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2007/10/12


八王子 浄福寺 Hachiouji Joufuku-ji 

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 八王子の浄福寺(はちおうじのじょうふくじ)は、東京都八王子市下恩方町にある真言宗智山派の寺である。本尊は、大日如来。多摩四国八十八ヶ所霊場第66番札所とされる。
 文永年間(1264~1274)に創建された観音堂の別当寺であったが、後に焼失し、大永五(1525)年に領主・大石氏により再建されたと伝えられる。
 裏山一帯に残る浄福寺城は、14世紀~15世紀に大石氏によって築かれたと言われる標高360mの山城で、新城(にいじょう)・案下城(あんげじょう)・松竹城(まつたけじょう)・千手山城(せんじゅさんじょう)とも呼ばれている。
 境内には見事なしだれ桜が存在し、春には爛漫の花々が気持ち良く競うように咲く。他に、梅や色鮮やかな寒緋桜、染井吉野も咲いており、見飽きる事がない。
 八王子の浄福寺は、城跡としだれ桜で知られる古寺である。
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八王子 真覚寺 Hachiouji Shinkaku-ji Shinkakuji Temple in Hachioji

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 八王子の真覚寺(しんかくじ)は、東京都八王子市散田町にある真言宗智山派の寺である。本尊は、不動明王。多摩四国八十八ヶ所71番札所とされる。
 応永一八(1411)年の創建で、白鳳時代の作である寺宝の薬師如来倚像は、市の有形文化財に指定されている。
 境内にある心字池周辺にはアジサイが多く、六月中旬には見頃となる。
 また、三月中旬からお彼岸にかけて産卵のために多数のヒキガエルが集まる事で有名である。今では少なくなったが、かつて数万匹に及んだともいわれるその様子は「蛙合戦」とも呼ばれた。
 梵鐘と鐘楼は万治三(1660)年に八王子千人同心が奉納したものといわれている。
 八王子の真覚寺は、アジサイと蛙合戦で知られる寺である。
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広園寺 Kouon-ji 

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 広園寺(こうおんじ)は、東京都八王子市山田町にある臨済宗南禅寺派の寺である。本尊は、弥勒菩薩。多摩八十八ヶ所霊場番外札所とされる。
 康応元(1389)年、甲州塩山向岳寺の峻翁令山(しゅんのうれいざん)を招いて開かれ、開基は寺伝によれば大江備中守師親であるというが、他説には片倉城主・長井道広であるともいい、詳細は明らかではない。
 境域十数万坪といわれ、かつては塔頭十ヶ寺が配置されてあったが、戦国時代の末、八王子城陥落とともに戦火にかかり、元禄一〇(1697)年にも再度焼失し、現在のものは江戸時代中頃の建物である。ただ、山門のみ元禄の火災をまぬがれた江戸期はじめの建立といわれている。
 境内一帯は東京都の史跡に指定されており、建物も4棟が都指定文化財とされている。
 広園寺は、住宅地の中で幽玄の昔を思わせる姿を残す古刹である。
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八王子 金剛院 Hachiouji Kongou-in Kongoin Temple in Hachioji

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 八王子の金剛院(こんごういん)は、東京都八王子市上野町にある高野山真言宗別格本山の寺院である。本尊は不動明王。八王子七福神のひとつで、関東八十八ヶ所六三番、武相観音四十八ヶ所一六番、多摩新四国八十八ヶ所七三番札所とされる。
 天正四(1576)年、僧・真清が不動堂を建立して開創し、寛永八(1631)年に高野山慈眼院・金剛峰寺の末寺として現在地に再興された。
 昭和二〇(1945)年の戦火で焼失したが、戦後再建した。
 七福神の寿老尊・福禄寿の二尊が奉安されており、寺宝として、都有形文化財に指定されている江戸時代初期作「紙本着色高野山図会」や「紙本着色西王母図」という六曲屏風を収蔵している。
 八王子の金剛院は、数多くの寺宝を所有する古刹である。
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薬王院有喜寺 Yakuou-in-yuuki-ji Yakuoin Yukiji Temple

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 薬王院有喜寺(やくおういんゆうきじ)は、東京都八王子市高尾町にある真言宗智山派大本山の寺院。本尊は、薬師如来、飯縄権現(いづなごんげん)。関東九十一薬師五番、関東三十六不動八番、多摩八十八ヶ所六八番札所である。
 天平一六(744)年、聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝えられ、その際に本尊として薬師如来が安置された事から、薬王院と称し、真言宗智山派の関東三大本山のひとつとされている。
 後に京都の醍醐山の僧・俊源が飯縄大権現を本尊として山岳宗教の基礎を築いてからは、多くの修験者達の修行場となり、現在も高尾山修験道の本拠地となっている。
 江戸時代には高尾講と呼ばれる山岳信仰の組織が結成され、今日も信徒による参拝行事が盛んに行われている。
 薬王院有喜寺は、二五〇〇点余りの古文書も所持する名刹である。
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2007/9/28


まいまいず井戸 Maimaizu-ido 

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 まいまいず井戸は、東京都羽村市にある五ノ神(ごのかみ)神社にある古い井戸である。
 まいまいずとは、多摩地方でのカタツムリの方言で、井戸の取水口が深く掘り下げられたすり鉢状の底にあり、その取水口までの斜面にカタツムリの殻のような、らせん状の道が設けられていることからその名で呼ばれている。
 大同年間(806~810)のものという話もあるが、その形態や周辺からの出土品などから見て、鎌倉時代の創建と推定されている。
 井戸周辺の地質は、柔らかい砂礫層に覆われており、当時の技術では垂直に掘るのが難しかったため、一端すり鉢上に掘り下げ、比較的硬い層になったところで、垂直に井戸を掘ったため、この形になったと思われている。
 同じような井戸は東京都と埼玉県の西部や武蔵野台地、伊豆七島の一部で見られるのみである。
 無論、井戸としての機能は立派に果たし、昭和三七(1962)年まで使用されていた。
 今は都の指定史跡となり、人と水とのつながりにおける歴史の一例として保護されている。
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羽村の堰 Hamura-no-seki 

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 多摩川にかかり、東京の羽村市から新宿区にまで生活用水を運ぶ玉川上水。その玉川上水の出発点となるのが、羽村の堰(はむらのせき)である。
 江戸時代の生活用水不足から新しい水道を作る必要に迫られ、承応二(1653)年、庄右衛門(しょうえもん)と清右衛門(せいえもん)の玉川兄弟によって玉川上水の工事が始まる。その際、多摩川を堰き止め、水を導き入れる役割を果たす堰として建設されたものだ。
 固定堰と、堰止めを解除できる投渡堰(なげわたしぜき)の二つで構成されており、現在もこの二つの仕組みを利用している。
 周辺は整備され、江戸時代に上水の管理を行っていた陣屋の門が移築されるなど、周辺住民の憩いの場所にもなっている。
 また、堰周辺から玉川上水べりにおよそ五百本の桜の木が植えられ、シーズンともなれば多くの人が繰り出し、咲き誇る桜と水の流れの調和を楽しんでいる。
 江戸時代からの水の歴史とその偉業を今に伝えながら、堰は今も水と共に人々の心を潤している。
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武蔵御嶽神社 太々神楽 Musashi-mitake-jinja Daidai-kagura Musashi Mitake Shrine Daidai Kagura Dance

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 武蔵御嶽神社太々神楽(むさしみたけじんじゃだいだいかぐら)は、東京、奥多摩にある御岳山の山頂に鎮座する武蔵御嶽神社に江戸時代から伝わる神楽である。
 東京都荒川区にある真崎稲荷から伝わったといわれ、出雲神楽の流れを汲む。
 同神社には今も信徒の集まりを表す「講」が多数存在する。そうした講の人々の参拝方式として神楽を奉納するのが最も格式が高いといわれており、太々神楽はその際に舞われているものである。
 素面神楽と面神楽があり、面神楽は古事記などの神話を基にした物語のあるもので、素面神楽はその場を祓い清め、邪悪を鎮めるために舞い歩かれる。
 それぞれ演目が一二座あったが、現在は合わせて一七座が継承されている。
 太々神楽は、神にご覧頂くものという考えから、舞いの出と入りに拝み込みという独特の所作があり、また、全て神前に向かって舞われるのも特徴である。
 講の人々に守られながら、神と共に人も楽しむという神楽の本質を今に伝えている。
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