NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/15


西予市 龍澤寺 Seiyo-shi Ryuutaku-ji 

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 棚田が広がる城川町魚成地区。古くからの農山村文化が伝わるこの地区に、三七〇〇坪に及ぶ広大な寺「龍澤寺(りゅうたくじ)」がある。「竜沢寺」とも呼ばれる寺の周囲には緑地公園が広がる。
 禹門山(うもんざん)龍澤寺は禅宗の一つ曹洞宗の総持寺派に属しており、全国に有する末寺は五六寺。
 樹齢三〇〇年を越える杉の木々がそびえ立つ石畳の参道を進むと、重厚な山門が現れる。
 七堂伽藍(しちどうがらん)を備えた境内に入ると、近世建築と呼ばれる桃山時代の建築技術を取り入れた禅堂などがあり、豪壮な寺であることを実感できる。 
 春にはお釈迦様の誕生を祝って甘茶が振舞われる、「龍澤寺花祭り」が行われることでも知られている。
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2007/8/16


新田荘遺跡 Nittashou-iseki Nitta-no-sho Ruins

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 新田荘遺跡(にったのしょういせき)は、群馬県太田市に広がる国指定の史跡である。
 新田荘は、平安時代末期の12世紀中頃に成立した新田氏の荘園であり、新田義重によって開発され、今も新田氏ゆかりの館跡や神社、寺院などが多数残っている。
 この史跡は、新田荘に関連する円福寺、十二所神社、総持寺、長楽寺、東照宮、明王院、生品神社ら各寺社の境内と、反町館跡、江田館跡、重殿水源、矢太神水源の11の遺跡から構成されている。
 寺社境内・館跡・湧水地など、太田市・尾島町・新田町の1市2町に跨る、広域に存在する複数の中世遺跡を、荘園としてとらえている、珍しい史跡である。
 新田荘遺跡は、鎌倉時代から南北朝時代に活躍した新田一族の栄華と、日本の中世史を伝える貴重な史料である。
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2007/1/24


総持寺祖院 Soujiji-soin Soujiji Soin (Soujiji Temple Ancestral Building)

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 正式名称は諸嶽山總持寺。かつて曹洞宗本山として、全国の一万数千寺の八割近くを統括していた。
 今から約七〇〇年前、享元年(1321年)瑩山紹瑾禅師によって開山。その翌年後醍醐天皇の勅願所として「曹洞宗賜紫出世第一の道場」となった。
 寺は盛運を極め、時代の権力者からも寺領を寄進され、末寺も増加の一途であったが、戦国時代に消失した。
 江戸時代に入り、前田家による再興が進む。元和元(1615)年には、徳川幕府の祈願所ともなった。七〇余りの伽藍堂宇を備え、全国から修行僧が集まった。
 明治三一(1898)年、大火が再び総持寺を襲い、七堂伽藍のほとんどを消失した。その後、本山を横浜鶴見に移し、現在は祖院として、復興を遂げている。
 約二万坪の境内には、山門、仏殿などが再建され、古刹の威厳あるたたずまいを見せている。
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2006/12/15


総持寺 Soujiji Sojiji Temple

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 大阪府茨木市の総持寺は、平安時代、中納言藤原山蔭卿により開かれた。宗派は高野山真言宗。亀の恩返しにより開かれたという逸話は、『今昔物語』や『源平盛衰記』などにも紹介されている。
 近畿地方に点在する三十三の霊場を巡り、観音経を参拝する遍路「西国三十三所巡礼」の第二十二番の札所。本尊の千手千眼観世菩薩は「亀に乗った観音様」として有名で、子育て、厄除けの観音として知られている。ほかに薬師如来、地蔵菩薩、不動明王、弘法大師、稲荷大明神など多くの仏や神を祀っている。
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