NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/30


水晶岳 Suishou-dake 

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 北アルプスのほぼ中央に位置する、標高二九八六mの水晶岳(すいしょうだけ)は、名前の通り水晶が採取できることからその名がつけられたといわれている。現在でも柘榴石(ざくろいし)と呼ばれる、やや黒味を帯びた濃い赤色の「ガーネット」や水晶が見つかるという。
 名前のイメージとは違い、山頂付近の山肌が黒っぽいため、黒岳とも呼ばれる。
 岩稜部分が多いが、イブキジャコウソウやタカネツメクサ、クルマユリ、シコタンソウ、チョウノスケソウ、タカネスミレ、タカネシオガマなど高山植物の宝庫とも呼ばれているほど種類は多岐にわたり、夏季にはそれらが群生、美しい姿を見ることができる。
 山頂近くには、北アルプスで一番小規模な山小屋といわれる、水晶小屋が設置されている。この付近は、気象の変化が激しく強風が吹くため、キャンプを張ることができない。そのため夏季には登山者で大変賑わうという。
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2008/6/25


高妻山 Takazuma-yama 

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 高妻山(たかづまやま)は、戸隠山の北側に位置する、戸隠連峰の最高峰で、標高は2353メートルである。地元では戸隠山を表山、高妻山や乙妻山を裏山と呼んできた。
 長野県と新潟県にまたがり、地層に貫入したマグマが固結した「ひん岩」と呼ばれる岩石からなっている。
 周囲には戸隠山をはじめ、飯綱山、黒姫山などが並び立っているため、平野部からはからはなかなか望むことができない山である。
 登山道は戸隠高原からのみとなり、山中には有人の山小屋もないので日帰りでの往復となる。行程も長くアップダウンも多いので、体力と時間を要する山である。
 登山道の要所には、一不動・二釈迦・三文殊・四普賢・五地蔵・六弥勒・七薬師・八観音・九勢至、そして頂上に十阿弥陀と記した標識と石祠があり、修験者たちの修行の山であった昔を偲ばせる。
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2007/8/17


松原英俊 MatsubaraHidetoshi Hidetoshi Matsubara

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 国内最大級の猛禽類であるクマタカとイヌワシを使って実猟ができる鷹匠の「最後の後継者」と呼ばれているのが松原英俊だ。
 1950年、青森市生まれ。慶應義塾大学文学部東洋史学科卒業後、「自然の中で暮らしたい。どうしても鷹匠になりたい」という思いから、山形県真室川町の鷹匠故沓沢朝治さんに弟子入り。1年後に独立。真室川町の山岳地帯にある山小屋に移り住み、鷹とともに8年間自給自足に近い生活を送った後、山形県朝日村の山小屋で6年間過ごす。1996年、家族とともに山を下り、鶴岡市田麦俣に移住。現在も現役の鷹匠としてクマタカとイヌワシを使って実猟を続けている。ただし鷹狩りは冬期間(12月下旬~3月中旬)に限定されるため、春から秋にかけては月山や朝日連峰、飯豊連峰の山岳ガイドとして活動中。講演やネイチャースクールの講師も務める。
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2007/6/5


札幌 手稲山 Sapporo Teine-yama Mt. Teine

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 札幌の手稲山(ていねやま)は、北海道札幌市西区~手稲区に跨る標高1023・7mの山である。
 手稲山は、アイヌ語で長い断崖という意味の「タンネウェンシリ」と言われていたが、和人は近くにあった「テイネイ」という、濡れている所を意味する名から手稲山と名付けた。
 明治以後、鉱山として開発され、最盛期には金・銀・銅・亜鉛・テルルなどの出鉱量は約6万トンにものぼり、東洋一の鉱山と称されたが、やがて縮小・閉鎖された。
 昭和三(1926)年、日本初のスキーヒュッテが建てられた。
 ヒュッテとはドイツ語で「山小屋」の意味で、北海道の山スキー発祥の地と言われる由縁となった。
 昭和五三(1978)年、老朽化のため閉鎖されたが、その後有志により復元新築されている。
 手稲山は、かつては鉱山として、今はスキーで有名な山である。
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