NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/24


朴峠 Hou-touge Ho Toge Pass

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 「朴峠(ほうとうげ)」はかつて城端と五箇山間の重要ルートであった。人の往来だけでなく、生活物資などを運ぶための交易路として住民の産業と生活の重要路線だったのだ。
 五箇山から城端へ通じる峠道は北から杉尾峠、朴峠、唐木峠、小瀬峠、ブナオ峠があったが、中でも朴峠はどの峠越え道と比べてみても、いちばん利用度の高い道だったという。このため、加賀藩では峠に小屋を建てて番人を住まわせ、藩の御用のため往来する者の休み場とし、冬は雪道往来の避難所とした。明治20年に細尾峠新道のできた後も城端までの近道としておおいに利用され、冬場は唯一の交通路であったという。 
 現在は自然歩道として安全に整備され、多くの解説板や交通の守り神として祀られた地蔵様などの旧跡があり、トレッキングルートとして多くの人々が訪れる。
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2007/1/17


山刀伐峠 Nadagiri-touge Nadagiri Pass

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 山形県尾花沢市最上町の境界あたりにある峠。
 松尾芭蕉の「奥の細道」にもでてくる峠である。最上の地に向かうため案内人に連れられ、この峠を越えた芭蕉は「高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜行がごとし」とあるように、たいへんな難所であり、山賊がではしないかと、不安な気持ちで大変だったようだ。
 現在でも旧道を歩くと、当時の難儀した様子が伺える道のりが残っている。
 道中には、「子宝地蔵尊」がある。その信仰は厚く、旧3月、7月の24日が縁日とされている。
 その隣には、「子持ち杉」と呼ばれる老松がある。その姿は、独特な枝張りをしており、まるで「森の神様」が宿っているかのような形で、芭蕉や、当時の人々が冷や汗を流しながらこの峠を越えたというのも、よくわかる気がする。
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