が緻密で墨おりが良く、硯材として最適とされている。
 一時は、機械彫りの大量生産の硯が普及し、手彫りの紫雲石硯はその生産に衰えが見えたが、戦後に入って専門家などに再び着目され、銘品としての名に違わぬものを、今も作り続けている。
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水墨画 Suiboku-ga Suibokuga Painting

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 水墨画(すいぼくが)は、墨と筆を用いて「墨」一色で表現され、線だけでなく墨を面的に使用し、暈かしで濃淡・明暗を表す技術が用いられた絵画である。
 水墨画のような濃淡やにじみ、かすれなどの表現がない作品は白描(はくびょう)といい、水墨画とは別に捉えられている。
 その起源は唐代後半の中国とされ、山水画の技法の一つとして成立。宋代に入って、禅宗の普及に伴い、禅宗的故事や人物画が水墨で制作されたことが、一般にも広く伝わるきっかけとなった。
 日本には鎌倉時代にその禅とともに伝わり、室町時代に入って足利家が禅宗を庇護したことにより、日本水墨画は全盛期を迎えるようになった。
 その後、徐々に変化を遂げて風景を描く本格的な山水画も書かれるようになり、室町時代後期には如拙や周文、雪舟などの優れた画僧が生まれ、水墨画の素晴らしさを今の世にも伝えている。
 白と黒のみで表されるシンプルな世界は、しかし無限の奥行きを持って、見るものをその世界へといざなう魅力を放っている。
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2007/12/26


書道 Shodou 

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 書道とは「言葉」が持つたたずまいや力を筆と墨で書きつけ、表現する事である。筆、墨、紙、硯(すずり)の道具を使用する。
 筆圧の強弱や墨の濃淡なども大きく影響し、少しの違いから印象が大きく変わる事もある。その文体で書いた人間の人柄を推察する事ができる。
 書道は中国を発祥としており、日本でも初等教育で義務教育として授業に盛り込まれている。
 一般的には最初は規律制やバランスを学び、基本が確立されると独自性のある書き方へと移行していく。同時に伝統を継承し、豊かな情操を養う事を目的としている。
 白紙に黒い文字を書く、シンプルなものであるが表現方法に悩ませ、楽しませ、また感銘を与える「学・芸・道」の文化である。
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2007/12/6


小泉の水祝儀 Koizumi-no-mizu-syuugi Mizushugi (Water Celebration) in Koizumi

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 加美町小泉地区に伝わる「小泉の水祝儀」は毎年二月ニ日に行われている。
 小泉の水祝儀は、前年結婚した夫婦とこの地区に住んで満一年以上経つ夫婦のための祝いの儀式である。家内安全や子宝、安産の祈願の意味も込められている。
 盛装した夫婦達が、講の人々が手を取り合って作る鳥居をくぐり抜け、会場に祀られた道祖神に礼拝する。そして講組織への加入資格を認めてもらうという。
 そして、参加者全員の額に墨で「水」の字を書き、冷酒を酌み交わして祝う。
 その後、集落の家々を回り、「火伏せ」の掛け声とともに柄杓で屋根に水をかける火伏せの行事を行うという。
 かつては県内各地で行われていた水祝儀だが、そのほとんどが廃絶したとされており、ほぼ旧態のまま伝承され続けている小泉の水祝儀は貴重な伝統文化である。
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2007/7/20


武田双雲 TakedaSouun Souun Takeda

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 1975年、熊本県生まれ。書道家。3歳より書道家である母・武田双葉に師事。
 東京理科大学理工学部卒業後、約3年間のNTT勤務を経て書道家として独立。以降、狂言師や彫刻家、音楽家などさまざまなアーティストとのコラボレーションや斬新な個展など独自の創作活動を展開。また、多くの門下生を抱える書道教室を主宰する。「書は会話と同じ。自分は書でコミュニケーションを取りたいだけ」と静かにそして熱く語る新世代の書道家である。
 2003年、中国上海美術館より龍華翠褒賞受賞、イタリア・フィレンツェにてコスタンツァ・メディチ家芸術褒賞受賞。映画「春の雪」「北の零年」など数多くの題字も手がけている。著書に「たのしか」「書愉道 双雲流自由書入門」「「書」を書く愉しみ」がある。
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
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2007/5/22


佐瀬勇 Sase Isamu 

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 佐瀬勇さんは東京でただ一人、ガラスペンを製作する職人である。生まれは現在の千葉県印西市で、昭和十一年八月六日が誕生日。父の米蔵はガラスペンの創始者・佐々木定次郎のもとで修行した人。佐瀬さんは父に弟子入りし、佐々木定次郎直系の唯一の後継者となった。
 ガラスペンは、8本の細い溝のあるガラス棒を引き延ばしてペン先を作るもので、両手を同時に同じ早さ同じ力加減で回し続けるという、熟練の技が必要とされる。
 ガラスペンの書き味は鉛筆に近く、誰でも簡単に使える。インクはもとより墨汁なども使用できて、ペン先は腐食もせず、先端部の破損を防げば寿命は大変長いという優れもの。
 また平成元年ころ佐瀬さんが開発した「ひねりガラスペン」は、それまでの軸が竹や木のものとは違って軸とペン先が一体のガラス。見た目にも大変美しく、美術品としての赴きさえ感じさせる。発売当初、一度に2,000本の注文が来たこともあるという。
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墨壷 Sumitsubo 

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 大工道具、である。しかしながら単なる道具の域を超えた、造形的に芸術品と言えるようなものも存在している。
 用途は、木材にまっすぐな線を描くことだ。「墨付け」あるいは「けがき」と言う。「池」と呼ばれるくぼみの中に墨を含んだ綿が入っており、その間を通って引き出された墨糸をピンと張り、木材を打つように指で弾くことによって真っ直ぐな線を描く道具である。
 墨付けから工事が始まり、また仕上がりの良し悪しも墨付けの正確さが決定することから、墨壷には機能性とともに仕事の成功を願う職人の気持ちが込められるのだ。
 奈良・東大寺南大門の梁の上で見つかった有名な「忘れものの墨壷」は、実は大切な大工道具を敢えて置いて行ったと思われる当時の棟梁の、恐らく最後の仕事の証でもあり、南大門を守り続けて欲しいという職人の願いの象徴でもあったのだろう。
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2007/5/21


大井宿 Ooi-juku 

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 江戸から数えて46番目にあたる美濃中山道の「大井宿」は、天保一四(1843)年の当時で、本陣、脇本陣が各々1軒、旅籠は41軒もあり、中山道で最も賑わった宿場といわれた。
 中山道の宿場の特徴でもある桝形は他の地より多く、横町、本町、竪町、茶屋町、橋場の5つの町を、それぞれ6ヶ所の桝形によって区切られていた。
 大井宿より京に向った旧中山道には、大井で没した西行の墓があり、そばには、ここの清水で墨を磨ったとされる西行硯水公園等がある。
 現在の中心部、恵那駅と平行に抜ける中山道を進むと、市神神社、本陣跡、長国寺へと続く。更にそこから道を上ると、郷土の歴史に残る根津甚平ゆかりの根津神社、甚平坂、馬塚犬塚がある。また、浮世絵師の歌川広重(安藤広重)は、この甚平坂から見下ろした景色を木曽街道六十九次の大井宿の絵に用いた。
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